利也子の日記

スピリチャル ヒーラーとしての活動や文筆物。

無我夢中

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「どうやって切り抜けたのか解りません。もう無我夢中でした。」というコメントがよくある。
大変な最中になんとか生き抜いた人々とか、決勝戦の最後ギリギリで逆転優勝をした人などが使うことがある。

我を無くして夢の中。
無我無心。

では、「我」などは無いほうが生きる力や最高の能力が出るということなのだろうか?
ただ夢の中にいれば初めから苦労などしなくてギリギリの状態に出会わないのだろうか?

自分を無くして暮らそうとしたり、練習や稽古に励んだりして
個性豊かな人間や作品が出来るだろうか?
自分をしっかり持つことは必要なのでは無いか?
なにもかも人の言いなりになり、起きてくる出来事に身を任せていたのではせっかくの自分の人生は無駄になるのではないか?

どんな時に無我夢中の状態になるのがいいのか?
それともそんなにギリギリまで追い詰められないで自分のままで生きていても最高の力を発揮できるようにはなれないだろうか?
安心して調和した生活が送れないだろうか?

「無我夢中」になったとき何の力が出ていたのかを考えてみると答えが明らかになってくる。
あなたの中の「本当のあなた」の生命力と能力が顕れたのである。

やれば出来るのである。
初めから想像を絶する大いなる力があなたに備わっているのだ。
それを持っているのだとも使ってみようとも思っていなかったあなたに、「生命力の蓄えはいくらでもあるのだ!」と内なるあなたが声を大にして叫んでいるのだ。
天からの助けだ、地からの救いだ、と思ってもいい。
いつでも天も地もあなたの立っているところに存在しているのだ。
「本当のあなた」はどこからでも力を得られるのである。
「ひとつ」だからだ。

「我を捨てなさい。」といわれる事があってもどう捨てたらいいのか解らない。
でも、「あなたはそんな表面的な小さな人間ではない、肉体のサイズがあなたでは無い。」とはっきり解ると「あぁ、なんだ、心のこだわりを取っちゃえばいいのか!」となるのである。
身体でも才能でも社会的地位でも人と比べてこのくらいだと思っていた自分を捨ててしまう。

「本当のあなた」はなにもかも持っているのだ。
恵まれている、などという規模のものでは無い。
なにもかも持っているのだ。

そんなこととはつゆ知らず、誰かを押しのけなくては一位に立てないと思ったり、大勢従えていなければ権威がないと思ったり、お金を持っていないと立派に暮らしていけないと思っていた心が今成熟し始める。
もっと違う事があるのではないか?
まだたどり着いていない境地が開発できるのではないか?

あなたの中のあなたはもっとはっきり知っているのだ。
深く掘り下げるように感じても高く上っていくように感じてもどちらでもいい。
「本当のあなた」に身を任せる時間を一日5分でもいいから作ってみてゆっくり「本当の生命力」を感じていただけるといつも抱えている心の波が納まるのが早くなる。
全く違う世界があるのだ。

あなたの周りで何がどう起っていようとも、絶対に平穏で安心な境地が「本当のあなた」である。
目を閉じて「本当のあなた」を呼び起こしてみよう。

「本当のあなた」が現れ始めると何故かもっと個性的になってしまうのである。
あなたしか表現できない最も素晴らしい存在になってしまうのだ。
そして「本当のあなた」は「ひとつ」なので「本当のあなた」の表現は誰にでも愛と平和をもたらす事になるのだ。
結果的に非常に尊敬され重要視される事になる。

不思議だ。
でも本当のことなのである。

あなたの素晴らしさを表現する事があなたは嬉しくて仕方が無くなる。
楽しみが増える。
小さな工夫も大きく輪が広がる。

あなたが愛を持って育てた植物を知らず知らず大勢の方が楽しみに観ている事が解る。
あなたが創ったものを見知らぬ人が何年も大切に使ったり鑑賞していた事がわかる。
あなたが心をこめて書いた手紙が人の命を救っていたことが解る。

あなたが無我夢中に切り抜けている姿を見て心を打たれていた人がいたのである。
あなたは「本当のあなた」を呼び起こしているうちに同時に大きな影響を及ぼしていたのである。
そして「愛」と「知恵」は行動をもってこの世に顕れる事を知ることになるのである。

あなたの中の「本当のあなた」は自由なので「我」が作っていた規制を無くする時のびのびと活躍できるのだ。
明るく輝くことが出来るのだ。
そしてそれは「本当の愛」の力なので押したり押されたりする事無く大きく包み込む事が出来るのだ。

つまり、毎日無我夢中の境地にいるとキラキラ光っているあなたが活躍できる事になるのである。











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  1. 2007/08/31(金) 21:39:29|
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一日あなた

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今日は一日体験をしてみよう。

一日駅長、一日館長といったように「一日あなた」をやってみるのである。
「いつものあなた」が「新鮮なあなた」を連れまわしてあなたの生活を一日体験する。
この場合良し悪しを判断するのでは無い。
ただ新鮮な全くあなたを知らない人としてあなたをやってみるのだ。

まず、「自分はいつもこのくらいの時間に目を覚ますのです。隣に寝ているのは女房です。」といつものあなたが新鮮なあなたに自分の一日の始まりを告げる。
「私のブラシは赤い方です、毎朝シャンプーしています。」と朝の流れを説明しながら行動する。

新鮮なあなたは説明を受けながら家族のために手際よく朝食を用意するいつものあなたを観察し、その短い時間でも「あ、お味噌はあとで買っておかなくてはもうなくなってきた!」などと頭の中にメモを書きとめているいつものあなたの何重にも緻密に働いている機能を観察する。

新鮮なあなたは「何でせっかく作ってもらったものに文句をいっているのだろう、、」と難しい顔をしている家族の表情も初めて観る事になる。
または嬉しそうに「いってきま~す。」と出て行く家族を送り出す。

あるいは何も食べないでギリギリの時間で着替えてスタスタ駅に向かういつものあなたが新鮮なあなたに「こういう時は何も考えていないのです。」などとナレーショーンを加える。
新鮮なあなたは新鮮な目で見ているので本当に何も考えていないのか見通せる。

電話が鳴り「あ、いつもお世話になっております!」といつもの受け答えが始まる。
新鮮なあなたは何をお世話になっているのかなと隣で聞いている。
楽しい会話でも難しい会話でも仕事としてこなしてしまっているいつもの自分の中を新鮮な自分が見回す。
色々な感情が混ざっているのだな、と新鮮なあなたは全部を吸収する。

秋の子供服など今のうちにまとめて買っておかなくては、といつものあなたがバーゲンのチラシなどを見比べて新鮮なあなたを連れて出発する。
「直ぐ大きくなってしまうので買い物が難しいのです。こっちの店のほうが安い割りに質が良い。」などと家計と子供達の活動に相応しい衣服を頭の中で整理するのを新鮮なあなたが見届ける。
一点洋服を買うのにどのくらいのエネルギーを使っているのか、サイズを把握し、値段を比べ、好みの色であるか似合いそうか組み合わせが楽か、新鮮なあなたは初めてのことなので驚きながら一緒に過ごす。

仕事場でお昼ご飯になると居合わせたクライアントと一緒に食べる事になる。
近くの気に入っているレストランに案内するが混み過ぎていないかなどと心配しているいつものあなたが新鮮なあなたに「ここは大抵誰でも気に入ってくれるのです、大切なクライアントなのでチョッと緊張してしまう。」などと解説する。
新鮮なあなたはいつものあなたが当たり前にこなしている事を目を見張るように体験し続ける。

友達とあっておしゃべりばかりしているのです、といういつものあなたもいる。
新鮮なあなたはそれでも今日始めておしゃべりする事になるのでいつもの話題でも興味を持ってしっかり聞く事になる。
いつものあなたの言葉使いを新鮮なあなたがしっかり受け止める。

いつものあなたは一日とても忙しく過ごしている。
誰も見ていないと思っても今日は全く新鮮なあなたが感情も含めてすべてを一緒に体験しているのだ。

一日の終わりにいつものあなたと新鮮なあなたが落ち着いて感想を話し合えるようにしよう。
善悪の判断ではない。
反省会ではない。
感想を話し合うのだ。

どの位真剣に仕事に取り組んでいたか、どの位家族を思いやっていたか、どの位自分の夢のために時間を取ったか、幸福感はあったか、ストレスはどの部分に多かったか?

