利也子の日記

スピリチャル ヒーラーとしての活動や文筆物。

愛される

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あなたは今愛されていいのだ。

「愛される」とは何か散々いい事をした結果ご褒美として起こることだと思っている人が多いのである。
ところが許可のいる事ではない。
あなたは何時どこで愛されてもいい。
実はすでに愛されているのである。

生かされているとは愛されているという事である。
そして「愛」とはあなた自身の本質なので愛する事は息を繰り返すことと同じく当たり前の行為であり、その愛がぐるっと回ってきて受け取るのが「愛される」ことなので受け取らないと自分の発した愛が生きてこないことになる。

愛し愛されるとは「ひとつ」なのだ。
二つの全く違う行動ではない。

だから愛するのだけ好きな方は気をつけていただきたい。
なぜ愛が帰ってこないような気がするかというと、自分で「愛されるべきでない自分」を作り出しているかもしれないからだ。「私は本当の愛に値しない、、、」

自分を利用されやすく提供しておいて「使われた!」と騒いでも解決法は無いのである。
愛は駆け引きではないのである。
あなたの中の「本当の自分」は愛そのものなので、本当の自分を表現するのに相応しいように飾りを捨て重さをとって「本当の愛」が素直な形でかもし出される時、それに反応するものも「本当の愛」になってくるのである。

同じ価値のものが引き合うのである。
どうも自分の今の生活は水準が低いと思ったらまずしっかり自分を磨き内側から出てくる光を増やそう。
同じ光り方をする仲間が集まってくる。
生涯の伴侶が見つかる。
もっと輝き始めると、利用とか駆け引きとかいう言葉から数段上の開放的な新鮮な空間に息づきはじめる。
「真の愛」には価値がつけられないのであるが言葉にはならない至上の幸福が伴う。

「愛」と気軽に書いたり言ったりするのに、受け取る段になって怯えてはいけない。
確かに本当の愛は慣れていないものにとっては怖いものである。
冒険である。

でも今あなたには勇気が生まれたのだ。
知恵が供わったのだ。
もう大丈夫!
今度は大丈夫!

気をつけなくてはいけないのはあなたが本当の愛そのままの心を持っているかである。
心にほこりが付いているとあなたの輝きにムラが出来てしまう。
ムラがちょっとした不安など呼び込まないようにさっさとほこりはお掃除をしてしまおう。
愛は癒す。
窮屈な思いをするのは愛ではない。

今愛されていいあなたを再確認してみよう。
上手に愛を受け取っているか、愛されるべき心を持っているか観てみよう。
自分で枠を作っていなかったか?
どう愛されるべきか勝手な設定をしていなかったか?

ふと外れた時こんなにも愛されていた自分に出会えるのである。
自分に愛されている自分に。

そんなあなたは誰から見ても魅力的なのである。
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  1. 2007/04/30(月) 16:17:58|
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賢い子供

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実は人前ではおおっぴらに言わないのであるが、私は息子たちが生まれてからずっと「素晴らしい天才神の子さん!」と呼び続けてきた。
一日中バタバタと過ごしてしまった日でも寝際に「素晴らしい天才神の子さん、素晴らしい天才神の子さん、、、」といわばチャントのようにゆっくり繰り返して子守唄の代わりにしてきた。

子育てというのは試行錯誤の連続で、しかも私の育った環境と随分違うNYのマンハッタンで親戚もいなく一から初まってしまったのでキリキリと過ごしてしまう事は多かった。
反省点だらけである。
でも一日の最後に本を読み聞かせ、よい言葉でざわついている心を整えるのは私のためにも大切な事であった。

どの子も個性に溢れ「普通の子供」というのは居ないのであるが、特に私の子供たちは幼い頃からチャレンジが続いた。
しかし、暗く沈みそうな時こそ「あなたたちが生まれて世の中がもっと明るくなった!あなたたちは世の中を照らす光なのよ!」といい続けてきた。

母の日は「私をお母さんに選んでくれてありがとう! あなたたちが選んでくれたからお母さんになれた!」といって子供たちに感謝する日である。
本当にそう思うからである。

「どのお母さんもそう思っているよ」と長男は言うのだが、そして潜在意識の世界ではそうなのであろうが、まだまだ表面に現れていない方がいるのでは無いだろうか?
言葉の力を信じている親たちは全体の何パーセントだろうか?

心の中で思っていているのだから通じ合っていると信じていても口に出して言わなければならないのである。
「この子は賢い」と思っていても「あなたは本当に賢い!」とはっきり伝えなくてはいけない。
「愛」から発する言葉を使っている時は奢りに繋がらないのである。
「俺は賢い」とふんぞり返る子を作り出す事は無い。
「だからいつでも出来るのだ」という本当の自信が養われていく。

まだできていないと思ったら「やりなさい!」と叱るのではなく、「出来る出来る!こんなの簡単!あなたは賢いのだからすぐわかる!」と言ってみよう。
本当に皆賢いのである。
みんなやれば出来るのである。

もしもあなたが孤児であって「愛」の言葉で応援してくれる母がいなかったら、今あなたは自分が「永遠の母」となって自分に「あなたは天才です!絶対に知恵が湧いてきてやりぬくことが出来る!」と何回も何回も言い聞かせなくてはならない。
あなたは賢い!
天性の知恵に恵まれている!
止めようとしても溢れ出てくる才能に恵まれている!

内ポケットに親がそっと入れておいてくれた1万円札を知らなかったら、あなたは文無しだと思って友達の誘いも断り寂しく独り帰り下宿で自炊しなくてはならない。
無いと思ったら無いのである。
無いはずだから探しもしない。
いくらでもあると思ったらいくらでもあるのである。
どこかに絶対あると思えばせっせと探すのである。
だから知恵に恵まれていることを確信する人は努力を怠らない。
絶対に出来るのである!

あなたは「素晴らしい天才神の子さん」である!

神という言葉に抵抗のある方はそこだけ飛ばして読んでもいい。
神は愛である。
とに角あなたは類の無く素晴らしい天性の才能を持ち合わせている人間である。
親が何も言ってくれなくて育ってしまった後でも「素晴らしい天才神の子さん」を発揮していいのである。
いいどころか発揮すべきなのである。
あなたの人生はあなたしかいないのであなたが今「本当の自分」を発揮するしか仕事は残っていないのである。

「本当の自分」は「愛」であるので、本当の自分の声のまま行動するといつの間にか世の中の光になっているのである。

あなたがいるから世の中はもっと明るくなるのである。
  1. 2007/04/29(日) 23:31:15|
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言語虐待

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虐待と聞くとドキッとするのであるが、実は「言語虐待」は知らず知らず人々の心に深い傷を残している事が多いので是非気をつけていただきたい。

暴力だと体にあざや傷が残るので周りの人にも発見されやすいのであるが、言語であるので何時どのようにどのくらい傷ついているのか本人にも近い存在の者にも解りにくい。
段々と受けている本人のヤル気や自信が喪失され、将来に対する希望も薄れてしまう。
でも何でこんなに窮屈で苦しいのか解らない時がある。
見えないものであるので解決法もどこから始めたらいいのかわからない方が多い。
毎回ジョークに織り交ぜてあると「かわいいからそんなことを言うのだ」とか「好いているから照れ隠しに冗談にしているのだ」とかオブラートがかかったようなごまかし方になっていて受け取る本人は簡単に許してしまう。
ところがいつの間にか重く溜まってしまう。

言葉の力を知っている人は簡単な洒落でも人を貶める事蔑む事は言っていけないし言って笑えるものでない事は充分承知である。
言語虐待を行っている者は愛に飢えていて愛情表現の乏しい家庭に育ったことであろう。

このくらいは解ってあげなくてはいけない、と虐待を許して受けてはいけないのである。
双方の改善が必要である。
あなたは素晴らしい人生を歩む権利も実力もあるのである。
勇気を奮って改善しなくてはならない。
どんな環境でも改革が行われる時は不安がつきものであるのでさらなる勇気と正眼が必要なのである。
必ずよくなる!
ただ絶対に行動を伴わなくてはいけない。

まず、蔑みや軽蔑に値する言葉の波長は届かない「本当の自分」を呼び起こそう!
ピカピカの魂である、生命力である、全てを生かしている力である。
自分に値しない言葉はそれを言われると傷つくことが解る。
「愛」の波長に合っていないからである。
「そういう名前で呼ばないで欲しい」「そんなことを言われたくない」と相手に伝えても聞く耳を持たないで続けるようであれば、あなたももっと心のお掃除をしなくてはならないのである。
どこか心の底に「私は卑下されてもよい」という異常な思い込みがないかどうか。
それはすぐに取り払わなくてはならない。
詳しいことが解らなくても、つまり過去生の罪悪感だとか幼児の時に何かを壊して「人の大切なものをなくしてしまった」などと具体的なことが解らなくても、「私の中から軽視や蔑みを受ける心は消える!」とはっきり命令し、呼吸法を繰り返してもいいし、瞑想してもいいし、何回も紙に書いて燃やしてもいい。

あなたは誰かにバカにされていい存在ではない。
愛の深き祝福されるべき存在である!
まずはっきりそれを把握していただきたい。
相手は心に深い傷を持っていると解っていてもそれがあなたを傷つけてよいという許可にはならない。
まず自分から始めなくてはならないのである。

素敵な優しい暖かい言葉でお互いを褒めあったり慰めあったりして育った方は自然に善い言葉しか使わないのである。
きつい嫌味な言葉使いをする人たちとは合わなくなる。
よくない状況におかれたら「これは正常ではない」とすぐに気が付くのである。
だから今日から毎日誰にでも正しい明るい言葉を使うのが大切なのである。

つい悪口や噂話に時間を費やしてしまう方は図書館に行って良い言葉の並んでいる本をどっさり借りてきてジャンジャン読み始めていただきたい。
頭の中も舌先も善い言葉で埋め尽くそう!
なんでも慣れである。
「これが悪口だったの?」と初めは気が付かないほど今までよくない波長で身を包んでいたことが解る。
内側からもドンドン本当の魂の清らかな波長を呼び起こそう!
両側から働きかけていけばホンの数日で目の前がキラキラ輝きだす。
なんでも軽く楽になるし善い発想が泉のように湧いてくる。

「ことば」は「こと・だま」といって「言魂」なのである。
正しく使うとそれだけでも人を動かすパワーである。
あなたはいつでも使える最高のパワーを持っているのである。
恥ずかしがったり怖れたりしている時ではない。
今、明るい正しい言葉で深く隠されていた傷も癒し、楽しく幸せな生活を始めよう!

あなたはやりとげるのである!
枠や縛りから開放される!
本当の平和をついに味わうことが出来る!
  1. 2007/04/28(土) 21:52:07|
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新鮮さ

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「自分は少し解りはじめた」とか「慣れ始めた」と思えるときが危ないのである。
これは車の運転でもお稽古事でも精神世界の理解でも同じである。

「そのくらいはもう解っている」という気持ちが壁を作り始める。
習っている最中はいつでも新鮮な気持ちを持ち続けなくてはならない。
まだまだいくらでも上達するし、知っておいた方がいい事は山ほどある。
周りを見回して「自分が一番出来る」などと思ったときは率先してさらに真剣に取り組んでる仲間の開発をしなくてはならない。
ライバルではないのである。
敵はいない。
それぞれに素晴らしいのであるからお互いの影響力が助けになるのである。

「ひとつ」というところまでたどり着くと「ナンだ全部自分か!」と思うのであるが、それでも顕在意識の人間界ではそれぞれの深い研究や個性によって生まれたり発表されたりしている作品や研究資料は個々の知識として尊重すべきなのである。

少し解ってきたと思えるときこそさらに自分を大切にしなくてはならない。
そしてさらに心のお掃除も怠れない。
本物は「本当の自分」に響くのである。
清らかな淀みのない心を持ち続けなくてはいけない。
有り余る情報の中から本物を見分けさらに自分を磨く材料にするのはあなたの仕事となる。
どんな素晴らしいマスターが発せられた言葉でもあなたが自分の器官で消化吸収してすぐ使える状態にしなくては何の役に立たないのである。
そうでなくてはただの噂話に過ぎなくなる。
「時間って今なのよね」「いつもここしかないみたい~」「愛って結局なんでも動かしてるエネルギーなんですってね」
「なんか全部みんなひとつなんですってね、ひとつって何?」

あなたは知識として誰かの口から聞いたことや本で読んだ事がついに自分のものになるときが来る。
自分の口からすらすらと真実の言葉が流れ出る。
書く言葉に真の愛が溢れ始める。