あなたはあなたでいいのだ。
でも新鮮なもう一人のあなたを連れまわすことであなたは一日を新しい目で見て最後には振り返って話し合うことが出来る。
感想を話し合えばいい。
そのとき「向上の余地があるな。」と思った事は大決心しなくても次の機会に向上する。

何かやるたびに本心を隠して感情を抑えていたあなたも新鮮なあなたに全部観られているのでゆっくり話し合ってみよう。
新鮮なあなたはただ全く新しい視点で観ていただけなのだ。
それだけだ。
罪悪感とは関係の無いものだ。

いつものあなたが気が付かなかった部分を発見しただけだ。
そういう見解があるのだなあ、と受け取ればいいだけだ。

あなたを「一日体験」する。
それはどんな冒険小説より盛りだくさんのドラマなのである。
  1. 2007/08/30(木) 22:15:04|
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合言葉

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「人の命は不思議なものだ。」という事は異口同音で一致しているのに、「だから病気や長年の症状は治ってしまうのだ。」といっても「そういう簡単なものでは無い。」と片付けられてしまう。

「生命」には人間知では説明のつかない力がある。
生かす力である。
当たり前に生きていると、生かす力などということも考えて見ないことが多い。
そしてその生かす力は普通の言葉でさらに呼び起こす事が出来るのだということになるとチンプンカンプンになってしまう。
言葉は世の中に溢れている。
それでも簡単に直らない事はイッパイある。

「生命力」に癒しの力があり、それに気が付くためには正しいパスワードを話しかけることが必要なのだ。
暗号がピッタリ合えばその人の心のドアが開く。
心の内側の自分と外の世界を結びつける「合言葉」が必要なのだ。

愛言葉。

しっかり守っている心の中を開放しなければならないのだから絶対に信じられる言葉を聴かない限りどんな言い訳でもしてドアを守り続ける。
うっかり信じて間違ったものを受け付けてしまっては大変だ。
拒絶し続ける方が楽だ。
自分の問題はそんなに簡単なものではないのだ。
あっさりみんなと同じく片付けられるのはゴメンだ。

しかし、どんなに頑なな人でもそのさらに奥にある「本当の自分」はスッキリと健康で美しく楽しい生活が出来る事を望んでいる。
この頑なな人に限って社交やおしゃべりが上手だったりもするので難しい。
「愛」「知恵」「美」「真」「善」などと並べ続けてもピタッと心の鍵に一致しないときは「開けゴマ!」とでもいう突飛な発想も功を奏するのである。

純粋な心で接し続けていると幼児のようにポロッと本当のことを言ってしまう。
大人だったら傷つけてはいけないとオブラートに包んだ言い方をするところだろうが、前後の関係の無い無垢な発言をしてしまう。
それが「ピンポン!」と正しい音色でドアのチャイムを鳴らすことになるのだ。
だから計算してできることではない。

幼児のような純粋さとは「本当の愛」から発せられる。
だから間違いは無いのである。
シャボン玉を見て「わぁ~!」と追いかけ始めるが良いのだ。
キラキラしたものが綺麗で楽しいのだ。

私は自分の子供達がもっと幼い頃電車やバスで「お母さん、凄く太った人が乗ってきたね~。」というのに対して「そんなこというものじゃないわよ。」と諭そうとしたのだが、私のほうが太るという事は何か悪い事だと決め付けている社会的通念に侵されているのだと気が付いた。
子供にとっては細いものを見て「お母さん、これ細いね~!」というのと同じリアクションなのである。
ただ観たままを伝えただけで何の善意も悪意も無いものだったのである。

身体の線を気にしている人が世の中には大勢いるのだという社交的なマナーは教えなくてはいけない。
でも素直な観察眼は否定するものではない。

あなたが「本当の自分」を顕しはじめ、「知恵」に満ちた言葉で人々に接していく時に、知らず知らず色々な人の硬いドアをノックして、直ぐに開けてはもらえないようでも「もしかして信用できるかもしれない」と鍵穴の向こうから覗いている人の心をほぐしはじめているかもしれない。
無理にこじ開ける必要は無い。
どうもこのままでは埃っぽいと思ったとき相手は外の空気を入れてみようかと思うのである。

あなたは素晴らしい自分の表現を続けるだけでいいのだ。
それが合言葉を振りまく事になっているのだ。
難しい言葉でなくても笑顔でも気の利いたジョークでもいいのだ。
いつの間にか行く先々で自動ドアのようにノックやベルなしでドアが開いてしまうようになる。
「お待ちしておりました!」と歓迎されるまでになるのだ。

だから、
まずあなたが美しく輝く言葉ばかり使い始めるのがいいのだ。
素直な愛の行動をとるのがいいのだ。
たったそれだけで鍵もIDも必要なくいつの間にか周りの人の心を開いてしまう事になるのだ。
心を開いた人は痛みも開放してしまうのだ。

なんにも大したことしていないのに急に友人が増えた、なんてことになるのである。
それが「人間の命は不思議なものだ」ということにつながるのである。
  1. 2007/08/29(水) 22:05:10|
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治り時

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心の傷とは見えないものなので痛くないときうずいていない時は平気に振舞える。
「私は幸せだ!」と普段の生活では難なく笑顔で過ごしているのである。
ところが何か引き金になる事件がおき昔の場面が心の中で再現される。

または、毎日それとなく考えていて改善しようと思ってはいたのだが、ついに今行動しないと本当の深い幸福感は得られないのだと決心する時が来る。

その時はすでに半分以上解決しているのである。
「もうこれを無くするのがいいのだ!これ以上引きずっては生きていけない!」と思ったときあなたはそれを捨て始め、傷は治り始めているのである。

蓋を開けられたらまだ生生しいので絶対に誰にも見られたくないと思っていた傷は実はもうかさぶたになってポロッと取れる状態になっているのである。
しっかり持っていないとどこにも捨て場が無いと思っていた悪感情はただ消えてなくなるだけなのだ。

あなたが決心した時が吉日である。
外的影響で余儀なく癒しのほうへ顔を向けなくてはならなかったとしても、それはラッキーな事だったのだ。
済んだあとで解る事だ。

何よりも面白いのは、全部自分でできると言うことだ。
あなたが捨てよう、もういいのだ、と思ったら捨てられるということだ。
あの人が謝ってから捨てようというのではなく、あなたが「もういらない! 心の重荷だ!」と決定を下すのである。
それでガラッと変わってしまうのである。

「本当の自分」とは誰かに寄りかかって生きて行かなくてはならないちっぽけな存在ではない。
憎しみを持っていたために反抗の力でここまでやってきたなどと言うのではあなたの本当の力はまだ出されていないのだ。

確かに反発した時の勢力は大きい。
でも本当の幸福を実現するのが目標なので誰かもしくは何かに反抗したいために驀進している時は壁に当たる。

「本当の愛」には壁がない。
当たるものも反するものも無い。
「ひとつ」だからだ。

「ひとつ」から発する発想と力を使うと敵は無くなり、ライバルは道場での練習相手のように自分を磨くために必要な大切な存在であることを認められる。
素晴らしい技を持っている人と相対したくなる。
挑んでいくのではない。
戯れるのだ。
そしてお互いにまた新発見がある。
両者とも伸びるチャンスが与えられる。

自分が磨かれるとやはり磨かれている人と交際したくなるので恋人を選ぶ目も変わってくる。
狭い視野を持っていた過去のあなたはもう居なくなってしまったのだ。
「本当の愛」を分かち合える相手だろうか?
自分は素直な純粋な心を見せても相手に批判されないで全部を受け取ってもらえるだろうか?
初めからこことここは目をつぶって付き合おうなどといった計算はしていなかっただろうか?

こことここは見られたくないという部分はさっさと捨ててしまおう。
もういらないのだ。

あなたはそのままで輝かしい魅力を発しているのだ。
醜い部分を隠そう隠そうと努力するエネルギーは無駄なので良い部分を生かそう生かそうとするエネルギーに切り替えてしまおう。

あなたは初めから愛されているのだ。
無条件に認められているのだ。
「本当のあなた」があなたをこの世に送り出したあと放っておくわけが無いのだ。
迷子のままで置かれるわけが無いのだ。
道案内はチャンと与えられているのである。
本当は手を取られて歩んでいるのでいるのだが、自分でやっているように見えないとヤル気が失せるので姿は見えないようになっているのだ。
あなたは導かれ守られている。

だからちっちゃな悩みを溜め込むのは馬鹿らしいのだ。
直ぐに捨て去ろう。
あなたは大きいのである。
偉大な存在なのだ。

ある日、「なんだ、そうか、みんなひとつか、、」とあっさりわかる日が来る。
ただそれだけなのだ。

何かが引き金になって昔の苦しい辛い場面が心の中で再現された時は恐れずに「今が治り時!」とさっさと外に出して捨ててしまおう。
呼吸を繰り返して嫌な思いは出してしまえばいいだけである。
  1. 2007/08/28(火) 21:17:40|
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大きなあなた

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あなたが意識して「本当の愛」の言葉と行動をもって生き始めるとあっという間に愛の輪が広がるのである。

その途中にチョッとだけドラマチックな現象が続く時期がある。
でも心配なく「愛」を信じて通り抜けていただきたい。

簡単な例では、自分の心が整い始めて配偶者や以前に離婚した相手を見る目が変わってきて深い理解が生まれたり、許す事が出来たり、感謝する事が出来たりするようになるのだ。
その過程で問題だった事件を心の中で再現しなくてはならない部分がチョッとだけイヤなのだが、出てきたときには安全な時期だと思って迷わずに浄化していただきたい。
もう一度同じ苦しい体験をするのでは無い。
大きく育ったあなたが迷っていた時期のあなたを導いて「もういいのだ和解しても、苦しむのは終わりだ。」とスッキリ捨て去ってしまう手伝いをするのだ。

幼児期の辛い体験が出てきても同じである。
対象がもう亡くなってしまった相手であっていまさら和解などはできないと思っても心の中で解消できるのだ。
幼かった自分が恐怖しなくてはならなかったことを聞いてあげて一緒に泣いてあげ、「でも、もうそれは終わったことだ。今は抱えて生きて行かなくていいのだ。あなたはいつでも守られている。」と暖かく包んであげよう。
憎んだり恨んだりしなくていいのだ。
憎みや恨みは安心して開放してしまおう。

あなたは今「本当の愛」を持って生きているのだ。
恨み、憎み、苦しみ、悲しみは愛の中では力が出ない。
溶けてなくなるしか選択の余地が無くなる。
あなたは裁きを加えるのではなく、暖かく優しく包み込むのだ。
あなたはどこまでも大きい存在だ。

「生命」にすべてを任せてしまおう。
生きる力がみなぎっている自分を観よう。
「知恵」にすべてを任せてしまおう。
生きる術が自然に現れている自分を観よう。

あなたは大きな輪である。
大きな和である。

自分が好きになり、愛しても愛されてもいいのだと思うとき、以前から溜まっていた感情のかけらがポロポロと出てくるのだが、安心して出してしまおう。
自分だけの安全な場所を見つけて怒りでも悔しさでもさっさと出してしまおう。
それは健康な事なのだ。
出している最中に元の自分に戻ってしまっていると感じてもそれは掃除のあと捨てるゴミを分別しているようなもので、外に持ち出して捨ててしまえばおしまいだ。
感情は物質では無いので涙やため息で出てくる。
大声で怒りを表現するのではなく、紙に書いて安全なところで燃やしたり、人に見られないところで子供のようにオイオイ泣いたりすればいいだけだ。

怒りが溜まっているのに幸福感を追いかけてもなかなか上手く行かないのだ。

セッションのあとメールで「泣くのって気持ちいいですね。」と感想を送ってくださった方がある。
そうなのだ。
出してしまうのは気持ちのいい事なのだ。
その途中痛みや辛さがすこしだけ戻ってきたように見えても「本当の愛」を信じてスッキリとするまで続けていただきたい。
清清しい自分に出会える。
新しいあなたで出発できる。
それが「本当のあなた」である。

そして「愛」の輪が広がる。
こんな人が変わるとは思えなかった人が目の前で変わっていくのが見えるのである。
きつかった言葉が和らぎ、硬かった表情に笑みが浮かぶ。
「愛」は何より大切なのだと内側から伝わっていくのである。
「生命」は何よりも素晴らしいものだと解る。

愛の和を拡げようとしなくても「本当の愛」がわかりそれを中心に生きていると自然に身近な人に伝わっていくのである。
そして同じ現象が次の人にも顕れる。

過去に囚われなくてもいいのだと解る。
小さく自分を閉じ込めていた世界のドアが開かれ世の中とはこんなに広々としたところであったのかと解る。
そして怖れずに愛して信じていいのだと解る。
いつも守られていたのだとわかる。

あなたの世界は限りなく広く深く高く尊いものである。
あなたの美しさは筆では書きつくせないものなのだ。
あなたのことである。
誰かの夢物語ではない。

ドラマチックな体験が続いた時「本当の愛」を強く強く呼び起こし、「これは一番良い方法で解決するのだ!」としっかり信じて通過しよう。
「本当の愛」に間違いは無い。
あなたは賢く、美しく、天にも地にも生かされている存在である。

絶対に大丈夫!
本当にすべてがよくなるのだ。
あなたはもう大きく育ったのだ。
  1. 2007/08/27(月) 22:21:10|
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馬鹿力

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「火事場の馬鹿力」というのがある。
いざというときには普段極度の腰痛があろうが寝込んでいようが重たいものを担いで走ってしまう事が出来るのだ。

私は20年ほど前にある手術を受けてNYでは手術後直ぐ退院させられるので自宅で寝込んでいたのだが、それ以前から引き受けてしまっていた和服のショウにどうしても出演しなくてはならず、どうなる事であろうかと思ったが、とに角タクシーで到着した。
仕度の間も朦朧としていてヘア・メイク・着付けが終わったあとは出番まで椅子にうずくまっていた。
「舞台で真っ直ぐ歩けるだろうか、、」というくらい平衡感覚が無くフラフラであった。

ところがである。
舞台にのったトタン、どこも痛みの無い無理の無い自由楽楽の状態になってしまったのである。
何かを我慢してやっと笑顔を作っているというのではなく、ごく当たり前に優雅に振舞えたのである。

そして舞台袖に引っ込んだトタンまた椅子にうずくまってしまってフィナーレまでなんとか息をし続け、終わった直後は誰よりも早く脱がしてもらい、タクシーの座席に横になって帰ってきたのである。

その後毎日の生活がダンスのレッスンなどを含めて無理なく出来るようになるまで2ヶ月かかった。
その当時はアパートで一人暮らしをしていた。

全く何なのだろう。

舞台は魔物なのだろうか?
現金なヤツだ。
といってもギャラはごく小額だったし、できればこんな仕事はキャンセルしたいと頼んでいた状態だったのに、舞台にのっている数分は全く別次元の心と身体であった。

この体験から、一時的だったにしても、心と身体のコンディションがある条件で全く完璧に整う事が出来ることを知った。
そして何故か、「こっちが現実だ、私は手術を受けたばかりで動けないのだ。」という人間界の通念に沿って生きている自分はその時間帯を経なければキチンと治らなかった。

逆に考えると通念を取り外した時に奇跡的な回復が見られるのだ。
通念があなたを支配しているのでは無いと悟ったとき、本当の姿が現れる。
自由で完璧、そして美しい姿である。

通常これでは治らないとか、寿命です、などと思われていることでも「本当の姿」が出てくるのだと中心になっている「生命力」だけ呼び起こせば、「生命力」は法則の関係の無い存在なのでどのようにでも活き活きとした状態に顕現できる。

体調の事だけでなく、四面楚歌に囲まれてしまった仕事や生活状況も一瞬にして新展開を見るのである。
解決法はどうやって来ると指定するのではなく、スポッと「完璧」な状態が現れて「ああ、大丈夫だ!」と息をつけるのを観ることになるのだ。

身体は「殻だ」「空だ」であり、動かしているのは生命エネルギーである。
このエネルギーにチャンネルをしっかりあわせると滞っていた部分の流れが早くなり汚れは流され活き活きとした自分を観ることが出来るのである。

「何であんな事が出来たんだろう、、」
振り返ってみると驚くのだが、別にたいしたことではなかったのだ。
病気になる心のほうが曲がっていたのだ。
患っているように見えても「本当の自分」はどこも悪いところは無く悠々としたものだったのだ。

これからはいつでも必要なエネルギーが充分出てくるとしっかり信じていれば良いだけだ。

「本当の自分」がいるのである。
まだまだ未知の無限の可能性を持ったあなたの中のあなたである。
人にすがらなくても物に頼らなくても内側からジャンジャン生命力と知恵が出てくるのである。
それを使っていいとも知らなかった自分が今目覚め、どの位呼び起こしていいものなのか恐る恐る試し始める。
慣れてくると面白くなって「じゃあ、幸福も富みも呼び起こそう!」と積極的になるのである。

「なんだ! 私の人生は私が道を開いているのか!」と再発見するのだ。
誰かが「そんな事はダメだから早くやめなさい!」というからもうだめなのだと諦めていた自分が180度回転して「いつ、どこから初めてもいいのだ!」と一歩足を前に踏み出す。

突然変異ではないのだ。
ただ「本当の姿」に戻るだけなのだ。
「本当の自分」が顕れてくるだけだ。

「本当のあなた」は美しい、賢い、優しい、逞しい、清らかな存在だ。
あなたはあなたでいいのだ。
そして奇跡的に見える力はいつでも発揮できる。
  1. 2007/08/26(日) 22:54:28|
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まこと

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落ちてきたら
今度はもっと 高く高く
打ち上げようよ

本当にその通りだ。
ただそれだけだ。
落ちるのを怖がってもエネルギーの無駄だ。
あなたはまた上がるのだし、「本当の自分」は落ちたり登ったリする事はなくただ活き活きと輝いているのだ。

どの人の中にも「まこと」がある。
命である。
生きる力である。

必ずそれが観える日が来る。
本当はもう見えているのだが、何を見たらよくてどう信じてよいか解らなかったあなたが徐々に「まこと」を観ることに慣れ始めているのである。

見るといっても感じるものである。
だからややこしい。
「見えるというのなら証明してください! 私のどの部分がまことですか? あのような人でもまことですか?」
と聞きたくなるだろう。
みんな誰でも「真」なのである。

嘘で固めて生きている人は「本当の自分」が恐ろしい。
そんなに純粋なまことの心を持った自分が出て来てしまったら今までの自分はどうなってしまうのだろうか、と恐怖するのでなるべく隠し続ける。
ところがそれでも「本当の愛」が生きる力とともにその人の内側から湧いてきてしまうのでバランスが崩れる時が来る。