その時でさえもさらに新鮮な自分を保たなくてはいけないのである。
一回解ったという記憶だけ残っていて新鮮な自分はだんだん「もうわかった」という時点でずれ始めないように更に努力しなくてはならない。
「真実」とは「生命」であり死なないもの腐らないものである。
いつでも、同じ言葉でも、同じ作法でも、同じ手法でも、同じ顔ぶれでも新鮮で活き活きと新しいものに感じることができる。

新鮮さを保つとは今あるものを何とかそのまま冷凍保存しようということではなく、どの瞬間でも命の輝きを発する事が出来るようにしようということである。
新鮮な人は明るい。
新鮮な演奏家の曲は同じ曲を聴いても毎回フレッシュなのである。
その方が80歳の演奏家であっても90歳の書家であっても100歳の文筆家であっても私たちが受ける印象はさわやかな生命力である。

あなたは堂々と生きていいのだ。
新鮮なエネルギーがいつも内側から湧いてくる。
「生命」から湧いてくるので絶えることは無い。
小さい情報や思惑に心を縛られてはいけない。
あなたは自由に自分の新鮮さを体現していい。
そしてちょっと解ってきたらチェックしてみよう。
何がわかって何がわからないのか。

また目標が出来た時それに向かって進むもっと新鮮なあなたが輝いているのである。
  1. 2007/04/27(金) 21:27:10|
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基本を守る

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新しい曲を渡された時楽譜を読み取る事が出来たら、「ああ、大体こんな感じか、、」とすぐにわかるのである。
5線紙に白い球や黒い球に棒のついたものが並んでいて、書かれた位置によって音の高さが読み取れ、音符の書き方によって何拍か解り、そして曲の出だしに書かれてあるModerato ♪=46などの設定でどのくらいの速さの曲かわかる。
何分の何拍子かも書いてある。
基本を知っているとまごつかなくて済むのである。

ダンスでもクラッシック・バレエとジャズ・ダンスでは手と足の位置が違うのであるが「ジャズの4番から始めてダブル・ピルエット!」と指示されたら見本を見せられなくても「ああ、こうか」と基本を全部知っている人はすぐに体を動かせる。

音楽もダンスもほぼ世界的に同じだと思っていいのではないかと思う。
基本は一度決められたら守るのである。
そのために世界中の音楽家が自由を得られる。
安心して取り掛かれるのである。
そして今日もまた世界中であたらしいメロディが生まれそれを記録するのに楽譜が書かれる。
書いておけば約束事を基にかなり近いものを再現できるのである。

Cの音は今日からDになりました、などという突然異変は無い。
アラベスクは一切禁止になるかもしれない、という恐怖は無いといっていいだろう。

基本になる絶対的な約束事は守らなければならない。
その時それを踏まえて活動する人たちは表現の自由を手にする。
どの音もどの振り付けも基本をしっかり踏まえているならば、いざ本番の舞台となったときは一音一音の約束事の心配はもう遠くに去ってしまっていてまったく自由自在に枠のない表現を出来るのである。
霊的空間に舞い上がる。
その人ならではの味が現れ、それを観たり聴いたりしたいから遠くからでも人々が集まるのである。
同じ振り付けのはずなのにどうしてこうも違うのであろうかとそれぞれのアーティストの魅力を話し合うのである。
その人の命の輝きが噴出してくるのである。
それが個性である。

約束事、または基本を通り抜けてからでないとそこにたどり着かないのである。
自分だけで芸術的だと思っていても法則から外れている人の作品はここまで到達していない。
Jazzの音楽でも全く同じである。
ただ崩すのがよいのではなく、本人の心の叫びが従来の枠を超えて唯一の形で表現されているものが人々の心を打つのである。
だから出鱈目ではないのである。
一貫したものが、しっかり崩れないものが根っこになっているのだ。

しっかりと崩れないもの、それは「命」である。
命がリズムを創っている。
それに則っていればあなたは自由なのである。
「命」の法則に基ずいているとき何よりも素晴らしい表現ができる。

自然界のものは全て法則にしたがって生きているので活き活きとしているのであるし、どれをとっても美しく感じられるのである。
「命」の法則に乗らないで対抗しているものは自分から「自由」に反するものを作り出している。
苦しいとか束縛されていると思うことがあったら振り返って考えていただきたい。
基本を守ってその上での「命」の表現をしているのかどうか?

今日から自分は7線紙で新しい曲を世界に紹介するのだ、といってもあまり効果は無い。
みんなが瞬時に使える5線紙の情報でその曲を同じく発表するのが賢いやり方である。
「なんで誰も解ってくれないの?」と思うならもう一度自分の使っている語彙と文法が世間の基本にあっているか照らし合わせてみよう。
自分の作品がただの独りよがりか「命」の表現か?

輝かしい命の表現は折り紙でも映像でも料理でもどの分野でも一貫して通じるものがあるのである。
「愛」を感じさせてくれるのである。

「命」とは「愛」そのものなので「命」が噴出している時は「愛」が溢れ出ている時である。
そして作者やアーティストが「命」の表現を行っている時は私たちは「ひとつ」になり同じハートで感動するのである。

「愛」にたどり着く通過地点は基本を守る事であった。
  1. 2007/04/26(木) 22:17:47|
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完璧主義

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文無しの浮浪者を演じきったチャップリンは誰よりも豊かであった。

主演、脚本、監督、プロデゥース、配役、振り付け、スタント、作詞、作曲、、、、
そしてモチロン世界一素晴らしい道化師であり、マイムだった。
天才は色々な分野に存在するが、総合芸術家としては彼に肩を並べられるものはいないだろう。

お母様が歌っている時にヤジと共に飛んできた物がぶつかって倒れてしまい、穴が開いた舞台に幼いチャップリンが登場して当事よく知られている歌を歌って荒れている客を感動させたというのが初舞台であったという。
きっと素晴らしい歌声であったであろうし、その時の機転の利き方からしても天性のパフォーマーであった事が伺える。

それでも少年時代の記述は涙なしでは読めないようなものである。
小さい劇場で兄と共に転々と移動しながら芸を披露する貧困生活が続いた。
美しかった母は精神病院の入退院を繰り返しボロボロであった。

どんなに苦しくても貧しくても悲しい事が続いても冷静な眼で周りの出来事を観察し自分の体験をしっかり記憶していたお陰で彼にはいくらでも引き出せる宝箱が手に入ったのである。
どの人の感情も解るし、どの人の立場もわかる。
それを愉快に描く事も涙を誘う事も出来る。
どの手も使える。
なんでも彼の内側にすでにあるのである。

すでにあるのであるが、それを映像にするのには完璧に緻密に計算され、きっと気の遠くなるようなリハーサルが繰り返されたことと思う。
チャップリンの製作に携ったら大変であったであろう。
絶対に妥協は許されない。
これはエゴではないのである。
最終的にはこうであるというピクチャーが出来上がっているので一寸でもタイミングがずれたら何の意味も持たなくなってしまうのである。
ピッタリ全員の息が合うまではOKがでない。
自然と緊張感が高まるがコチコチになっては芝居は出来ない。
心の中は真剣勝負であるが外側はすごく柔らかく構えなくてはならない。

自分が本当に信じているものを世の中に発表する際に起こる過程で妥協を許さないというのはエゴイズムではない。
ただの頑固者ではない。
完璧主義だと理解されず一時的に敵も作ってしまうように見える。
でも、やりぬいたときに必ず解ってもらえる。
完璧主義とは自分にも厳しく妥協を許さないものである。
ただの上からかける圧力ではない。
自分に厳しく最高の芸術や研究、または生活態度を貫いている方は必ず理解されるし、賛同者を呼び集め始める。
途中で挫折してはいけない。

チャップリンに関して読んでいる時ガンジーとイギリスで面会している写真が載っていてすっかりうなずけた。

今周りに起こっていること、自分の感情の移り変わり、数々の小さい才能を宝箱に詰め込んでおこう。
これは怒りや悲しみをしっかり溜め込みなさいというのではない。
重い感情は整理して記録としてとっておくだけでよい。
あなたの幅が広がり深さがまし、何がどうなっても動かぬ財産がいつの間にか残っているのである。
何時どう使うかはあなた次第である。
貧困家庭に育たなくても、芸能界に関係しなくても、これは全く同じである。
あなたは「宝」が歩き回っている状態になる。

そして自分の信じることで世の中に喜びを提供できる事があったら今すぐ始めてみよう。
役者は生の舞台に立って磨かれるのである。
あなたも生身の人間に接するとき光が増すのである。

世の中はあなたの光を待っているのである。
  1. 2007/04/25(水) 22:42:02|
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不動明王

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不動明王は仏像の中では一番恐ろしい形相をしている。
大体どのお姿もカーッとにらむようなお顔で筋肉逞しい体であり、武器を手にしているし、オーラの輪ではなく燃えさかる炎を背につけている。
もともと怒っているようなお姿であるが、「気を損ねるような事しないほうがいいな」と思わせる容姿である。

でも実は大日如来の化身なのである。
如来とは「すべてのすべて」の存在である。
命の源のエネルギーである。

不動明王の役割には色々な解釈がつけられている。
私が書きたいのは私の体験であり仏教的な論法では無い。

不動明王の使命はこの世の中に悪を一切入れないことである。
悪を一切許さない。
悪とは「善でないもの」である。
本当の善だけ認めるのである。
そしてまだ「本当の愛」がはっきり理解できていない私たちに身を持って「本当の愛」を示してくださっているのである。
「本当の愛」に導いてくださっているのだ。

オリンピック選手のコーチが妥協を許さないように、目覚める必要がある人と見定めたら容赦なくあの手この手で鍛え始める。
絶対に最後まで手を抜かせてもらえない。
あなたはやりぬく人だと解っているからだ。
怖くても恐ろしくても、その先にある全く恐怖のない世界までグイグイ引っ張っていってくださるのである。
怠ける事は一切許されない。

少し解ったと思うとすぐ次の課題が与えられる。
逃げる事も出来ないのであるから仕方なくでも何とか取り組み始める。
絶対にクリアしないと次に行かせてもらえない。
あの勢いであるからモタモタしていられない。
ドンドン追い立てられる。

ああそうか、まだ解ってなかったと思って必死に勉強する。
なにかが心の中でバリバリ破れたりグチャッとつぶされたりするのを感じる。
これは必要だとしがみついていた古い感覚がボロボロに崩れる。
ついに信じるものは「本当の愛」しかないというところまでへとへとへとになりながらたどり着くのである。

「本当の愛」にはかたちがない。様式がない。
だから形を持っているうちはわかり難いのである。
でも不動明王の絶対的な厳しさがあるお陰で「本当に本当の真の愛」以外のものは受け付けてはいけないしもうまやかしでは生きてはいけないのだということを学ぶ事が出来る。

「真の愛」とは生かすものである。
本当の自由であり幸せである。
チョッとだけの自由ではなく全くの自由であり、限定付きの幸せではなく幸福そのものである。
まだ味わったことの無い方はお楽しみにしていただきたい。

肉体の快楽の話では無いのである。
だから説明はとても難しい。
でも今日のあなたよりまだまだ未開発の素晴らしいあなたはわかっているのだ。
そんなちっぽけなところで喜んでいてはいけないことを。

私は誰もが厳しい荒修行をしなくてはならないと思わないし、荒修行の必要もないと思っている。
ただ「あ、そうか、なんだみんなひとつか!」と解っていただきたいなと思うだけである。
あまりに簡単なのでわかりにくい。
もっと深いものであるはずとか、一部の選ばれた人しか解らないものであるとか、枠にはめて考えないでいただきたい。

抱えているものをぽろっと落としたとき気付くのである。
「ああ、なんだ、こんなにいっぱいもっているのだ!」と。
何をしっかり抱え込んで重くなって生きているのだろうかと振り返って考えてみていただけたらいいなと思うのである。

不動明王が登場しなくてはならないほど私は一番抱え込んでいて「愛」に遠い存在だったのだ。
「本当の愛」は恐ろしく感じたのである。

崩れ落ちても落ちる先がなかった。
それどころか生まれ変わってしまったのである。

あなたにもすぐにわかる。
あなたが「愛」そのものであることが。
そしてあなたが生きていくことが「喜び」である。
  1. 2007/04/24(火) 21:35:01|
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ドラマの内側

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今日はシェイクスピアの誕生日だそうだ。

人間の心模様を捉えた彼のドラマは何百年も生き続けている。
どの国に伝わっても誰でも共感する事の出来る人間界のテーマがどの作品にも充満している。

私はある時ブラジル生まれのイギリス人の演出家のシェイクスピア劇の通訳をしていたのであるが、彼の言葉に目を覚まされた。
「どの役でも一面的な人物はいません。表面的な性格に裏側にある性格を重ねてください」
つまり純粋そうなお嬢様でも高いところから人を見下げるような態度がチラッと顔を出したり、悪役でも人間味の深い本当の愛を覗かせたりすることによって層の厚い舞台になっていくのである。

シェイクスピアはどの人物も単純に善い人悪い人というようには書いていない。
私たち人間は誰一人単純に割り切れるものでは無いからだ。

人々の行動を表面だけ捉えて批評するのは危ないのである。
どんな裏側の問題がその人をそうさせているのかわからない。
モチロン自分の身に危険が迫っている時は緊急に対処しなくてはならない。
しかし、人の噂や直接関係のない有名人などのゴシップに時間を費やすのはやめよう。
本当の事は解らないのである。
人が納得する程度の情報だけ出されている事が多い。

色々なドラマが提供されても振り回されないように本当の中身の人間像だけ見つめよう。
誰でも幸せになりたいのである。
誰でも平和を願っているのである。
誰でも調和して生きて行きたいのである。
みんな誰でも愛されたいのである。

みんな同じなんだという事が解ると表面の体格や性格はフッと消え「素晴らしい本当の人間」が観えてくる。
何故かとんでもないドラマに組み込まれてしまったが、それは経験として今後生かせることがわかる。

シェイクスピアはどれだけ苦悩にもだえ死しか答えになっていない人物を描いても、人間とは素晴らしいものだと確信していたので舞台にそれを発表することが出来たのである。
それを観て人々は拍手したのである。
シェイクスピアが人間をしっかり把握してくれているので安心できるのである。

まず初めに人間とは見かけと中身が一寸違う事。
それを通り越した時誰でも全く同じである事。
このプロセスを踏まえて物事に取り掛かるとすごく楽になる。
恐ろしい人はいなくなる。
立場や職業で態度が色々に見えても私たちの中にいる「本当の人間」は愛と調和を欲しているのであるし、到達した人はみな「愛」そのものであるということまで観えるのである。

あなたはすぐに到達できる。
誰でも同じなのだからまず自分を基に始めてみよう。
あなたの中の「本当の自分」と向き合ってみよう。
喜怒哀楽全部豊かに持ち合わせている人間がいて、そのさらに奥深いところはピカピカの純粋な魂である。
全部あなたである。

他の人もこれと同じなので他の人の経験する心の痛みや喜びがあなたのものとなってわかるのである。
そしてそれに振り回されずに「ピカピカの素晴らしい存在」まで連れて行ってあげることができると、そこは「ひとつ」なので皆同じなのである。
「すべて」なのである。
「愛」「調和」「美」「喜び」といったものが湧き出てくるところである。
あとはそれに任せればいいのである。

誰の感情でもわかってあげられるし、それでもそこからグンと引き上げてもっと平和で愛に溢れた世界を紹介してあげられるのである。

あなたはそれが出来る!
今日一寸だけ練習してみよう!
  1. 2007/04/23(月) 22:25:45|
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正直な少年

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「王様が裸で歩いてる!」と指さして笑ったのは少年であった。

大人たちは誰一人として何も言えなかったのである。
王様は世界一美しい衣服を着て歩いているはずなのである。
それが見えないのは自分たちの目がおかしいのだろう、まさか王様が裸で歩くはずがない、という観念が先にたち、目の前の事実は否定された。
ところが少年が叫んでくれたお陰で、自分も正しかったのだ、自分の目で見たものが本当だったのだと解った。
そして王様も助かったのである。

物語を読むと納得するのに、実生活ではまだまだ裸の王様もそれを変だと思いながら自分の方がおかしいのかもしれないと思って何も言えない人たちも正直な少年が登場するまで何もしようとしない。
確かに物語のように単純では無い状況も多い。
でも人々の心理は同じである。
自分が間違っていたらどうしよう、、、
バチが当たるかもしれないし、発言せずに済むことならそれでいい、、、、

正直な発言がみんなのためになるのであるが、この少年はみんなのために発言したのではない。
本当におかしい状況を目撃したので反射的に発言したのである。
結果的に真実の心から出た発言ははみんなのためになったのである。

いつでも正直に発言できるようにしよう!
単刀直入に言う時とさりげなく言う時とあなたの粋な言い回しで洒落に織り交ぜて伝える時といった大人らしい工夫はしても良いがメッセージはクリアに伝えよう。

言いたくない事は言わなくていいのであるが、発言する時は嘘をついてはいけない。
避けたい発言はさっと上手にかわそう。
嘘をつかなくてすむからである。

子供たちは質問も純粋で明瞭である。
大人たちの質問は何を聞きたいのかスッキリしていない時がある。
まず自分の心をきれいにして自分との対話に慣れてみよう。
自分だけなので安心して話せる。
隠していることでも外には漏れない。
整理し始めると余計な言い回しを含まずに話ができるので自分との対話もスッキリし、自分への理解も深まる。

何に悩んでいるかさえわからない人もいるのである。
理解し始めた時に問題点が何かわかるので対処できる。

子供たちの発言や質問を馬鹿にしてはいけない。
お陰で大きく目が開かれる事は多い。
自分も答える時なるべく単純に明瞭に答えよう。
シンプルである方が解りやすいのである。
長く難しい言葉を並べたからといって相手がさらによく解るという事は無い。

友人同士でも相手が言っている事を信じられるときは不必要な長ったらしいやり取りを避けられるのである。
よくわからない相手は本心を伝えてもどう受け取られているか解らず不安になる。
まずあなたが「あの人は正直で嘘を言わない、信用できる人だ」という評判をもらおう。
そうなると真実を話したい仲間が集まってくる。
もう上辺だけの窮屈なやり取りは面倒くさくてイヤになる。
正直に話せる人はホッとする。

解ってもらえた時もホッとするし、解ったときの喜びは大きい。
あなたの中の「幼いあなた」は正直なのである。
真実しか見ない。
そこから発言や行動が出来るようにしよう!
慣れていないあなたは今日一寸だけ「小さいころだったらなんて言っただろうな?」と思い返して練習してみよう。
子供は楽しければケラケラ笑い、痛かったり悲しかったりするとすぐに泣くのである。
「今」しか時間が無いので後で泣いたり笑ったりしようという事はしない。

あなたも「今」しか時間が無い。
永遠に「今」が一番大切な時間である。

あなたが「正直な少年」なのである。
  1. 2007/04/22(日) 21:45:20|
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正義の味方

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毎週ハラハラドキドキさせられても正義の味方は必ず勝つことになっている。
大ピンチがあっても絶対に大転回があって救われるし、次の週には堂々と帰ってくるのである。

あなたもいつでも絶対に大丈夫!
「愛」を持って行動している限りあなたが正義の味方なのである。
ピンチは新しい技を生み出すチャンスである。
もっと効率善い動きや忘れていた能力を呼び起こすために、しかも堂々とみんなの観ている前でやりぬくのに絶好の機会である。

「本当の愛」から出発した時、悪とはやっつけるものではなく正すものである。
本当の人間の姿とは素晴らしいのだとしっかり見せてあげ、励まし、悪であると信じていたものに光と暖かみを与え溶かしてしまうのである。
言葉で及ばない時は態度で繰り返し繰り返し行なわなくてはならない。

悪は積極的には存在できない。
善のみが本当の姿である。
みんな生きることを持って善しとするのである。
みんな同じである。

悪は無い。
死は無い。

自分の生命の素晴らしさを少しでも感じ始めたら今まで出来なかった事が当たり前のように出来てしまうのである。
言葉使いも態度もあっさり変わる。
もう古いあなたはいない。
体の細胞はドンドン変わる。
8年も経てば8年前と全く同じ細胞はひとつもないのだという。
あなたは何を持って「自分はこういう生まれだから!」と決め付けるのであろうか?
あなたは瞬時にして新しいあなたに生まれ変わっていいのである。
誰にも遠慮はいらない。
「本当のあなた」がもっと出てくるだけである。

素晴らしいあなた。
愛の深いあなた。
賢いあなた。
清らかなあなた。
美しいあなた。
豊かなあなた。
知恵に溢れたあなた。
勇気のあるあなた。
強く逞しいあなた。

他人の決めた性格を生きる必要は無い。
「この子は内気なんです」とか「お前は乱暴だ」といわれてそこから抜け出せなかったなら、今日、今、ここですっかりその言葉を祓ってしまおう。
あなたは「素晴らしい愛の塊」である!
あなたは優しく朗らかな性格である。
稀に見る才能を持っている!
まだ発見できていなくても本当にそうなのだから信じていただきたい。

調和した楽しい環境に身を置きたいというのは誰でも同じなのである。
まず自分と調和して楽しい関係になってみよう!
鏡を見て「ありがとう!」といってみよう。
自分と素晴らしい関係を作りたかったら感謝するのが一番早い。
善い言葉は厚い壁を一瞬にして崩してしまう。
スマイルは暗い心に光を差し込む。

疑いがあるのならまず試していただきたい。
人がやっていなくても自分がやることが大切なのである。
これはあなたの人生なのである。
あなたが幸せになることが一番大切なのである。

そしてあなたの幸せは闇も病みも一瞬にして吹き払う事ができるのである。
大ピンチになっているときこそチャント覚えていてほしい。
あなたは幸せに生きるために生まれてきた。

今それが出来る!
  1. 2007/04/21(土) 21:53:11|
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警報

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私たちは生きている。

毎瞬新しい細胞が体内に生まれ古いものは外に出て行く。
呼吸は繰り返され、新しいエネルギーが毎秒体内に取り入れられ不必要なものは排除される。
絶えることなく続く。
眠っている間もこのメカニズムは変わらない。
私たちが考えてやっている事ではない。
これが「知恵」である。

あるとき人間が考え付いて行なわれる事ではない。
もともと備わっているものである。
誰にでも備わっている信頼できる身体のシステムである。
そして地球上の環境と一致している。
空気があるところに存在しているので肺を使って呼吸している。
二酸化炭素をはき出しても大丈夫になっている。
そして引力があるので凄いスピードで回転している地球に振り回されずに一歩一歩自分の速度で歩く事が出来る。
寝転がっても安全である。
飛行機で空を飛んでも大丈夫である。
突然大気圏外に放り出されることは無い。

怪我をしてもチャント治るようにできている。
どこかが悪いと痛みを発し警報を鳴らしてくれる。
赤ちゃんなどは反応が早い、ちょっと洋服がきついと泣き出す。
一瞬も待てない。
「痛かったら泣きなさい」と母に教えられてはいない。
もともとの「知恵」にそっての行動である。
何が必要かどうしたらいいか本能的に知っている。

「知恵」を意識的に利用すると自然と一致するのである。
意識的に利用するとは不意に起っている事を警報と見定めて元になっていることを正すということである。
赤ちゃんが泣いている時はおなかがすいたのか、着ている物が苦しいのか、オムツが気持ち悪いのか、早く寝たいのにそういう環境におかれていないのか、母親は瞬時に判断して対応する。

大人たちはもう少し面倒だ。
「このくらいの痛みは我慢できる」とか「これは年令のせい」だとか、「私の家系にこの病気は多い」などと勝手な解釈を始めるので「知恵」から出されている警報を無視し、ついにシステムが耐えられないので一時的に寝込むほどの痛みや病気を作り出してしまう。

不幸なことが起っている時は警報である。
だから改善できる。
よく見定めて何が元になっているか知らなくてはいけない。
逃げたり隠れたりしても問題は消えない。
よく観察する、探索する、研究する事が大切である。

寝込むチャンスがあったら「心のお掃除」の時間が与えられたと思ってじっくり枠になっていたことを取り除いていただきたい。
なんで自分は居辛くなってしまったのか?
なんで痛みを感じているのか?
なんで循環器がスムーズに行かないのか?
どうして体の一部だけ支障ができるのだろうか?
臓器も毎瞬細胞が生まれ変わっているのにそこだけスローダウンするのはおかしいではないか?