グチャグチャになってしまったように見えてもとてもよいことなのだ。
偽物だった部分が涙やため息でドンドン出て行く。
本当の生き方を知らなかった自分が悪夢から覚めた時のようにポッと消えてしまうのを体感する。
目覚めた直後はそれまで見ていた夢を生々しく憶えているのであるが、夢に力は無い。
すべての力は「本当のあなた」から生じてくる。

よい言葉を使って素晴らしい表現をし始めても罰はくだらないのだと実際に経験し始める。
そんな活き活きとした穢れのないあなたを世の中は待ち続けていたのだ。
初めは照れくさいけど、豊かに自分を表現する事が「まこと」に通じているのだと納得できるのでもう引き返すことは出来なくなる。
あなたは前に進むしかなくなる。

「許された!」と感じるのだが、初めから許されていたのだ。
初めから愛されていたのである。
あなたは誰よりも大切な存在であったし今でもそれは変わらない。

何か特別な事をしなければ受け入れられないのだ、と信じて無茶をやり続けてきた。
でも「そのままのあなた」でいいのだと気付く。
「そのままのあなた」はけっして退屈な普通の人ではない。
命そのままの輝きを発している世にも珍しい世界でただ一人の存在なのである。
夏の太陽より熱く留まるところを知らない情熱のかたまりなのだ。
「本当の愛」そのものの存在なので次々に創造を続ける存在なのだ。
ニュースに載るような発明をしなくても毎日のあなたは奇跡を起こし続けているのだ。

喜びは素直に感じてよいのだ。
楽しみが周りに溢れていたのに気が付くのだ。
みんなただ幸せに暮らしたいと願っているのを認識するのだ。
大きな富がなければ幸福になれないと思っていた自分が解けて無くなる。
富も「本当の自分」の中に無限にある。

お喋りが得意でない人も文章をかくのが苦手な人もいる。
どう自分を表現したらよいのかわからない。

出てくる感情を隠さなければいいのだ。
あなたの瞳が何百倍も光り輝き始め、手で表現できる事は手で、足で表現できる事は足で、いつの間にか体中が黙っていられない状態になるのだ。

素直な自分。
それが本物だ。
ただそれだけでいいのだ。
「本当のあなた」が何より美しい。
純粋なあなたはこの宇宙を作り上げた「知恵」にしっかり結びついているのだ。
だからどれだけでも良いアイディアが引き出せるのである。

どうも落ちてしまった、という時は最高のチャンスである。
今度は「本当の自分」でポンと打ち上げる番だ。
あなたに怖いものは無いのである。
あなたはすべての色を含んでいる透明な光なのである。

「本当の自分」を出した時にこんなにも軽く楽なのであったかと仰天するのだ。
今までの痛みは何であったのか。
苦しまなくてはいけないと思っていた自分はどこへ行ったのか。
もういいのだ。
簡単なのだ。
何も難しいことは無いのだ。
解ったらそれでいいのだ。

まこと。
それがあなたである。
ただそのままでいいのだ。
  1. 2007/08/25(土) 21:40:28|
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月蝕

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もうすぐ月蝕が起る。
大昔の人は美しい満月に黒い影が映るのを見て恐怖した事だろう。
悪魔の仕業かもしれない。
現代では科学的に解明されているので月蝕が不吉な現象だと恐れる必要は無い。

怖れようと思えば恐怖しなければならない事は山ほどある。
けれども悪く見える事はあとで振り返ってみると「あんな事でもなければ自分の本当の力を知る機会は無かった。」という事になるのでただ悪いことだったと言い切れないことになる。
だから、何を見ても怖れるべきではない。

目に見えないうちから不安や心配を始めるのも結局バカらしい。
エネルギーは無駄遣いしないで有効に使おう。
健康なうちに「私に何かあったらこの子達はどうなるのだろう、、」と言う心配は何の役にも立たない。
あなたは活き活きと生きていれば次々に新しい展開がやってくるのである。

首を切られたらどうしよう、というのも同じである。
毎日仕事に励んでいる人を突然首にするということは無いし、会社やクライアントの都合で人員整理をしなくてはならなくてもそれだけ仕事熱心な人であったら他でも是非来て欲しいと思っている。

死んだらどうしようという心配が一番バカらしい。
死んでしまったらどうしようもこうしようもないので、生きているうちにやりたい事をしなくてはならないし、伝えるべき事は今ちゃんと自分の言葉で伝えればいいのだ。
最後の一秒までチャンと生きればいいだけだ。

不安とか心配とか恐怖心は色々な状況で起きて来て消えて行く。
早く消却法をマスターしてしまうともっと人生をエンジョイできる。
せっかくだからこの世を十二分に楽しまなくては損だ。

恋人を奪われたらどうしようというのも同じだ。
そんなことを考えている時間があったらどうやってもっと楽しく過ごせるか深く掘り下げてみるべきだ。
幸せに過ごしている相手が突然他の人に興味を持つはずがない。
あなたの不安感が投影されている時どうも他の人のほうが充実しているように見えてしまう。

あなたがスッキリと自分を好きになり、どんな事が起きても結局いつも大丈夫な結果になることを信じて疑わない時にすべての答えが出てくるのだ。

家族が病気になっても「ああ、そんなのすぐ治る!」と明るく話しかけ「今はゆっくり休むだけでよい。」と安心感だけ与えればよい。
本当にそれだけなのだ。

仕事がオジャンになってしまったら「ああ、きっともっと良いのが来るからこれは関わらなかった方がいいのだ。」ということなのだ。
あなたの才能が突然消えてしまったわけではない。
人望も無くなってしまったわけではない。
ただチョッとだけ新しい風を呼びいれ工夫をしたり見直したりする時間を与えられたのだ。

水の流れのように留まるところは淀んでくるので、あなたがいつも最も美しく賢く清らかでいられるように同じ位置にドテっと居ついてしまいそうなときに何かがお尻を押してくれる。

あなたはいつも知恵に満ちているのに人の知恵に頼ろうとしていたのだ。
あなたは愛そのものなのにまだ外からの愛を欲しがっていたのだ。
勇気は限りなく湧いてくるのに自分は弱者だと決め付けていたのだ。
実はもっともっと出来るのに「このくらい出来れば上等だ。」と枠に自分をはめて込んでいたのである。

もっと大きな自分に生長する過程でテストを受けているような気がするときが度々あるのだが、テストの点がつけられる訳ではない。
誰もあなたに点数はつけられない。
あなたは完璧な最も重要な存在だからだ。
それを早くわかって欲しいので「こんな事もやれば出来る!」という個々の状況が出てくるのである。

あなたは素晴らしい。
あなたは愛に満ちている。
「本当の愛」とはもっともっと偉大なものであるのでそれが顕現されていないとき「何かが違う!」と思ってしまう。
そしてあなたの努力が始まる。

歯を食いしばってというよりは、もっとリラックスして本当の善さを顕してみよう。
絶対に笑ってはいけないという「にらめっこ」を続けていると
ついにはプーっと噴出してしまうのである。
難しい顔をしていても後で笑いこける事になるのだから今のうちから力を抜いてニコニコと取り組もう。

不安感や恐怖感を持ちながらニコニコするのは難しいので先に捨ててしまおう。
大丈夫!
結果はちゃんとよくなるのだ。
あなたは問題を抱えているのではなく、新しい展開をもたらすチャンスを受け取ったのだ。
「なんだかわからないけど、良かった!」と結果を決めてしまおう。
そして必要なことを毎日こなしていこう。

月に6ヶ月に一回陰がかかったとしても「あんな不気味なものは今後一切見るのをやめよう。」という人はいない。
月は月だ。
あなたはあなただ。
一時的に陰がさしたとしても本質的な美しさと魅力が汚されるという事は無いのである。

不安とか恐怖心が起っても「あぁこんなの、すぐに消える!」と思っていれば直ぐに消える。
「本当のあなた」に影は映らないのだ。
あなたは輝くだけの存在である。

太陽も月も仲間だ。

あなたは仲間に囲まれて見守られて生きているのだ。


  1. 2007/08/24(金) 22:10:17|
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昼間の星

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星はいつも輝いているのだ。
でも昼間太陽が出ているときは星は無いように見える。
星は夜出てくるのだ、と思ってしまう。

あなたの輝きが24時間ピカピカに明るく見えていなくてもあなたの輝きが失せているという事は無い。
遠くにある星は太陽より大きいのだ。
地球に届くくらい凄い光を放っているのだ。

あなたはそんな遠くの恒星よりもっと素晴らしい霊的な輝きを持って世の中を照らしているのである。
太陽系の星には太陽が輝かしく見えるのと同じであなたはまずあなたの周りの人にとってとても大切な光なのだ。

どこか遠くの光ばかり気にしなくてもあなたの中にある「本当の輝き」は何よりも気高く美しい発光体から一瞬も絶える事無くピカピカに降り注いでいるのだ。
その発光体自身があなたなのである。
「本当のあなた」なのである。