私は妊娠と出産を2回繰り返して自分の体の変化に驚いた。
そして2人とも13ヶ月ずつ母乳で育てたが、必要なときに母乳が出、そしてそろそろ終わりという時に、一ヶ月くらいはアジャストする期間があったにせよ、ちゃんともとの体に戻るというのは「大いなる知恵」に基づいた自然の理であるとしか説明の仕様がなかった。

必要なときに必要なことが起るが、病気や怪我は不必要なものである。
警報が鳴ったときにすぐ対処しなくてはならない。
簡単に直せるのである。
それを繰り返すと自分の身体とも心ともいつも一致している状態を実現できる。

健康なので警報が鳴るのである。
熱いものにさわって「アツッ!!」と感じなかったらもともとのシステムがおかしいのであるがチャント働いているので「危ない!これ以上さわると皮膚か焼ける!」と一瞬にして身を引くのである。
熱が出たら「ああ、悪い菌と戦ってくれている!ちゃんと白血球が働いている!」という事になる。
でも熱の出る前に溜め込んでる心の問題は取り除こう。

警報に注意してみよう。
心の環境にも警報は鳴る。
あなたのために鳴っているのである。
瞬時に対応できれば大きな問題にならないのである。

あなたは豊かな「知恵」に恵まれて生きている。
あなたは人間知より大きく深いものに生かされている。
「知恵」はあなたのためにある。
いくらでも使っていただきたい。
  1. 2007/04/20(金) 22:14:59|
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ペンは強し 

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ペンは剣よりも強し!
ペンはガンよりも強し!!

今、書くことの出来る方はよい言葉を使ってジャンジャン書きまくっていただきたい!
どこかの誰かがもう一回でも思いのこもった暖かい言葉を目にしたお陰でホッと一息つくことができるのである。
メールでも葉書でも冷蔵庫の上のメモでもいい。
今書けるだけ「愛」の言葉を使って書きまくろう!

言葉には力があるのである。
言葉の力は人を動かす。
言葉が全てを癒すのである。
初めに言葉があったのである。

話すのが得意な方はよい言葉を話まくっていただきたい!
初めは照れ臭くてもちょっと一言「嬉しかったよ、ありがとう!」と言ったお陰で受け取る方の表情がほぐれる。
バスに乗ったり降りたりする時だって運転手にお礼を言ってもいいのだ。
「それはあの人の仕事だ!」と思っても感謝が広まるのはもっと尊く喜ばしい事なのである。
医者だって仕事なのに診察の後に医者にはお礼を言うではないか。

思いのこもった暖かいメッセージを携帯電話に受けて自殺を思いとどまった方が本当にいるのである。
映画の一言のセリフのために自殺を思いとどまり、その後すっかりやり直す勇気を得た人もいるのである。

「本当のあなた」から発する「愛」の言葉が普通の会話の中に織り込まれて、押しつけがましくも無く、変に聖者ぶってもいなく、いつの間にかポッと明かりを灯しているのである。
あなたが知らなくてもあなたの言葉は「愛」そのものを伝えているのである。
「愛」は生かすのみなので「愛」に反する行為は自然にその前に解けてなくなるのである。

書かれた言葉は目から入るのである。
そして読み返せるのである。
だから今あなたに本当のあなたの「愛」の言葉を書きまくっていただきたい。
あなたは全てを持っているのである。

そして話す言葉は空気中に残るのである。
あなたが話す素晴らしい言葉の波長は世界中どこにでも広がる。
よい言葉は空気を浄化する。
嘘だと思ったら誰もいない部屋で善い言葉だけ大声で繰り返し叫んでみて欲しい。
「私は素晴らしい!」
「私は賢い!」
「私は満たされている!」
「私は優しい!」
「私は才能に溢れている!」
「私は愛されている!」
「この部屋はステキだ! 今愛に満ちている!」

思いつくまま善いと思うことを言い切りの形で表現して欲しい。
空気がスッキリしたのを感じるだろうか?

批評を与えなくてはならないときは、必ずどこをどうしたらさらに善くなるということを明白にしなくてはいけない。
いきなり否定的なことを書いてはいけないのである。
自分の理解の及ばぬ事は批評すべきではない。
もっとよくなる事を信じた上での文章であるべきである。

「本当の美」「本当の善」を随時使いこなせるように毎日の言語行動に充分注意してみよう。
親友だって呼ばれ慣れていても不名誉なあだ名は本当は嫌なものである。
何年か経ってから「実は言い出せなかったけど、、その呼ばれ方に傷ついていた。」といわれた時のショックは大きい。
どんな立場でも相手を蔑むような言葉は相応しくないのである。
しっかり見回して自分の言葉がいつも「愛」の表現になっているか点検してみよう。

もう忘れていた事でも言われていやだったことを思い出したらさっさと誰も見ていないところで紙に書いて燃やしてしまおう。
されていやだったことを知らず知らずに自分が今度はしているという例は多い。
しっかり胸の中から出して浄化してしまおう!

ピカピカの魂があなたの本当の姿である。
全く穢れのない、自由自在の存在である。
この「本当の姿」に相応しくない言葉は今あなたの中から出て行く。
迷いの雲が晴れたときさらに美しく輝くあなたが観えるのである。

まずよい言葉を書いてみよう!
  1. 2007/04/19(木) 21:43:12|
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心の郵便箱

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人間として同情してあげるのは大変素晴らしい事だ。
一緒に泣いてあげられるのも「愛」の行為である。
葬儀に参列している時に笑いを振りまく必要は無い。

しかし、残酷なニュースが流れている時に必要以上に「死」を話題にするのは「愛」の行為ではない。
行く先々で不安や恐怖を引き起こすのは「愛」に反する。
今こそ「知恵」を使って「愛」をさらに呼び起こさなければならない。

わかっているあなたが率先して「生きることの素晴らしさ」を体現しなくてはならない。
どんな状況におかれても「生」に顔を振り向けなくてはならない。
アウシュヴィッツに置かれても、毎日美しい夕日や思いがけないところに咲いている雑草をみて「美」を感じていた人は生き残った。
「光」に向かって生きなくてはならない。
どうも暗いな、と思ったら積極的に明るさを補給しよう。

明るく振舞っている人を見て「あの人は何の苦労もないのね」と思ってはいけない。
どれだけ自分に課して「愛」そのものの生き方に徹しているかはひと目ではわからないのである。
すぐに雰囲気を変えられるように、「本当の知恵に溢れた自分」を瞬時に呼び起こせるように日頃から毎日訓練しておこう。
何事も慣れである。
一寸ずつやってみるのがいいのである。

話したくないことを聞かれても上手に話題を切り替えられるようにしよう。
まず一回やってみて成功したらもう次からは楽なものである。
あなたの「愛」が「真」がものをいうのである。
いつまでも暗い話題を提供する人はサッと避けよう。
あなたの環境はあなたが設定することが出来る。

あなたが話したいのはいかにお互いが素晴らしいかである。
幸福と平和の話題が一番好きなのである。
ホッとできるニュースが欲しいのである。
喜びを分かち合えるおしゃべりをしたいのである。

自分のしたい話と正反対の話題を提供して自分が褒められたり好かれたりすると思えるだろうか?
今はまず明るいトピックを提供しなくてはならない。
これは世間に対しても家族やごく身近な人々に対してでも同じである。
家の中が明るくなければ明るさの補給は難しい。
今そのときだと思って積極的に取り組んでいただきたい。

あなたには溢れる「愛」が秘められている。
まだまだドンドン出てくる。
「愛」のないところに「平和」は生まれない。
「調和」を見たかったら「愛」を使いまくる事である。
「愛」は「愛」を呼ぶのである。
人々の中で眠っていた「愛」がついに目を覚まし始める。
もっと大きなものだったと解る。
安心して使っていいのだと解る。
何事も慣れである。
一寸でもいいから行動してみよう。
毎日やればすぐに達人になれる。

優しく美しく強く大きく自由に生きていいのだと「本当の自分」からのメッセージが繰り返し繰り返し届くのである。
毎日心の郵便箱を開けて新鮮な自分を受け取ろう。

あなたは「愛」そのものの存在である。
  1. 2007/04/18(水) 21:51:54|
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主君

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サムライはどんなにボロボロになっても主君の元に戻ってこなければならなかった。
「立派なご最後でした!」という報告を受けても主君にとっては何の役にも立たないのである。
腕や足を一本失っても口を利ける存在であったらまだ下のものを動かせる。
武将の一人として数に入る。
死んでしまったら味方の軍勢は小さくなってしまう。
傷を負っていても強い武将は恐れられる。
サムライとは惨めな姿になっても生き抜かなくてはならない存在であった。

一番難しいのは引き際であった。
前に攻めているときは勢いで飛び出す。
しかし、少しでも危なくなると敵に後ろを見せるのは危険であるが、上手に退かなくてはダメージが多くなる。
サムライの腕の見せ所はいかに何時どのように退却するかである。
敵の首を上げて悠々と帰路につきたいのはやまやまであるが、自分の身を守らなくては何の手柄にもならないのである。

現在のあなたの主君はあなたである。
あなたは「本当の自分」にどれだけ素晴らしい働きをしたか報告する。
そしてどうも雲行きが危うい時は上手に身を退いて「本当の自分」に戻って来なくてはならない。
「本当の自分」は働き者の自分に感謝し、「しばらく骨休めするように」取り計らってくれる。
生きていることがなにより大切なのだ。

現在は戦乱の世ではない。
落とさなければならない首は無い。

あなたにとってあなたが一番大切なのである。
どうも理に合わない状況におかれてしまった場合でも何とか抜け出さなくてはならない。
賢く「知恵」を持って行動できるのが理想であるが、自分を守るのに理屈はいらない。
あなたは非常に大切な存在なのである。

「本当の自分」には泉のような尽きる事のない可能性が秘められている。
無限の生命力があるのだ。
あなたは今それを発揮できる!

一寸くらい傷ついたのがなんであろうか。
傷が癒えたらまた立ち上がればいいのである。
あなたの主君はあなたなのだから焦らなくていい。
丁度いいときにまたあなたに相応しい素晴らしい働きが出来る。

魅力的なあなたが、あなたの作品が、あなたの言葉が、あなたの行動が今また世の中に受け入れられ愛される。
一度もそんなことがなかったという人も、今度は本当にそのチャンスが来たのである。

「本当の自分」とは「生命」そのものなので全てと一体なのである。
「善」と一体なのである。
「愛」と一体なのである。
「真」と一体なのである。

すごいことを今日突然やらなくてもいい。
自分の本当の情熱の火を絶やしてはいけないという事を憶えておいていただきたい。
「美しい愛」が燃えている。
いつでも消えることなく燃えているのだ。

私たちが一体になるとすぐに大きな情熱の炎になる!
寒かった心をみんなで暖めよう!
  1. 2007/04/17(火) 21:30:14|
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あなたの命

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命が大切である事はどれだけ書いても書きすぎるということは無いのである。

平均寿命が87歳ですといわれたからといって87歳の誕生日に死ぬための準備をする人はいない。
自分の命はどこまで続いてもいいのである。
誰かが決めるものではない。

医者が「もうあと数週間の命です」と宣告したとしても、あなたは自分の「生命」に問いかければいい。
もっと堂々と生きるにはどうしたらいいか?
自分の命なのである。
遠慮なく「生命」と話し合ってもらいたい。
誰かのために生きているように見えてもあなたは自分の命のために生きている。
今こそ「本当の生命力」を引き出して使っていただきたい。
もともと自分のものなのであるから手続きは要らないのである。
「出て来い!」と命令するだけでいい。

「本当のあなた」を発揮できているか?
今、可能性をもっと引き出すチャンスではないのか?

家族に負担をかけるからとか、こんな自分はもうこの辺でいいのだ、などという事は全部窓の外に捨てて「生命」のみを見つめて欲しい。
あなたの人生はあなたのものである。

あなたは素晴らしいのである!
あなたは「愛」そのものの存在である!
今までもし誰もそれを認めていないとしたら、まず今あなたが認めなくてはいけない。
あなたは全ての権限を持っているので、あなたが自分を見捨てたらあなたの存在をすぐ傍で見続けている守護霊だって何の手も出せないのである。
それでも彼らは最善の働きをしている。
あなたは自分を見つけたとき利用できるものは山となって待っているのである。
愛してくれている人は世の中に充満しているのである。

あなたは枠を外して扉を開け、大きく本当の自分の姿を抱きしめなくてはならない!
今がそのときである。

私の文章は申し訳ないくらい単調なのである。

あなたは素晴らしい輝かしい存在である!
あなたは素晴らしい輝かしい存在である!
あなたは素晴らしい輝かしい存在である!
あなたは素晴らしい輝かしい存在である!
あなたは素晴らしい輝かしい存在である!