そして太陽のように「眩しすぎるから日よけのブラインドをかけよう、、」と光を遮断しようとしている人にでも全く同じく微笑みかけるのである。
その人がブラインドを外した時、「なんだ、世の中はどこもかしこも明るいのか!」と認めなおすのである。
あなたはあなたのまま輝いていればいいのだ。

是非とも明るい人とだけ交際したいと思うのだが、誘い水のようにあなたが調和して輝いている姿を見続けていると、光の波長が相手の光を呼び起こしてしまうのだ。
誰にでも「本当の自分」を楽々と発表したいと言う願いがあるのだが、あまりにも恐ろしい事のように思ってしまうのだ。
現在の自分が崩れてしまうのでは無いか、笑われるのではないか、非難されるのではないか、などと心配が先にたってしまうのである。

相手が明るいようであれば自分も明るい面を出そう、というのでは殻を抱えているカタツムリのようでダメだったらすぐにまた安全圏に引っ込んでしまう。
この場合安全圏といっても孤独の世界である。
本当の調和と安心の世界では無い。

傷つくくらいなら一人のほうが安心だ、というのも凄くよくわかるのだが、一生を殻の中で安全に暮らしては勿体ない。
これは家族と一緒に住んでいる人も同じである。
自分の隠れ家を心に持っていてそこに常時逃げ込む。

「本当の自分」とは殻も壁もないのである。
絶対に傷つくことがないからである。
光を傷つけようと思っても何も当たるものがないので成功しない。
あなたは傷つかない存在なのだ。

「心のふるさと」に戻るというのは隠れ家に逃げ込むのとは違う。
「心のふるさと」は愛と調和に溢れている。
マリア様やビーナスがいつも両手を広げて迎えてくれる。
観音様でもいい。
ひたすら柔らかく優しいエネルギーで満ちている。
心の保養の場所であるし、自由な創造の場である。
そこでもっとステキなプランを練るのだ。
もっと光り輝くにはどうしたらいいか、アイディアを汲み取ってくるのだ。

あなたは肉眼に見えなくてもいつもいつも輝いているのだ。
そしてすべての人も輝いているのが観える。
それを是非もっと堂々と出してもらいたいな、と願うのである。
勇気を持って自信に溢れて「本当の愛」を生きて欲しいなと欲するのである。

迷っているように見えてもピカピカの魂が答えにつまる事は無い。
落ち着いて「本当の自分」を呼び起こそう。
あなたの目はさらに大きく開かれる。


  1. 2007/08/23(木) 23:25:38|
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砂粒の壁

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正しい良い事だけしてきたのに何故か壁にぶつかる。
なんでだろう。
どこがいけなかったのだろう。
いつも一生懸命にやっているのにどうしてこういう目にあうのだろう。
いつ終わるのだろう、、、

あなたは今導かれているのである。
正しい、良い、というだけでなく「すべて」という世界をついに理解する時が来たのだ。

「すべて」という世界は正しいもの正しくないものを分けることの無い世界である。
一つしかないのだ。
良い悪いと裁く世界ではない。
どっちが正当性があるということはなく一つのセンセーションだけの世界である。

だからすべてを包み込む大きさがそこから生まれてくるのである。
なにもかも理解できる深い広い知恵が生まれてくる。

みんなの表現が違うのだ。
そして愛の表現に慣れていない人が多く居過ぎるのだ。
ただの幼い純粋な子供だったのに、あれもダメこれもダメといわれているうちに「もうどうでもいい、誰も自分の事なんか真面目に扱っていない!」と拗ねている傷ついた大人が増えてしまったのだ。
どうしていいか解らないのだ。

「素晴らしい! あなたみたいな人に逢いたかった!」と毎日言われていたら自信は快復する。
良い言葉は戻ってくる。
美しい表現には程遠い自分だと思っていたのが素直に純粋な輝きを持った言葉で挨拶も会話も出来る。
「なんだ、自分は極端に外れているのではない。受け入れられていたのだ!」とわかる。

こんな人には精神世界の話題は相応しくない、と思うような人でも中身の魂はピカピカの何よりも尊い光り輝く存在である。
じーっとそれだけ見つめているとあっという間に本当の姿が現れてくるのだ。

医者がもうだめだといっているとか、あそこまで悪い事した人には将来がない、などというのは人間界の話題であって本当の魂の輝きには関係のないものである。
みんな自分の「生命体」の絵にも描けない文字にも表せない清らかさ美しさを観ることが出来たらコロッと考えが変わってしまうのである。

自分の「生命体」が見えたらどの人も同じなのだとわかる。
生命の世界は「ひとつ」だからである。
大丈夫!
いつもいつまでも生き続ける久遠の命である。
いつでもフレッシュで「今」誕生したばかりの存在である。
「ここ」に存在し続ける。

正しいか良いか、で判断するのではなく、「本当の愛」で見つめてみよう。
あなたは今さらに大きく深く広く高く全体を把握する事が出来るようになったのだ。
そしてこの幅を持った見解で厚い壁に見えた問題がただの砂粒の集まりだったことに気が付く。

気が付いたときにさらさらと崩れ始める。
障害物はなくなった。

今日また新しいあなたが誕生する。
毎日が誕生日だ。
世界中があなたを祝福している。
あなたの愛は地球より大きいのだ。

「すべて」はあなたの中にあるのである。
  1. 2007/08/22(水) 20:56:02|
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ああ、よかった!

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ピカピカの素晴らしい魂の世界には不完全さは無いのである。

物質もお金もないし、肉体もないから病気も無い。
嵐も貧困もないし、老齢も未練の続く恋人もない。

そこだけに焦点をあわせて眼を閉じてそのセンセーションを感じていると3次元の世界にも不思議な現象が起ってくる。
安心していいのだ、という内なる声が湧いてくる。

「私の力で改善しなくては!」と力んでいたのが、
「あ、なんだ、もともとは完璧な生命の世界から来ているのだからその力が出てくるように私自身のちっぽけな考えは捨てればいいのだ。」となる。

「人事をつくして天命を待つ」というのであるが、当然責任を持たされている事はしっかりやり通す。
ただし、ここから先は自分の知識や能力ではどうにもならないと思える外的影響でも内側から出てくる「安心せよ!」というメッセージを本気で受け取る勇気が必要なのである。

何年も恋人が見つからないのに「安心せよ!」といわれても不安は消えない。
借金があって払いきれる見込みがないのに安心できない。
子供が病気を抱えているのに安心できない。
自分も身体に故障があるのに安心なんかしている場合ではない。

ところが、まず試しに安心してみたらどう展開するか見てみると考えてもいなかったアングルからポッと助けが現れたり必要なものが登場するのだ。
極端な場合は探していたものや、今は買えないと思っていたものがちゃんと押入れに入っていたりする。
何年も心配し続けてよい結果が出なかったら今度は一日だけでも安心だけして過ごす日を作ってみよう。

「ああ、よかった、もう大丈夫!」と声に出して言ってみよう。
ホーッとため息が出てくる。
まだ肉眼の範囲では問題は片付いていないのだが、「ああ、やっと終わった!」ととりあえず宣言してしまうのである。
そうすると身体が一秒だけでもふと軽くなる。

ちゃんと解決する時がくる、しかし時間はいつも「今」なので先取りして解決した時の安堵感を先に体験してしまうのだ。
そうするとほぐれる。
張り詰めていた感情が出て行く。
もう一度問題を見てみると「ナンだ、今はただ待てばいいだけか!」とか「結局これは取り越し苦労だ。」と外側でザワザワしていた波が納まって内容が明白になってくる。

さて、じゃあ何が出来るか。
一文字ずつ書いて書類を仕上げる。
一人ずつに電話して事柄を告げる。
一歩ずつ歩けるように快復する。

心配しすぎる人はもう心配することにあまりにも慣れすぎていて自分が心配性なのも解っていないのだ。
そういう人に心配を押し付けて好き勝手をやっている人を増長させてしまう。

あなたは完璧な世界を持っている。
あなたの中にある。
何で振り回されてしまったのか反省する前にまずスーッとあなたの「本当の生命」に事柄を任せてしまおう。
その世界には不調和は無いのであなたの世界にも不調和は無い。
その世界には孤独は無いのであなたの世界にも孤独な人はいない。
その世界に貧困は無いのであなたの世界にも貧困は無い。

その世界は愛に満ちているのであなたの世界も愛に満ちている。
その世界は知恵に満ちているのであなたの世界も知恵に満ちている。
その世界は生命力に満ちているのであなたの世界も生きる力でどこもかしこも満ち満ちているのである。

ためしに今「ああ、よかった!」と言ってみていただくとわかる。
肩の力がフッと抜ける。
ため息が言葉と一緒に出る感じがする。

では反対に「大変だ!」と言っていただきたい。
身体は緊張する。

「大丈夫!大丈夫!大丈夫!」といい続けるとついに笑いが起る。

大丈夫!
あなたは完璧な生命に生かされているのである。
もしかして100年しかない命だとしても毎分毎秒楽しんだら何百年分もの喜びが体験できる。
チョッと問題に見えたことでも自分の生長を確認するための期末テストだったと思って終わったあとの楽しさを考えてテストをこなしてしまおう。