あなたがそれに気が付いたとき全てが始まるのである!
  1. 2007/04/17(火) 00:13:23|
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不当な出来事

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ガンジーはシャイな少年だったらしい。
英国で法律を勉強し弁護士の資格をとった後もシャイな性格は直らなかったということだ。
しかしある時、南アフリカでビジネス・トリップのため一等の乗車券を買い一等車に座っていることをある白人乗客が咎め、車掌たちにマリツバーグという駅で強制的にホームにほっぽり出されてしまった。
凍えながら、怒りに震えながら、この駅で一晩過ごさなくてはならなかった。
この旅ではまだまだチャレンジが続き、人種差別の改善のため、ついに彼は人々の前に立って堂々と発言をするようになった。
彼の引っ込み思案な性格は一変した。
彼の演説を聞こうと人が集まった。
英国も世界も彼の言葉に耳を傾けるようになった。
そして「死んでも死なない存在」になった。

「本物のガンジー」が殻を破って現れた時歴史は変わったのである。

「本当の自分」が殻を破って登場する過程で不幸な出来事を体験するように見えることがある。
不当に扱われているように見えることがある。
それは実はあなたはもっと大きなことが出来るから「大いなる力」が後ろからプッシュしているのである。
くじけてはいけない!
あなたはできるのである、やり通せるのである!

今、素晴らしい機会が与えられている。
ここでやってみる。
あなたは「愛」そのものである。

ガンジーのような大きな愛は持っていない、と言ってはいけない。
「愛」は同じである。
みんな「愛」そのものの存在である。

そして自分のやり方で行動できる。
無理矢理他の人と同じに行動しなくても良い。
協調は必要だが、「愛」から発している行為で独特な個性的な行動が生まれてもいいのである。
人々は感動する、感謝する。
つながりを感ずる。

一生懸命に毎日やっていると思っていても、天が「さあ、もっとできると確認して御覧なさい」と促すようにさらなるチャレンジを送ってくることがある。
それがなかったら次の大きな動きは獲得できないのだ。

心配しなくて良い。
あなたは出来る人なので自分の素晴らしさを引き出す手伝いが現れるといっているだけだ。

ちょっと大変なことが続いていると思ったら「真の愛」と紙に書いてポケットやハンドバックに入れて歩こう。
寝るときは枕の下に挟んでおこう。
「愛」は守ってくれるし癒してくれる。
そして全てを動かしているエネルギーも「愛」である。
「本当の姿」を見続けると必ず結果が出る。
  1. 2007/04/15(日) 23:50:42|
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必要

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原始人類は水や食べ物を入れるものがあると便利だと思って器を作り出した。
雨風から身を守るために住居を工夫し始めた。
必要が認識され発想がありそしてそれが現実の世界に生まれだした。

あなたも存在の必要が認められ綿密な計画によってこの世に現れた。
必要とされるものがこの世に出現する。

多分100年前の日本の家庭ではどこも七輪や火鉢が使われるのが普通であったであろう。
コタツも炭火であったろう。
今では多種のエネルギー源で暖房や調理を行なう事ができるので各家庭のニーズによってガス、電気、太陽熱など使い分ける事ができるようになった。
私の子供たちは七輪や火鉢を見たことがないと思う。
次のものに改まる時に必要とされなくなったものはだんだんに姿を消す。
新しく必要とされるものがドンドン登場する。

過去生があるとしても私たちは今「新しい人間」である。
必要とされているので生きている。
世の中はあなたの存在が必要なのだ。

自由発想により私たちの職種も増えた。
新しい職種名がドンドン必要になってくる。
それが出来る人がドンドン現れる。
世の中に必要とされて新たな職場を開発できるのである。
もしくは今の職場を必要に応じて改新できる。

「必要は発明の母」というが、あなたは必要とされているものを今発明していいのだ。
発明者ではないからとか深い知識は持ち合わせていないからと遠慮する事は無い。
思いついたら物でもサービスでもドンドン開発して、特許の取れるものはそのやり方で、そうでなくても心配せずに自分の案を現実生活に役立てよう!

あなたは新しいアイディアから生まれてきた。
人間の生まれ方は同じだと思われるかもしれないが、実は色々過去の経験を生かして、今回ここでもう一度人生を味わうに当たり、今まで以上の素晴らしい人生を皆と分かち合うために新しいプランによって登場しているのである。

あなたは必要とされている!
あなたがあなたらしくそのプランを実現化することを!
そしてそれが誰のためにも役に立つものである事をあなたはすでに知っているのだ!

あなたが必要とされているのである。
いま、あなたの存在はとても大切なのである。
そう思えなくても本当にそうであるので論争にならない。
もっと深く自分をとらえた時どんなに大きな自分であったかわかる。
小さいところに留まってはいけない!
初めから大きなものであるのだ!
必要ないものは発想自体が生まれてこない。
あなたはとても必要なのでここにいる!

自分が自分をもっと活用していいのである。
自分の中から答えが出てくると信じていいのである。
あなたは必要とされているので与えていいのである。
与えられる立場なのである。
あなたは大きく深い!

今ここであなたは世の中の強い必要性によって存在している!
  1. 2007/04/14(土) 21:52:39|
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信じ切る

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セリヌンティウスはほんののチラッとだけ「もうメロスは帰って来ないかもしれない」と疑ったのだった。
メロスが一途に走りぬく男だと誰よりも知っていた唯一の親友でも、自分の命がもう無いかもしれないと思った瞬間疑いの雲が通り過ぎた。

「信じ切る」というのは本当に度胸のいる事である。
でも今日からあなたは信じ切って生きていかなくてはならない。
あなたは全てを持っているのだということを!

メロスは走りぬいた!
メロスは約束を守った。
あなたもできる!

そしてもう沈んだと思っていた夕日は見る場所によってはまだ美しく輝いているのであった。
光は実はいつもどこかで輝いているのである。
去ってしまう光は同時にこれから来る光である。

光は見る角度によってどこからでも射して来る。
新しく見る角度によって、知らなかった情報によって、私たちの考えが変わり明るい希望の光がさす事はよくある事だ。
最後の最後まで「私はできるのである!」とやり続けることは何よりも大切である。

「ダメかもしれない、、」とあらかじめ言い訳や第2案を用意している人たちにはなかなか真の幸福や健康はやってこない。
賭けではない。
信じ切ることが大切なのである。

もしあなたが今病気であったら、「治る!」と信じ切り、治らなかった場合の計画を立ててはいけない。
もしあなたに恋人が見つからないまま長い時が過ぎていたら、「一番いい人が見つかる!」と信じ切り、その後の楽しい生活を想像して活き活きと暮らし始めよう。
暗い顔をしている人と是非付き合いたいと思う人はあまりいない。

くじけそうになっても走り抜くのだ!
一寸のことで落ち込んではいけない。
大きな目標は達成するのに時間がかかる。
だから面白いのである。
信じ切らなくてはいけない!

「この人の中にはピカピカの美しい魂があり、どこも穢れたことは無いのである」ということだけをもって私はヒーリングにあたっている。
私はあなたの本当の美しさを信じ切っている。
「生命」は病気にならないことを信じ切っている。
だから引き出せるのである。

あなたは今自分でそれができるのである。
自分の「生命」なので人の助けなど借りなくても堂々と「生命力」を引き出すことが出来る!
「知恵」を引き出すことが出来る!
全てあなたのものなのである。
誰にも遠慮はいらない。
堂々と美しく輝くことが出来る。

自分を「本当に素晴らしい存在!」と信じ切らなくてはならない。
あなたしか居ないのである。
あなたがあなたを信じ切ってあげなくては他に誰も居ない。
今、あなたは「本当の信頼」が何かわかったのである。

命がかかっている時こそ本当に信じ切らなくてはならない!
あなたには「生き抜く力」がある!
  1. 2007/04/13(金) 21:43:11|
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最後の一秒まで

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残念ながら人間として生きている間は最後の一秒まで「これでいい、もう何もしなくていい」と落ち着く事はできないのである。
可能性は最後の一秒まであるのである。

「幸福」や「平和」は積極的存在なのである。
愛することをやめるわけにはいかない。
黙ってじーっと動かないでいるのが平和な状態ではない。
消極的に何もかも辞退してガマンするのが調和では無い。

モチロン疲れたら休んでよい。
これは積極的に自分に休養を与えているのであって、時間をとり次に起る一連のアクションに備えるための準備期間である。
温室に自分を入れ必要な栄養と光のみ受け付け、その期間は激しい雨風を避けるのは「知恵」から発する行動である。
どのくらい長くても心配は要らない、しっかり静養していただきたい。
準備ができたときに外の世界はまたあなたのものとなる。

諦めた時はもうそこに留まることはできない。
何故なら世の中はいつも動いているので、止まっているという事は不可能であり、自分は留まったとたんに後退している事になるからだ。
言葉の上では「自分はもうこれでいいのだ」と満足そうにいったとしても実際にギブ・アップしたのではないか考えてみよう。
現状を維持すればいいのだと思うのも一寸危険である。
まだまだ改良改善の余地は絶対にあるのだ。
子供たちはドンドン大きくなる。
同じ時間というのは無い、だから現状の維持とは不可能な事だ。

生活でも仕事でも夫婦や恋愛関係でも「これでいいのだ」と思ったときに注意を払っていただきたい。
納得している時は停滞している時ではないか?
積極的に「愛」と「知恵」を持って取り組んでいるか?
惰性で物事をし続けていないか?
相手を「これくらいのものである、これで満足しているはずだ」と枠に嵌めて考えてはいないだろうか?

いつでも自分はまだダメだと思えといっているのではない。
まだ深い可能性を秘めた自分でありながら「このくらいでよい」と自分の無限の愛と力を出す事を怠けている人が多すぎるので助言をしているのである。
もっとあなたは大きくて力強い!
人間のできる事はなんでもできるのである!

サーファーたちのように大波が来るのをうきうきと喜んで待ち構えている人たちは常に新鮮である。
波なんか来ないほうが良いと思っても丁度いい波はあなたを育てるためやってくる。
「波を掴んでやれ!」と積極的に生きるほうが良いではないか?
積極的に大波を選んだ北斎は今でも世界中で愛されているのだ。

予期せぬ人員整理などで突然仕事がなくなってしまうと慌てるのであるが、このとき自分には大転換の波が到来してくれ、ついに今までの自分を整理し洗い流せるチャンスだと思って喜んで受けいれよう。

自分から心のお掃除を積極的にすると波を起こしたくさえもなってくるのである。

波でも竜巻でもいい。
ダメージのために行動するのではない。
もっと「幸福」にもっと「平和」に「愛」に溢れた世の中のために貢献するのである。
留まってはいけない。
何かしなくてはいけない。

「私はこのくらいでよい」とお考えだった方は、今日すっかり改めていただきたい。
あなたはまだまだ未知の存在である。
開発すればするほど驚くほどの才能が発揮されるのだ!
あなたは息をしている限り宝の宝庫なのである!
  1. 2007/04/13(金) 00:46:40|
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聞き役

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15年前、結婚する一年ほど前にHarville Hendrix著"Getting the Love You Want"を読んだ。その後彼の"Keeping the Love You Find"も読んでみた。

ヘンドリックス博士はカップルのセラピストとして有名だが、この本から学んだ事は夫婦や恋人でなくても応用できる。

二人の間でどこまでコミュニケーションがキチンと行なわれるかによって無用な誤解や失望感が避けられるのだ。
この本ではお互いに時間を決めてその間は感情をはさまず言葉をさえぎらず、しっかり相手の言う事を聞き、さらに「あなたが今言った事はこうですか?」と自分の言葉に置き換えて聞きなおす方法を紹介している。

例えば、「何か頼みたい事があるといつも『あとで!』と言われてしまうので悲しい。」と一人が言うと
「そんなことは無い!いつも聞いている!」と言い返さずに、
「あなたが言っているのは、私に頼みがあるときにいつも私が忙しそうにしているということですか、そして断られたと思うことですか?それが悲しいと言っているのですか?」
という具合に相手が言った事を答えるのではなく、違う自分の言葉に言い直してそういう内容なのか聞くのである。

「そうです、忙しそうにしていて私には時間がとれないように振舞っている。」とか、
「いいえ、『あとで!』という荒っぽい言い方が私を軽く扱っているようで嫌なのです。」とか、
「『あとで!』という言い方が子供の頃親に扱われた時とそっくりなので嫌なのです。」とか、最初のコメントからは得られないもっと正直なニュアンスが解る。

愛する人を傷つけたくないのでこちらも「口癖になっていて申し訳なかった、会社から帰ってくるとまだ頭に仕事のことが残っているのでまずホッとしてから家の用事に取り掛かりたいと思ってのことで、傷つける気はなかった。」
などと言えたりする。

例を書いていると長くなりすぎるのであるが、これは親子でも簡単に利用できる。
「学校がつまらない、、」と子供が言ったとしたら、
勉強が面白くないのか、学友が意地悪をしたのか、先生が他の子をひいきにしているように見えるのか、行き帰りの道は他の子と離れて一人で歩く事になるので寂しいのか、本人がもう少し詳しく言ってくれるように感情をはさまないで
「学校が面白くないのね?」と聞き返してみよう。
次に子供がなんと言うかで実際に問題点になっていることがもっとよくわかる。

聞き返すときにすでに自分の意見を入れないこと。
夫婦間でも職場でも友人関係でも親子でも、常にベラベラしゃべっているからお互いに理解しあっているとは限らない。

これから5分間は自分の感情をはさまずに相手の言うことだけ聞く、という約束をして相槌を打つときは「あなたの言っている事はこうですか?」と自分の言葉に置き換えるだけで批判など入れないこと。
相手に賛成するかなどはまず次の問題として聞くことに徹する。
これによって驚くほどの理解度が増すのである。

Thich Nhat Hanhのリトリートでも虐待を受けた人のため癒しのグループ・セッションがあったが、10人くらいの人たちが輪になって座り、この時間の約束事は自分の体験を話したい人はまず合掌をして「これから話します」という意思表示をし語り始める、残りの人たちはとてもサポートになること以外は一切発言してはいけない事になっていた。
全員聞き役になる。
誰にも話せなかったこと、長い間苦しんでいた事を安心して話せる場を与えられた。
すごく静かに進むが、深く重苦しかった経験が暖かく受け入れられる空間であった。
ここでは誰も何も口を挟めないような体験談ばかりであった。
このくらい深い愛に満ちている空間でも内に込められた深い傷は堂々と発表できない。
他の人の経験談を聞き続けて2日目3日目になってついに口を開いた人もいる。

本心を聞いてもらえるというのはとても大切な事だ。
批判を受けずにまず本当に心の中にあることを安全に出さなくてはならない。
話し始めたトタンから「そんなことはない!」「あなたの思い違いだ!」「そんな弱い事ではいけない!」と意見を言われたのでは、もう誰にも話さないで一生生きていこうと心の底に硬く埋めてしまうのである。
是非とも諦めずにコミュニケーションの方法を考えていただきたい。
これで解るように一人ではなかなか出来ないものだ。
みんなが上手にならなければならない。
ちょっとした練習で相手の本心を聞くことができるし、相手の言い回しや言葉の濁りを解くことが出来る。

自分も何かを伝えるときは誤解の生じない話し方をしているか確かめるチャンスになる。
本当に通じ合えたと感じる時の喜びは何にも換え難い。

今日一日、自分の言葉使いにしっかり注意してみよう。
相手の発言に注目しよう。
大切にゆっくり会話をしてみよう。
もっともっと大きな発見があるはずだ。
  1. 2007/04/11(水) 22:42:46|
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喜び

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自分のしたことで相手が喜んでくれたとわかった時の喜びは大きい。
自分のしたことを忘れたころに「あの時は本当に助かった、ありがとう!」と言われた時の驚きと喜びはさらに大きい。

「喜び」とは愛の行為が循環してさらに深まる。
自分だけ楽しい時と、感謝感激が行ったりり来たりしている時の交歓の満足度は比べ物にならない。
自分が誰かの、そして世の中の、役に立っているとしっかり把握できた時「生きがい」を感じられる。
義務でのみ行動しているときはストレスと疲れを感じるのだが、自分のしている行為が人々の喜びにつながるとなると早くもっとしたくなるのである。

「ひとつ」という事が解ると本当の幸せとは自分勝手な行動からは生まれないと把握できる。
「愛」から出発すると「知恵」が湧き出てくるので、一時的に不可解な行動をとっているように見えても必ず素晴らしい成果をあげることができる。
不可解な行動とは、さらに便利に暮らしやすいように工夫や発明をしている途中というのは工事現場のようなもので不明瞭で雑然としていたりうるさかったりするということだ。

人間は本能で「ひとつ」になりたいという望みがある。
実は「ひとつ」というところから来ているので「ひとつ」になるのは故郷に帰るような心地よさがあるのである。
霊界には肉体は無いので死は無く、殺人は無い。
みんな一緒に存在している。

「ナンだ、もともとひとつの存在か!」と解ると、どっちがえらいとか、先に居たからとか、もっともっているからとかいう理由で優越感や劣等感を感じる事は無くなる。
自分の個性にあった生き方で「喜び」を誘い出す行為を毎日行なえばいいだけである。

家族に食事を作るのも料理屋で働くのも「美味しいものを食べて欲しい」と思って愛をこめて行われる時、「今日これを食べられてよかった!」という反応を呼ぶのである。
家庭で子育てをしている方も、世の中の最先端を進んでいる方も同じである。
「喜び」が無かったら何のために生きているのだろうか?

人が喜んでくれたと解ったとき本当の報酬が得られるのである。
だから、良かったり嬉しかった時はドンドン言葉で表そう。
「ありがとう!」の一言でいいのである。
会えない方は電話でもメールでも一枚の葉書でもいい。
喜びの表現はとても大切なのである。

ただ生きているだけでも誰かの喜びになっているときもある。
「あの人が自分の店に来てくれた!」とドキドキ胸をときめかせている青年がいたりするのである。
だからあなたはただ活き活きと生活するだけでいいのだ。
誰の楽しみか喜びになっているか本当にはなかなか解らないのである。

「自分はなんかの価値があるのだろうか?」と疑ったことのある人は是非しっかり把握していただきたい。
あなたは今すでに非常に素晴らしい喜ばしい存在なのである。
何もできることが無いと思ったらとりあえず笑顔を振りまいてみよう。
お金は一銭もかからないし、髪型も乱れない。

落ち着いて考えてみると身に付けているものでも口にするものでも今では世界中から素材が集まっているのである。
一体何人の人に支えられて生きているか解らないのである。
関わった人全員にお礼を言うのは難しい。

一日の終わりに目を閉じて「今日も一日ありがとうございました!」といって「ひとつ」に感謝しよう。
世界のどこかであなたの感謝を受信して喜びを感ずる人がいる。
そして今日一日あなたが生きていたことを本当に喜ばしく思っている人々がいるのを感じる事が出来る。

あなたは今「喜び」の種であり実である!
  1. 2007/04/10(火) 21:44:02|
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今 始めよう

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今年2007年は「9」の年である。
2+0+0+7=9というように計算する。
去年は「8」の年だった。

「9」は完成、達成、実現、物事の終わりを意味する。
次にまた「1」から出発する。
だから新しい始まりのための終わりである。
どんなに楽しい小説や映画でも終わらなくては次のものを見たり読んだりすることはできない。
突然の終わりではなく終結する、纏まる、成就するといった感覚を味わう年である。

一桁の中では最高の数である。
だから人々の意識も高いところに集まる年である。

「平和」の実現のためについに戦争が終わる。
これは私の希望的予言だろうか?
今現在一心にそのことだけに人生を捧げてくださっている方々がいる。
そして直接参加していないように見えている私たちも毎日「平和」に心の波長を合わせることによって全世界の調和に貢献できるのである。

どの人の命も大切である。
今それがわかっている人たちがこっそり自宅ででも平和祈願の時間を増やすだけで世の中のバイブレーションが清まる。
みんながホンの一寸だけでも笑顔を増やすとそれが伝わるのである。
モチロン堂々と祈ったり、大声で笑ったりしても構わない。
まだ慣れていない方は少しでもいいからやっていただきたいなと思って書いたのである。

私はもう亡くなってしまった親友にジョセフ・マーフィー博士の「マーフィーの易占い」という本を紹介されボロボロになるまで使っていたことがある。
その後中国人の書いた易の本も3冊買ったが、結局マーフィー博士の本ばかり使って問題に突き当たった時に参考にしていた。
現在では瞑想をして答えを受ける事にしているのでもう本は使わないが、マーフィー博士にはとても感謝している。
彼の本もその友達が貸してくれたり自分で買ったりして何冊も読んだ。
潜在意識を大いに活用して実際の生活や病気を改善してしまう例がいくつも紹介されていた。

「7」というのが聖数だというのは幼い頃から知っていたがその他の数に意味があるのはよくわかっていなかった。
こだわる必要は無いが知っていると便利な事も多い。

易や占星術を参考にしても行なったことがうまく行かない時があるように見える。
ところがその時その行動をとっていなかったらもっと悪くなっていたかもしれないのだ。
だから失敗に見えたり無駄に見えた体験もしないほうがよかったということは無い。
全部大切な財産になる。
あなたを深く賢く育てるコヤシになる。

今年は大きなまとまりの年なので今まで「どうしようか、、」としり込みしていたことでも思い切ってやってみよう。
いつかは思い切ってやらなくてはならないのである。
だったら「今」やってみよう!
必ず素晴らしい結果が出る!
古いあなたから脱皮する時が来た。
新しい初々しいあなたが生まれる。

まだ慣れていなくても「自分は素晴らしい」と思えるようになって来た。
「本当の美しさ」が見えるようになって来た。
「命」まで帰ると本当の力が発揮される事がわかってきた。
重かった過去が取れ始めた。

サイクルというのはいつもくるくると循環している。
だから暗くてとどまっていると思っていたのに、実は雪の下の春の草花のようにあなたはより大きく咲く準備をしていたのだ!
もう春になった。
長かった冬はやっと終わった!
  1. 2007/04/09(月) 08:08:48|
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無限の富

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4月8日はお釈迦様の誕生日、お花祭りである。

「八」は末広がり、永遠に大きくなる。
"8"は富と繁栄を表す数で、横にするとInfinityのシンボル、つまり「無限」である。

富が無限に約束されていたら、今日明日の小さいお金の心配は要らなくなるのである。
無限にあると解ったら急いで使わなくてもいいし、無限にあるのだから世界中のみんなに分けてもまだもっとあるのである。
永遠に無限にあるのだから誰か一人のものにはならない。
相手を攻めて行かなくても、奪わなくても、みんなに充分行き渡るのである。

そうなれば皆必要なだけ必要なときに使うようになる。
無限にあるといっても人間が使わなければならないものはある程度で充分になるし、いらないものをたくさん買い込み押入れに山ほどしまいこむ事はバカらしいと気付く。
足りなくなったら困ると思って買い込む必要は無いのだ。
いつでも永遠になんでも手に入る。
無限の富とはそういうものである。

だから、今日自分の銀行口座に預金額が少なくても、無限の富を引き出せる人には心配がない。
いつでも本当に必要なものは手に入ってくる。
そして魂の大切さを把握して自分は素晴らしい存在だとわかると、全てのものを一番安い値段で買うべきだとか、質の高いものは自分に見合わないとか、質素なのが何より美しく気高い事なのだ、という枠が外れる。
自分が貧乏だと感じる瞬間は無いのである。

聖者があっさりとした衣に身を任せていても非常に高貴な雰囲気を漂わせるのは彼らが無限の富を持っているからだ。
個人財産がなくても草を枕に寝泊りしても、彼らの心の中は溢れる豊かさで満ちている。
そして最高級の織物を出されても前日まで王位についていたかのごとく悠々と着こなせるであろう。

無限の富を手に入れるにはどうしたらいいだろうか?
宝くじは一回当たっても無限の富を約束してはくれない。

無限の富は「命」の大きさを知ったときに手に入る。
命には値段がつけられないのである。
「あなた」は「無限大の富」の価値があるのだ!
つまり一番高価なものをあなたはすでに所有している。

金のなる木を、永遠に金の卵を産み続けるガチョウを手にしているのである。
「あなた」が一番尊くて美しい存在なのである。
「あなた」が消えると世界は消えてしまう。
こんなに素晴らしいものを生まれたときから持っていたなんて気が付いていただろうか?
年俸があなたの価値では無い。
学位があなたの価値では無い。
それらは確かに素晴らしい。
しかし、あなたは誰にも値のつけられない無限に輝く存在である。

そのあなたが「じゃあ、ちょっと富を引き出そうかな?」と動き出すと「知恵」が働き、魔法のようにお金や欲しかったものがやってくる。
いっぱいありすぎると意外に邪魔なのである。
だから必要なだけ実現させる。

どんな出現のさせ方でもできるのである。
「知恵」も無限に引き出せるので方法も無限にある。

これはあくせく働くのを辞めなさいというのではない。
「はた・らく」とは傍の人を楽にさせるための行為である。
「愛」を振りまく作業である。
仕事に熱心になって当たり前なのであるが、「富」という事を掘り下げて考えると、こういうことであるとお伝えしているのである。

もう一度おさらいしよう。
無限の富とは「あなたの生命がかけがえのない唯一のもの」だと把握した時同時に手に出来る。
世界にひとつしかない命には値段がつけられない。
無限の価値を持つあなたは永遠に富と繁栄を手にしている。
世界中の人が富と繁栄を手にしているのである。

人生に冒険的要素がないとつまらないので「知恵」を使って宝のありかを見つけるように出来ているだけなのである。
秘密を知ってしまうとなんだか簡単すぎて面白味がない。

自分で発見するほうが面白かったかな?
  1. 2007/04/08(日) 11:27:55|
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自分を変える方法

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「自分」を変えるにはどうしたらいいか?
もう自分の体型も性格も決まっているのではないか?
変える事は可能だろうか?