ああ、よかった!終わった!
これからは喜びのときだ!
幸せが押し寄せてくる。

心のお掃除をしておかないと「こんな幸せは私に似合わない!」と脇によけようとしてしまう。
あなたは幸せになるために生まれてきた。
もう、こだわりはいらないのである。
たっぷり幸せにならなくては今しかチャンスがない。

今無料で手に入っているものを全部列記してみよう。
日の光、空気、道端に咲く美しい花、愛する家族、あなたの才能、鳥のさえずり、子供の笑顔、、、
あなたの命もすでに与えられているのだ。

生かそうと決めたときに生かせるものは山ほどある。
「こんなに何もかも持っていたのか!」と驚くほどだ。
あなたは安心して生きていける。

ああ、よかった!
もう大丈夫!
よい力がグルグル回転し始めた。

新しいサイクルが今また始まる。
  1. 2007/08/21(火) 22:13:21|
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愛の時間は「今」

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愛が観える。

愛は海で泳ぐ魚であり空を飛ぶ鳥である。
真っ赤な太陽であり永遠になにもかもをを照らし続ける。

愛はあなたである。
「そのままのあなた」が「本当の愛」である。
あなたは愛以外のものになる事は出来ない。
愛から発しているものは所属を変えることはできない。
そして「本当の愛」のほかには産みの世界は無いのだ。

あなたの情熱的な言葉が毎瞬初めて発表される交響楽のように感動の波を呼びおこす。
そしてふと話すのを止めた時にも愛が南国の澄み切った海よりも純粋な透明さをあなたの瞳を通して放たれる。
あなたの熱いまなざしは唇よりも早く大きく語ることが出来るのだ。

きらめく。
かがやく。
包み込み暖める。

少年の小麦色に日焼けした肌の艶、少女の風に踊る美しい髪の動き。
それがあなただ。
美は愛なのである。

愛がさらに顕れる時自由が生まれる。
愛は生かし合いなのである。
あなたは誰もが幸せになることを善しとする。
そしてのびのびと生長するのを見届けるのが愛の仕事である。

愛は絶えないのである。
愛は耐えないのである。
愛は愛することなのである。
あなたのまことが生き続けるのである。
あなたは常に純粋で明るい。

蓋をしてしまっていた、カーテンがかかっていた、ドアが閉まっていた。
でも開けられた時に、チョッとでも亀裂が走り出した時に、もう我慢の出来ない「本当の愛」が噴出すのである。
あなたは「本当のあなた」を生き始めるしか選択の余地がなくなるのだ。

あなたは本物なのだ。
あなたが中心なのだ。
あなたが決定権を持っているのだ。
すべては愛のために計画が始まる。
すべてのために進んでいく。
愛はすべてを包むものなのだ。
愛は何よりも強く何よりも優しい。

あなたは美しい。
愛は美しさしか知らない。
愛は光であり、なにもかも明るく活き活きと照らし出す。
ますます輝くのがあなたである。

留まるところを知らない深い知恵も新しいアイディアも愛がドンドン生み出してくれる。
あなたが産みの親なのであり、愛されている夢のようにかわいい赤ちゃんなのだ。
抱いて抱かれて愛のセンセーションを今感じよう。

「愛」の時間は「今」しかない。
  1. 2007/08/20(月) 21:10:20|
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幸せの雨

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例えば、20代のときに恋愛や結婚で大失敗をしてしまったとしよう。
そしてそのままよきパートナーに恵まれず20年くらい過ごしてしまったとしよう。
「あの時のことが災いして取り返しのつかないことになった、、なんとかやり直せないだろうか?」と悩んでしまう結果になったとしよう。

やり直せる。
今新しいあなたが生まれる。

20代で起こしてしまった行動は、恋愛が始まるずっと前もしかして幼児期に自分の異性である側の親がとった行動や言葉が元になった現象だった可能性があるのである。
知らず知らず印象的な場面やいわれた言葉を潜在意識が憶えていて、「この結婚を成功させてはいけない。」といった不思議なメッセージを受け取ってしまったのである。
これは霊的メッセージではなく、ゴチャゴチャしている心の中で自己防衛的に出てくるものである。

傷つきたくない、と思うとまずそれから逃げてしまう方が早いのである。
何かで傷ついていたあなたが居たから親から離れた年令になってもまだ幼い子供の敏感で繊細なあなたが自分をそれ以上傷つかないように庇っていたのだ。

そこで、また心のお掃除の必要が出てくる。
心の中のビクビクしていた幼児であるあなたに話しかけ、もう心配しないで自分を信頼していいし、世の中の人も信じていいのだと解ってもらわなければならない。
溜まっていた悲しみは出してしまい、楽しみを変わりにたくさん招き入れていいのだと。

愛されていいのだ。
愛されるとは愛されるという事で甘やかされるというのではない。
あなたは無条件に愛されている。

甘える事だけを求めているとすると、関係は長続きしない。
愛は循環しているのである。
かといって右側通行だとか、血液の流れのように行ってから戻ってくるというのではなく、瞬時に両側に流れているのである。
一つの愛を分かち合うといっても林檎を半分に切るようなものではなく、ロウソクの火を分けるようなもので受け取ったほうも瞬間的に「ひとつ」の存在になるのだ。
愛は形のないものであるが分かち合うことが出来る。
分かち合って初めて愛が生きる。

あなたは美しい愛されるべき人間である。
まず自分を信頼してみよう。
あなたは善き心のみ持っている。

だから一番初めに何かで傷ついたときのショックが大きかったのだ。
でもあまりに幼くて防衛や抗議が出来なくてそのまま自分の「善」に似つかわしくない感情を絶対に見られないで過ごせるところに隠したまま生きてきてしまった。
もう開放していい。
もう大丈夫だ。
誰もあなたを責めないし、あなたはすでに受け入れられているのだ。

正直に生きようとしていたあなたがやっとスッキリ顔を出せるときが来た。
あなたは守られている。
いつも生かされている。
ユーモアにも満たされているのだ。
大声で笑っていいのだ!

大丈夫!
安心してこれからの展開を期待していただきたい。
今度は絶対に見逃さないように幸せが雨のように降ってくる。
幸せすぎる時も涙が出るのである。

泣きじゃくっていても、ヤッパリ幸せなのである。
  1. 2007/08/19(日) 23:16:24|
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愛が似合う

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私が10歳くらいの時「私はもう死ぬからあとはお願いね。」と母に言われた事がある。
「そうか、、そんなに死にたいなら、、仕方がないか、、」と思って学校に通う道で「お母さんが死んだらまず思いっきり妹を抱きしめてあげよう。でも、いくらお金を稼げば暮らしていけるのだろうか、、」と真剣に考えていたのである。

なんだか凄い話だ。

母はそのとき狂言自殺みたいな事を一回したらしいが、この話題はすぐに消え去った。

私が「お母さん、死なないで!」といってすがりつかなかったのも今考えるとチョッと変だし、姉がいたのに私に後の生活を任せようとした母も変である。
死にたいのに私たちのために無理矢理生きていてもらうのも申し訳ないな、と考えてしまう10歳の少女はどこかずれていた。

今は違う。
「死にたい!」といっている人は「もっとよい状況で生きたい!」と心で叫んでいるのだと解る。
苦しいのはもうイヤなのである。

そしてもっとよい状況はすぐに創り出せる。

苦しいのはもうイヤだ、改善されるべきだ、と思ったとき改善が始まっているのである。
まだまだこのくらいの苦しみは背負えると思っている間は助けは突然やってこない。

あなたの心のアンテナがもっと違う暖かで楽しい生活の波長を受信し始めた時外側の状況も変わってしまうのである。
同じ家族や友人も別人のように変わり始める。
あなたの理解が深まると周りの人たちの感情の波がどこから発しているかもわかってくる。

痛みも苦しみも心から生まれている。
だから心の中の要因を取り外せば解決するのである。
心を通り越して魂の世界まで行ってしまうと誰も痛がったり苦しんだりしていないので、そこから生きるエネルギーをもっともっと受け取って心の中で生きることに反している自分を洗い流してしまえばいいのである。

「いや、私の問題は外的なものです。意地悪な家族や暴力的な配偶者です。」という方も同じなのである。
一旦実際に安全な場所に身を寄せる必要があるとしても、落ち着いて心のお掃除をして、何故か不幸と見える状況が出てきてしまっている大もとの台本を心の中から捨て去るのだ。

そして捨てたものは振り返らなくていい。
何故そんなに危ない目に遭ってしまったのかこれからの年月を費やして分析するのも時間が勿体ない。
災いは過ぎてしまって、新しい自分に生まれ変わったら明るく楽しく生きることに目盛りをあわせて自分の人生の可能性をドンドン広げていく事に熱中しよう。

あなたは生き証人になる。
人生は楽しんでよいのだ。
苦あれば楽あり、というのが一般論なので楽しみのあとは何かしらの苦しみが付けで回ってくると決め付けている人がいるが、そういうものでは無い。
観点の違いである。