実はこの世の中はすごくうまく出来ていて、現在の私たちは元素の組み合わせの状況を変えると目の前の現象が変わってしまうのを小学校の理科の時間に目撃しているのである。
そして物質も組み合わされている一番もとのもとの電子世界まで行くと物質ではなくエネルギーだけであるという事を把握できるようになっている。

これを応用して考えてみると固定してしまっている性格の人はいないということになる。
「性格」にもともと形は無い。
状況が変わるとガンコである必要がなくなる、臆病である必要がなくなる、引っ込み思案である必要がなくなる、横柄である必要はなくなる。
いつも怒っている必要は全くなくなる。

何時どこで何をやっても構わないのである。
ただし人の命は何よりも一番大切なのでそれに迷惑が及ぶ事はやってはいけない。
それ以外のことで制限を受けている人は何が邪魔をしているのか考えてみよう。

「私はそんな勇気はありません」と言ってしまう人は勇気とは何か考えてみよう。
今急に「戦場の最先端に立ちなさい」といわれているはずがない。
何が恐ろしくて「勇気」がないといっているのだろうか?
あなたは実は勇気に満ちていて早くそれをやって見たいと思っているのだ!
それが出来たらいいな、と思っているのに「出来ない!」という自分が邪魔をしているのだ。
だからいつもくよくよ悩むのである。
「出来ない」という自分は誰が作り出しているのか。
学校の成績がいつも悪くて自分はたいしたことがないとレッテルを貼ってしまったのか?
親や親戚や教師たちに「あなたは出来ない」という観念を植え付けられてしまったのか?
何回もフラレ続けてもう誰も自分を相手にはしてくれないと思い込んでしまったのか?

子供たちは言語でも動作でも周りの大人の真似をしながら育つ。
それがいつの間にか自分の性格だ、もう変わらない、というところに影響している。
自分をもっと育てようと思ったら理想の人の真似をしよう!
勇気のある人はどういう態度でどのような発言をして生きているのであろうか、観察して真似をしてみよう。
幸せだという人の生活のコツはナンであろうか、そっくりコピーしてみよう。
素敵な人は何を大切に生きているのだろうか?

うじうじしている自分がイヤで変えたいと思ったら、うじうじしていない人を観察してみよう。
やってみてうまく行かない事はあるように見えるが、その体験がなかったら次のステップが踏めないのだ。
科学の実験も「これではうまく行かない」というデータがあるから次にはうまく行くステップを考えられるのだ。
いつまでもデータがないまま何もしなかったら深い研究も深い人生も生まれてこない。

うじうじするのを辞めなさい、といわれて「私の性格ですから、、」というのはただの言い逃れである。
自分を変えるのは大きな事業ではない。
今日ひとつ今まで出来ないのではないかと思っていたことをやってみる、それだけでいい。

生まれて初めてケーキを焼いてみる。
バス停で見知らぬ人が困っているのを一寸だけ助ける。
嬉しかった事があったら葉書一枚のお礼状を書いてみる。
鏡に向かって「今日は綺麗じゃない!素敵よ!」と話しかけてみる。

「自分」しかいないのである。
「こんな性格だし、もう私は変わらない」と決め付けてしまっては一生がもったいない!
どんな事でもできるのである。
自分がしようとしたときにできるのである。

今日一日した事を思い返して「あ、あのことは出来たな!」と思うことがあったら思いっきり自分を褒めてみよう。
小さな毎日のことでいいのである。
「じゃあ、明日はあれができるかもしれない、、」と勇気がでたらもう達人である。
あっという間にナンでもできるあなたが登場する。

気が付くと「大丈夫よ!やればできるわよ!」と笑顔で周囲の人を励ましている自分が生まれているのである。
  1. 2007/04/07(土) 22:50:09|
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恐怖心とは

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恐怖心とはナンであろうか?

私はあるバケーション村で空中ブランコに挑戦した事がある。
全くのド素人でも誰でも体験できるシステムになっていた。
地上4階か5階くらいのところにある足場までとても細い梯子を上がっていき、着いたら「下を見ないで下さい」といわれ幅30センチくらいしかない板の上で持つところを指定されて立っているうちに手際よく両側から安全綱をつけられ、ブランコの下の部分の棒を渡された。
さすがに怖い!!
しかし、下には安全にネットが張られている。

このときホンの短い一瞬であるが「何を怖がっているの? 安全のための装置は全部着いているのだし、もし落ちて死んでも死んだらどうなるか私は知っているはずじゃないの?」と思った。
もうやるしかない。
頑張ってジャンプしたのはいいがそのままスコンと落っこちてしまった。
腕に力が入りすぎていたのでぶら下がり続ける事が出来なかったみたいだ。
下で見ていた私の子供たちは「ひゃ~!!」っとかなり驚いたらしい。
そして私がケタケタ笑いながら安全ネットの中から這い出して降りてくるのをあっけにとられて見ていた。
たたきつけられたように見えてもネットはさすがに柔らかく、全く無傷であった。

何事も力んでは失敗する。
力の配分は必要なだけ出せばいいのである。

あきれている子供たちを下に見ながら、再度登っていった。
「今度は大丈夫?」と毎日サーカスをやっていてすごく体の引き締まったブロンドの若い男性に安全綱をつけながら聞かれた。
名前を聞かれて答えたりした。
余裕である、短い会話までしているのである。
2度目というのはそういうものだ。

2回目はフワーッとぶら下がりブランコの振れに体を任せていると空を飛んでいるようですごく気持ちが良かった。
そこで下のトレイナーがメガホンで「足を棒にかけて手を離して見なさい!」というのであるが、やはりそこまでやるのはちょっと冒険だった。
"NO !! I will come down !"といって手を離しネットの上で2,3回バウンスした。
私は小学校の時鉄棒で逆上がりが出来なくて困っていた子供だ。体操の部類では良い点を取ったことは無い。
私のことを知っている人が一人もいないリゾート地なので出来た事である。
大体頻繁に事故が起きるような構造であったらリゾート地のレクリエーションに提供されているわけがない。
安全に充分考慮されて出来ているのである。
初めから心配すべきでないのだ。

恐怖心というのは「自分が予想もしてない不幸な結果が出てしまうかもしれない」というときに起る。
大勢の聴衆の前に出て大変な失態を見せてしまうのではないか演説や公演を失敗するのでは無いか、と思うと怖くなるが、「来てくれた人は全員早く自分の顔を見たいし声を聞きたいのだ」と思うと張りが出るので緊張はするが恐怖にはならない。

全く違った種族を生まれて始めてみた人間は相手が自分たちを傷つけるのではないか征服するのではないかと恐怖したのだろうが、現在のように世界各国の情報が瞬時にして知ることができる私たちは民族の違う人を紹介されても恐怖心は持たない。

恐怖する対象を理解する事で恐怖心は解除される。

漠然と「2012年になったら地球は滅亡するのだろうか?」と怖れても仕方がない。
もし誰かが意図的に脅かしているなら、その背景を知ることが先決である。
オロオロ恐怖しても何も解決しない。

過去の自分を瞑想で解放し始めると、しこりになっていた親の発言や地域的な風習からも自由になり、「愛」が満ちていれば不安になるものが解けてなくなる事を体感できる。
「楽しみ」を優先すると矛先が変わるのである。

今日から毎日楽しく生活できるように、恐怖とは何かしっかり把握しよう。
絶対に大丈夫!
内容がわかればすぐに解決がつくのである。
後は実行して状況を変えるだけである。

「私は愛されている、生かされている!」と繰り返して何回でも自分の中の幼い子供に話して聞かせよう。
いつでもチャント導かれているし、満たされているのである。
  1. 2007/04/07(土) 03:29:48|
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厳しい愛

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「厳しい愛」とはなんであろうか?
「愛」は優しく暖かいものであるはずだ。

ご自分も目が不自由な20歳のアン・サリバン女史が我儘いっぱいに暴れまわるヘレン・ケラーの教師として雇われ、力ずくで何回も椅子に座らせ、人並みに食事ができるよう身を粉にして躾をした。それどころか家族に承諾を取り庭にある小屋で二人で暮らす決意をし、家族の哀れみと甘やかしからヘレンを離し、「真の人間」であるヘレンを引き出すことに専念したのだ。
サリバン女史が根気よくヘレンの手に"W-A-T-E-R"という文字を伝え、もがきながら逃げようとする三重苦の少女がついに自分が触れているもの、水、と手のひらのシグナルがひとつにつながったときの瞬間は彼女の一生を変えた。
この二人の物語を読んだり映画で観た事のある方は忘れる事の出来ない場面である。
二人の関係は49年も続いたそうだ。

暴力は暴力である。
厳しい愛ではない。

力を使ってでも本人の底に眠っている本当の力、「生命力」を引き出すのが「厳しい愛」の表現である。

親が可愛いあまりに幼児を抱きかかえたままで歩かせるのを拒否していたら、子供は歩かなくてもいいものだと思ってしまう。
親がいつも口まで食べ物を持って行っていたら子供はそんなに食べ物に興味を示さない。
お腹が空いたころちゃんと食べ物が現れるからだ。

危ない事のないようにごく近くで見守っていながら、必要以上に手を出さないのが賢い母である。
少しくらい散らかすのが多くなろうが自分でやろうとしていることに制限を加えないのが子供を伸ばす事になるのであるが、ストップをかけるタイミングは「知恵」から生まれてくるべきであり、親の都合で怒鳴ったりお仕置きをされるべきではないのである。

「愛」は「愛」である。
その時々に表現が違っても本物の愛は変わらないのである。
そして「本物の愛」は「知恵」を伴う。
「知恵」とは知識では無い。
深く広い愛をこの世に体現するためにどうしたらいいのか内側から沸いてくるインスピレーションである。
だから一人一人の人に対して話しかけ方や躾やコーチの仕方が変わってくる。
全く同じ人は二人としていないのである。
指紋が一つ一つ違うように私たちは全員個性を持った人間であるので同じ親の元に生まれた兄弟でも育て方が違ってもいいのである。

本当の愛から出発している時には不公平はおこらないのである。
その人に必要なことが行なわれるのである。
「愛」は足りなくなる事は無いので自分は注目されていないなどと思う事は無駄な心配である。

「獅子は自分の子を戦塵の谷に突き落とす」というのであるが、百獣の王となる獅子を育てるのに平和な美しい野原においておいては逞しい勇敢な子は育たないからであろう。
親が厳しい態度をとるときは、必ず子供が大きく成長し世の中の上に立って雨風を受けても根底に流れる「愛」を持って人々の役に立つ立派な姿を信じているときである。

「愛」は厳しく見えるときもあるということであって、厳しいのが愛ではない。
「愛してる」といわれても、どうもいつも居心地が悪いとか痛みを伴う時はすぐにその状況から身を離していただきたい。

「観ててあげるから自分でやって御覧なさい」といってくれる人は貴重なのである。
そして音を上げないで一緒に走ってくれるコーチもとってもありがたい存在なのである。
「もう、何回も繰り返させて!少しは休ませてよ!」と思っても絶対音を獲得するまで根気よく練習させてくださる先生はあなたが絶対にできる人だと信じて導いてくださっているのである。
  1. 2007/04/06(金) 00:22:29|
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再確認

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ヒーリングを行なっているとある時不思議な現象に気が付いた。

ヒーリングで取ったはずの同じ問題が一寸だけ戻ってくるのである。
「治っているはずなのに同じ問題でチャレンジを受けるのは変だな?」と思われるであろうが、これは実は本当に超えられたのであるということをご自分でわかってもらうために起る事が多い。
つまり、「あ、もうイヤだと感じなくなった。落ち着いた目で対処している!」という自分を把握していただくためである。
これは本当に喜ばしい事なのである。

嫌な事、苦しかった事、痛かった事、もう二度と味わいたくない事は繰り返されないが、一寸だけ似たような状況や体験があってその時自分がどう対処しているのか客観的に観ることができるのである。
そして少し興奮してしまっても冷静さを取り戻す時間が以前より数倍早く来るのを把握できる。
「随分生長したじゃない!」と自分を褒める機会ができるのだ。

そして以前より「知恵」や「本当の自由」が加わっているので対処法がひとつだけに限られず、何通りにも考えられるし、相手の立場もよく解るようになる。
モチロン相手が不正をしている場合は「よく解る!」といって不正行為を許してはいけないのであって、賢い対処法を持って相対さなくてはいけないのであるが、自由発想が加わると通り一遍の道徳観だけではない大岡裁判のような人情の加わった言葉や行動が自分の中から沸いてくるのである。

「枠」と「縛り」を解くのが私の仕事だ。

開放的に生きても人とはぶつからない。
本当の自由とは「好き勝手」をすることではない。
命から噴出しているエネルギーを喜びのためにこの世の中で表現する事だ。

「伝統」や「しきたり」と「枠」「縛り」は違う。
伝統的な世界でこそしきたりを踏まえた役者や技術者が何より自由な表現を持って私たちに最高の「美」を提供してくれている。
そして「生命」の輝きのあるところには噴出してくる素晴らしいエネルギーのため、新しい発想で今までの型がやぶやれることもある。
それの繰り返しである。
時代によってスタイルが違うがそれぞれに素晴らしいのである。
「今」が大切なのだ。

大きくなった自分、知恵をいくらでも引き出せる自分、愛を恐れなくなった自分はもしまた恐怖心がわいてきても「あ、こんな事は心配しても仕方がないことだ! また上手に切り抜けられるし正しい行動をしていれば助けはどこからでもやってくる!」と堂々と胸を張って言い切れるのである。

あなたを傷つけられるものは一人もいない。

あなたが「傷つきたい、、」という芝居をうっているのなら今すぐ辞めていただきたい。
そのメロドラマに幕が下りたとき「なんだ、私ってナンでも演じられる凄い才能があったんじゃない!?」と面白ろおかしく拍手してあげて、今度は絶対に傷つかない自分を演じていただきたい。
それが本当のあなたである。

自分が自分の人生の台本を書いているのである。
どれだけ面白くしても結構だが争いは書き込まないでいただきたい。
どれだけ人を笑わせる事ができるかの挑戦などに取り組むのも一案である。

「笑いが多すぎて毎日腹筋が痛くて困ります!」という苦情はヒーリングの仕様がない。何とかガマンしていただきたい。
  1. 2007/04/05(木) 00:00:32|
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Beautiful Dreamer

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Beautiful Dreamer, Awake Unto Me !
Beautiful Dreamer, Awake Unto Me !

1864年1月のある日、死の数日前に、スティーブン・フォースターはこの曲”Beautiful Dreamer"を作詞作曲した。37歳であった。
1848年に「オオ!スザンナ」を発表し、その後1855年までは名声と成功の頂点を極めた彼も、美しい曲のイメージとは裏腹に精神の乱れがひどく、再起をかけて出て来たニューヨークは時代的にもとても厳しいところであったのだろう、理解深く優しく見守ってくれる人が必要なときに逆に追い詰められる結果になってしまったようだ。

きっと錯乱状態の中にあってまだ若いのに死が迫っているのを感じたのであろう。
自分の中に「美しい夢をみる人」の目を覚まして、もう一度人生がやり直せないか切実に願っているようである。

一般にこの歌を歌う人にはただの非常に美しい歌詞とメロディーだと思えるのであろうが、ある日私はフォースターが亡くなる直前に書かれた曲である事、酒乱で結婚も失敗し、永住しているHomeも無かったことから、天才によくあるパターンの極度な落ち込みの中で作曲された事を知り非常に感銘し好んで歌うようになった。
この歌を歌う事でフォースターやその他の一般の生活に馴染めずに苦悩の中で亡くなってしまった天才たちを供養できるような気になった。
なによりも自分の中の"Beautiful Dreamer"に目覚めて欲しかった。

美しい音楽は永遠に愛されるのである。
もう人々は彼らがどんな思いをして生きていたかは知らない。
純粋な詩と清みきったメロディーを聴いて活力を甦らせてもらうのである。

自分の中に"Beautiful Dreamer"を甦らせる!

Then will all clouds of sorrow depart,
Beautiful dreamer,awake unto me !
Beautiful dreamer,awake unto me !

悲しみの雲は消えるのである。
素晴らしい生活を信じられる自分、希望を失わない自分、新しい事を始められる自分、愛する事を怖れない自分、美しさを認める自分、転んでも迫害にあってもくじけないで立ち上がる自分!
夢を絶対に捨てない自分!
いま呼び起こそう!
そしてお互いが素晴らしい夢を持っているのを応援しよう!

「夢」はそれが人を害する事でなく自然の理にかなう限り必ず実現する!
諦めてはいけない!
今もう一度自分の「夢」を確認しよう!
そしてそれが達成される行程を毎日毎時毎分楽しもう!
  1. 2007/04/03(火) 22:27:51|
  2. 癒し、ヒーリング
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天の知恵

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どの人の中にも「本当の素晴らしい生命」が宿っていて尊敬するに値するし、それを引き出せば病気や困難は瞬時に改善できるということがわかって来ると、「では生まれつき病気や障害を持っている子供はどうなるのであろう?」という疑問に突き当たる。

どんなに深いところにある「真の人間」を認めたところでダウン症の子供は一瞬にしては治らないではないか?
五体に奇形などが生じていたらどうしたらいいのであろうか?

「なるほど!」という答えが待っていたのである。
私たちの考えが及ぶはるか向こうにはさらなる「大きな知恵」が働いているのである。

人間界を見守っている一群の高級霊というのは私たち人間の持っているエゴやプライドと関係のない波長で生きている。
ただひたすら私たちが「愛」を深める事を善しとしている。
人間として生まれたことがない霊が多いのであるが、必要とあらば「愛」を呼び起こすだけのために人間界に姿を現すことがある。
エゴやプライドがないというのはよりよく見てもらおうとか賢く振舞おうとか、人より長く生きたいといった考えがないのであるから、「愛」が必要なところに一時的にどんな様相でも姿を現すことができるし死んでも命が惜しくない。
「死」を超えている存在である。
「生命」は永遠に死なない事をもともと充分知っていて一時的現象としてこの世に現れてくださっているのである。
私たちのために現れてくださったのである。

そうでもない限り命の尊さとかハンディキャップの人たちの困難さがわからなかった、という体験を身を持ってするチャンスを与えてくださっているのである。
そしてさらに医学や技術が発達する。
どんな生まれ方をしても人間としてよりよく生活できるようにみんなが「知恵」を絞って研究開発をするのである。
この子に幸せになって欲しい、というのはどの親も同じ思いであるが、お金で買えない貴重な深い「愛」を関係者が経験するのである。

私たちは光太郎がさらなる大きな深い愛で狂った千恵子を抱きしめている姿を読んで涙するのである。

精神異常の家族を持っていると全員毎日暗く過ごさなくてはならなくなる。
しかし、小さな希望の光が見えたときの喜びは毎日何もなく過ごしている家庭では感じる事の出来ないものだ。
「喜び」や「光」はどこにでもあるのである。
そんなの私たちには関係のない世界だ、美しさだ、幸せだ、なんてとっくに諦めている、という前にもう一度ゆっくり見回して欲しい。
天界は今の私に何を提供してくれているのだろうか?
何か学ばなくてはならないのに逃げてばかりいたのでついに目の前に現れて、それが終わらない限り次にいけないようになってしまった物は何か?
これは罰ではない、ただ焦点を絞って下さっているだけである。
「それに集中して答えを出してごらんなさい」といわれているのだ。

「愛」は限りなく大きく深いものである。
理屈ではない。
全てを生かす力であり、そこから「知恵」が生まれてくる。
容姿を超えて観る目を持つと全てが本当に素晴らしく見えるのである。
勇気を持って目の前にあるチャレンジを受けよう!
必ず大きく大きく開ける!
「愛」を信じよう!
あなたが「愛」そのものである!

あなたは今なんでも出来る存在である!
  1. 2007/04/03(火) 00:33:37|
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April Fool

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April Fool!

「4月バカ」の日である。
気の利いたジョークや小粋な洒落は美しい言葉や綺麗な態度に味を加える人生のスパイスである。
スパイスの強すぎる料理が不味いように、ギャグで言った事が相手を傷つけたりその場の雰囲気を曇らせてしまわないように、常日頃から素敵な言い回しや上品な会話に気をつけておこう。
「さすが!」と思えるような、ピシッと決まったジョークやサプライズのアイディアを持っている方に注意を払おう。
その知恵はどこから出てくるのか?
どんな時でも小気味のいいセリフで笑いを誘いだせる人間になろう!

「バカ」とは何なのであろうか?
「バカにされた!」と感じた時は何が起っているのか?

性別の違いで相手をバカには出来ない。
全員女性から生まれてくるのである。女性は尊敬される。
そして男性の存在がなければ受精は行なわれない。
もともと両性共に優れた存在であるので子孫繁栄が成り立つ事である。
「女のくせに、、」とか「全く男は、、」というケチのつけ方は成り立たない。
両方共に素晴らしいのである。

年令が低いとバカにされるという事はありえない。
次の世代がいなかったら人類は滅んでしまう。
何より尊い存在である。
まだ若いからという理由で扱いを悪くされるというのも納得できない。
学業は順々に進んでいくものなので若いうちに知らないからといってバカにできるものでは無いし、何歳になってからでもどの分野の知識でも本人の興味が向いた時に学んでよいのであるから、今知らないということでバカにされるというのは角違いである。

仕事が出来ないとバカにされるというのも上司の指導や能力にあった適職が与えられていない事が考えられるので本人がバカにされる前に適材適所に人が配置されているか上に立つものが知恵を持ってしっかり管理すべきである。
下がいるから上に立っているのである。
自分を支えている細かい仕事を受け持ってくれている部下には感謝すべきなのである。
才能のない人間はいない。
「あなたはこの仕事を絶対にやりぬくことができる!」と期待をかけられた社員は目を輝かせて仕事に取り組むものである。
自分は職場で生かされているか、改善の余地はあるか考えてみよう。

バカにできる人間はいないのである。
相手をバカだと思ったら、どの部分を批判しているのか冷静に考えてみよう。

「バカね~!」の意味は?
一時的な優越感を味わいたく思って発言したのではないか?
ただの遊び言葉であったか?
それでも内面ではグサッと来るものを相手に放ってしまっているのではないか?
もう慣れてしまっているので何の意味をも持っていないのか?

言葉には力がある。
その波長は私たちに影響が及ぶ。
悪い言葉を使っている親子のそばに電車の中で座るだけでとても汚れた空気をシェアしているような気になる。
すぐにやめてほしい!

自分をバカにしすぎてはいないだろうか?
自分は何にも負けずに堂々とした存在であると自覚しているだろうか?
バカにされる必要も理由もないものである。

改善の要求があればそのことを話せばいいのである。
相手に何が足りないか、欠けているか、柔らかく言葉で伝え、向上するための提案をするべきである。
積極的に共同して問題を解決しようという態度こそ必要なのである。
バカにしてかかって何かが突然解決する事は無い。

笑いは進んで取り入れたいものだが、人を蔑んでおこす笑いは今すぐにやめよう。

「自分」を尊重した時にどの人も大切なのだと解る。
そしてそれぞれが直面している問題がその方の生活の中ではとても深刻なものであるし、必ず解決できるものであるとわかる。
「自分」を尊敬できる人は暖かい目を持って誰にでも対応できるのである。

必ず「愛」を持った言葉と態度で誰にでも接しよう。
「知恵」が泉のように湧いてきて思ってもいなかった解決法が目の前に繰り広げられるのを観よう。
言葉を改めるだけで全く違う世界に住んでいるような気になるのを確かめてみよう。
道行く人が微笑みを投げかけてくれているのに気付くだろうか?
  1. 2007/04/01(日) 23:00:50|
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プロフィール

Liyako

Author:Liyako
松田利也子 Liyako Matsuda
米国NY在住。

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