四方八方敵である、と思っても落ち着いて考えてみるとみんな同じ人間なのだ。
心の奥底では全員誰でも幸せに楽しく暮らしたいと思っているのだ。
ただ、どうしていいか解らず、自分から率先して道を開くのも気が引けるのでとりあえず仏頂面をして過ごしているだけだ。
頭角を現すと叩かれると思うので単独行動を控えている人が多い。

世界を平和にしたい。
そのためには個人個人の毎日の生活が左右するのである。
あなたが苦しい苦しいと思っている中で世界だけ平和になるという事はありえない。
あなたの心の中に世界はある。

あなたが心のお掃除をして苦しみを全部出してしまったらポッと平和が広がるのである。
あなたの心の中に戦いは無いので外の世界にも戦いがなくなる。
調和が生まれる。
絶対にいつでも大丈夫なあなたは安心して暮らせるのである。

「生命」というのは普段のあなたが考えているよりずっと大きく広く深いので「生命」に生きる力は全部お任せしてしまってあなたは人生を楽しむ部分だけ担当しよう。
「生命」はあなたをこの世に送り出しているものであるから突然消えたり力関係が変わったりはしない。
いつも安泰なのである。

もう心配は要らない。
あなたは自分の素晴らしさを表現するだけだ。
どんなにステキな存在かまだ解っていなかったのだ。
もっともっと輝いてよいのだ。
「生命」に限りは無いのであなたの輝きにも限りは無い。
この世を照らしてしまっていいのだ。

「ナンか苦しい、、」と思う事があったら「あ、楽しむのを忘れてた!」とすぐに切り替えよう。
おかれた状況の中でも楽しみ方は無限に見つけ出せる。
道の両側に発見できるものが並んでいる。

「愛」があなたに似合う。
苦しみは全く似合わない。
  1. 2007/08/18(土) 20:50:48|
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他に日本語で丁度よい言葉が見つからないので「愛」という言葉だけで伝えなくてはならないのはもどかしい。
「愛」はすべてである。
すべてとは科学的法則も含んだすべてなのである。

科学的法則を含んでいながらそれよりもっと大きいものなのだ。
つまり、「すべて」だからである。
だから科学的法則では説明の出来ない事も「愛」が引き起こす事が出来るし、「愛」にとっては法則は関係ないのだ。
「愛」の顕現が大切なのである。
「愛」が輝くと光あふれる状況が生まれる。

「愛」というと恋愛も含めて人間関係の事だと受け取られやすい。
人間関係も「愛」で成り立っているがそれだけが「愛」ではなくすべてを創り出しすべてを育み包み込み癒すものが「愛」である。

「愛」とは何かな、、と本当に知りたかったら行動をドンドン起こしてみることだ。
「愛」は愛するだけなので正否を作らない。
善悪は関係ない。
善い愛、悪い愛、というものは無い。
「本当の愛」があるだけだ。

あなたは「本当の愛」そのものの存在なので、落ち着いて地上のお天気のように毎日変わる心を通り過ぎ「本当の自分」までたどり着くと「なんだ、安心して愛していればいいだけか!」というセンセーションにひたるだけになる。
安心していいのだ。
「本当の愛」は裁かない。
「本当の愛」は意見がない。
純粋な「愛」があるだけだ。

「この本当の愛につながった言葉と行動だけちゃんといつでも取れますように!」と念じて毎日を過ごせばいいのだ。

「あ、ナンか違ってたな、、」と思うところはさっと捨てたり切り離したりすればいいだけだ。
何であんなことしてしまったのだろうか、自分らしくなかった、と思うことが心の中で山積みになり始めたらもっと奥深くまで戻っていき「本当の愛」を呼び起こしてからもう一度見つめてみよう。
もうそんない重いものを抱えて生きていかなくてもいいのだ、と気が付く。
「本当の愛」を生き抜くほうが先だ。

「愛された事がないので愛しかたがわからない、、」という方も絶対に安心していただきたい。
あなたは初めから愛されていた。
「愛」が怖いのは表面上愛だと思って信じていたのに裏切られてズタズタになっているからだ。
表面の世界から3分だけでも心の中に入っていくと全く物語が変わってしまう。
そして「本当の愛」をしっかり掴むと人生が変わる。

3分でも3cmでもいいから内側を覗いてみよう。
「それは無理だ、心には形や法則がないのだから時間や空間の計量は当てはまらない!」ということに気がつかれたらもう大丈夫!
「本当の愛」とはどこにでも一瞬にして出現できるし永遠に存在すると書いてあっても納得できる。

書物に書いてあるからそうなのではなくて、あなたの本心が「本当の愛」とは「なにもかもの存在だ。」と納得するからそうなのである。
そしてそれが「本当のあなた」である。

愛、愛、愛、愛、愛、

今あなたは自由に表現できる!

愛は永遠に産みの母であり、無敵の勇者なのだ!
そして最も美味しいご馳走であり、一番安心できる住処なのである。
  1. 2007/08/17(金) 21:15:37|
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しだれ柳のように

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耐震構造の建物のようにグラグラしている時は一緒に揺れてしまうと壊れないものだ。
納まったらそれで終わりだ。
あなたはいつものあなたに戻る。

強さ増すというのは柔軟に流されるままになびいているようでいて自分を失わず、ついでに与えられている力をついに自分のものにしてしまうのがコツである。

ただフラフラ流されるだけでは行き着く先がわからない。
初めにしっかり「本当の自分」を動かす事の出来るものは無い、と決めておく。
そして周りで起る事を柔らかく受け止めて対処するのが心に亀裂の走らない方法である。

硬いものはボロボロに崩れる。
ふにゃふにゃしているものは多少外の形が変わっても内容は変わらない。

「ボロボロになってしまった、、」という経験をお持ちの方は頑なだった心が滅び去り、今まさに「本当の愛」である自分が方円の器に馴染む水のように自由に発想でき誰でもなんでも受け入れる事が出来るようになったのだと喜んでいただきたい。

「本当のあなた」にはかたちがない。
名前も無い。
ただ最も美しく輝く光の存在である。
しかも何でも創り出せるエネルギーなのである。

あなたは「本当のあなた」に守られている。
でも人間のエゴで「こうなって欲しい、そうしたら自慢できる、、」というようなちっぽけな夢を守るのものではない。
「本当のあなた」はあなたの崇高な夢の実現を助け、常時「知恵」を送り続けているのだ。

私はそんな特別に選ばれている人間ではない、と勝手に結論してはいけない。
「自分は一人しかいない」ということを考えてみても答えはすぐわかる。
あなたは特別な最も大切な人間なのだ。
たった一人しかいない重要な人間世界の財産である。
あなたは真の値打ちを今表現できる。

しっかりと根付いている海草のように、幹からしだれでいる柳の枝のように、波や風が突然大きくなってフワーッとそちらの方に一緒に動いているようでも動きが止まれば元の姿なのだ。

流されてしまっているように見えても大丈夫!
「本当のあなた」はあなたから離れてしまった事は一度もない。
あなたが一番大切なのである。
あなたはそこに戻ってくる。

柔らかくなる事。
それがもっと強くなる事、そして「本当の自分」を知ることへの近道だ。

どんな時でもあなたは「本当の自分」を失うことは無い。
  1. 2007/08/17(金) 06:56:46|
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奇跡の目撃

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先日「奇跡は起こるでしょうか?」とセッション後に聞かれた。

ある人にとっては瀕死の重病人がその場で立って活き活きと動き出すのが奇跡なのであろうし、またある人にとってはとても困っている時に突然お金が入るのが奇跡なのであろう。
アインシュタインのようにすべてを奇跡と見るか、肉眼で見える世界に不十分があってそれが一瞬で解決するのが奇跡と見るかはあなた次第なのだ。

私の周りでは小さな奇跡は常時起こっているのでこれらは奇跡とは呼べない。
奇跡とはごく稀に起こることであるはずだ。

だから「大丈夫! ちゃんとよくなりますよ!」と言うしかない。
「奇跡がおこります!」という約束は出来ないのだ。
何が奇跡なのかはその人の期待の幅が違う。

私の99歳の祖母が一年の内に2回骨折で入院して医師たちは「もう高齢なので手術できません。治る見込みもほとんどない。」といったのであるが2回とも退院できる事になり痛み止めも服用せずに車椅子で散歩に出られるようになっているのは奇跡と呼ぶべきなのか、ただ当たり前の本人の生命力なのか、私のヒーリングが届いているのか、誰にも判断できないのである。

ヒーラーが治すのではなく、「本当の自分の生命力」が顕れるのだ。
私は「ひとつ」というところに働きかけるので全体の何パーセントが私の力だという事は関係なくなる。
「ひとつ」は「全体」なのである。
「すべて」なのである。
瞬時に治るのが相応しくない場合はその状況の中で相応しい時間の流れを経過して治る。
つまり、そのように肉眼に映るという事だ。

「本当のあなた」は肉体に故障が起こらない。
肉体では無い存在だからだ。
三次元ではない世界だからだ。

「本当のあなた」を呼び起こすと色々な現象が起こるのだ。
当初戸惑うような事もあるかもしれない。
自分がこんな事出来るとも思わなかった出来事に遭遇するかもしれない。
やりこなした後、「ああ、自分は生長したな、大きなことをし終えることが出来た。」と思うのだが、その大きさはもともとあなたに備わっているものだったのだ。
チャンスがなくて力を使ってみることの重大さにも気が付いていなかったのだ。

現在全くどのように解決するのかわからない問題を抱えている方も必ず振り返ったときに自分の大きさや素晴らしさを認識できる時が来るので、迷わずに一日一日ゆっくりと呼吸を繰り返して対処しよう。
四季の流れと同じで厳しいだけの時期はある時ふと終わるのだ。

「本当の愛」とはあなたがしかめっ面をしていてもあなたの中に充満している。
ふと、リラックスした時にジワーッと顕れてくるのだ。
いつもあるので気が付いたときはすぐに感じる事が出来る。

「本当の愛」を感じる事が出来たら「奇跡だ!」と思うかもしれない。
こんな思いはした事がなかった、という方も多いのである。

奇跡は起こる。
「本当の自分が顕れる!」と命令すればいいのだ。
あなたは愛されている、生かされている、守られている、導かれている。
それを信じたとき次々に素晴らしい出会いが続き、新しい発見がもたらされるのである。
それを奇跡と見るかどうかはあなたの判断次第である。

「私はいつも運がいい!」と言いきっている人は幸運が向いてくるのが常なので、一般人が「あんなにドンドンよい発想が起こり、お金が回ってくるのは生まれ持っての運だ。」と決め付けてしまうが、その運はあなたも呼べるのである。
あとは行動も伴わなくてはいけないのだ。

あなたの見る目が変わる。
そしてこんなところにも奇跡があったのか、と毎日発見し始める。
発見が楽しくなる。
生命の不思議はまだまだ人間知の及ぶところではない。
あなたの中の「生命体」もこの大自然の力と同じ生命力を持っている。
こんな立派な存在なのだと解ったらもう心配しなくてよい。

心配をスコンと捨てたときにまた一つ奇跡を目撃できる。
  1. 2007/08/15(水) 21:37:02|
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正直者

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正直者はバカを見ない。
正直に見つめる人は結果的に「本当の自分」に出会う。

何をしても上手く行かないし人とも上手に交際できないとなると自分の人生観がゆがんでいるのでは無いかと疑いだしてしまう。
そのとき、「イヤ、それは全部外的理由で上手く行っていないのだ。私は正直者だ。だからバカを観ているのだ。」と片付けてしまってはいけない。

正直になるというのは欺かない眼で見るということだ。
自分をも騙し始めて「人のせいだ、世間のせいだ。」と決め付けるのは答えを求めている事にならない。

恐ろしく思っても自分の心の乱れは一体何者から発しているのか落ち着いて見つめ始めると恐れる必要は無いのだと解る。
あなたの中に悪い物が巣食って責められるべき状況を作り出しているのでは無い。
あなたの中には幼い頃から溜まっていた自由に表現できない感情が溜まっていただけである。

「あれをしてはいけない、こうするのが正しい」という狭い道徳観が自分に裁きを与えて常時「これでいいのだろうか?」とビクビクしなくてはならない幼子のような状態を保ち続けている自分が発見できる。
誰かが「よろしい!」と正式に公に認めないと本当に認められていないような気がする。

そんな傷つきやすい内側の自分を世間には発表できないので堂々とした表向きの自分を作り出しているのだが、何か思わしくない事が続くと「なんで自分ばかりこんな思いをするのだろう、、、」という事になる。
何故かいつも怒っている、何故かいつも批判しいている。
結果、クタクタになっている。

正直に感じてみよう。
何がイヤなのか?
どうしてもらえたら嬉しいのか?
自分はそれを快く人にしているだろうか?

正直に心の中の自分と話してみよう。
あなたの中のあなたなのだから他の人の批評眼は関係ない。
大いなるあなたは現在のあなたを一番理解している。
罰したりはしない。
早く一番よい状態に戻したいと願っているのが心の中のあなただ。
何かよくないことを考えてしまったとしたら、どうしてそこまで行ってしまったのか振り返ってみよう。
あなたの心の中は広いところなのだ。
余裕を持って検討してよい。

一つ一つほぐして行くと「本当の自分」を表現したいと願っている純粋なあなたにたどり着くのだ。
あなたは清らかで穢れのない新生児のように思うまま泣いたり笑ったりしたかったのだ。
生まれ持った才能を使って正直な表現がしたかったのだ。
制約でがんじがらめになっている苦しい自分の心の表現が現在の生活に反映してしまっているのだが、スッキリ「本当の自分」とつながった時は正直に顕現すればいいのだ。

修行を積んだ結果最も清らかな魂を受け取るというのでは無い。
あなたは清らかな魂が創り上げた、そしていつでもエネルギーを供給してもらっている、地上でそして宇宙空間で唯一の存在なのだ。

「本当の自分」に逢える。
残念ながら顔は無いのでセンセーションを感じるだけだが、「本物はこっちだ!」と思える瞬間が来る。

自分がそんなに素晴らしい存在のはずは無い、と逃げてしまうのも自分に正直では無い。
あなたは幸福を手にしたいのだ。
平和を願っているのだ。
誰の命も大切だという事をちゃんと知っているのだ。
あなただけ素晴らしくなくて他の人の素晴らしさをひたすら認める事は可能だろうか?
他の人の幸福を完璧に願う事はありえるだろうか?

あなたは完璧な「生命体」の光を持って毎日暮らしているのである。
この光は3次元の世界では無いので陰が出来ない。
ただ輝くだけなのである。

正しい眼で見据えると「本当の自分」はただ輝く存在なのだと解る。
否定している人は否定を止めた時に解る。
正直に心を通して自分の光を観てみよう。
自分の陰を見るのでは無い。
陰は光の前では一瞬にして消えるしかない。

どこかがおかしい、と正直に認めるのが初めの一歩である。
そして外の世界で答えを見つける前に心の中の自分と対面するのが次のステップだ。

「本当の自分」は必ず自分を守り、導き、愛し、生かしているのだと感じる事が出来るのが本当に正直なあなたなのである。
  1. 2007/08/14(火) 22:00:33|
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遅滞しても

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NYの地下鉄は各駅停車が急にある駅で急行に変わったり、反対に急行が突然各駅に変わったり、週末は片側のホームが工事のため閉鎖されていて使えなかったり、とに角通常通りの運行でないことに面する機会が頻繁にある。

だからちゃんと走っていないという張り紙や「ここから先は行きません」という車内アナウンスを聞くと「ああ、またか、、」という事になる。
東京で生まれ育った私としては当初慣れるのに時間がかかったが多発テロ以降特に車内の点検などで遅れを生じたりする事は日常茶飯になってしまってちゃんと待ってればいつかは来るというだけでありがたいという状態だ。

ある時久しぶりにNYを訪れた友人が「これから会いに行きます。」という電話をくれたまま延々と到着しないので一体どうしたのかと思っていたら一時期NYに住んでいた事があり慣れている筈の彼女でもトンデモナイ遠回りをさせられて通常一本で30分程度の距離を3本ほど乗り換えて2時間半くらいかけて
たどり着いた。
彼女も最近の地下鉄の複雑さにはかなりいらだったようだった。

A地点からB地点まで行くのには必ずいくつかの方法がある。
地下鉄だけがたった一つの方法では無い。
歩いてもバスでもタクシーでもスクーターでも行こうと思えばいける。
それぞれに時間差やお金や体力のかかることであり、荷物を持っているか、小さい子どもを連れているか、などによって選択が異なってくる。

目的地に着くのだけが目的なら遠回りをしても結局着くから目的は達成できるのである。
早く着きたい、相手が待っている、となると心が波を打ち始めるのでドラマが起り始める。

何事もスムーズに運んで欲しい。
余計な遠回りや感情の揺れは体験したくない。

しかし、もしもうその状況の中に入ってしまっているときは落ち着いて心の中を見回してみよう。
遅れたら怒られるのでないか、無駄な時間を過ごしているようで悔しい、早く帰らないと子供たちが心配だ、などなどいわゆる悪感情が次々に芽生え始める事が解る。

この場合自分の心配や不安は地下鉄を走らせることが出来るわけでは無いので、「じゃあ、今出来る事は瞑想とか、車内の人々の心の平和を願う事だな!」と気持ちを切り替えるとなかなか進まない駅と駅の間で止まってしまっている地下鉄の車両も道場になってしまうのである。

「この車両に乗っている人たち全員に無条件の愛を送ります。」と念じていると「全くもう!ナンだよ!!」と声を荒げていた乗客がおとなしくなった事が何回かある。
私の何かが減るわけではなく目的地にはそのうち着くだろうし、約束に間に合わなかったら訳を話して納得してもらうしかないし常時時間を守っている人だったら問題にはならない。

目的としているところに精神的にも肉体的にも進んでいる時に無理矢理遠まわしにされているように見えたら、「今」自分は何をしているのかしっかり考えてみよう。
こんな状態は不釣合いだと思ったら抜け出す努力をしているか?
抜け出すには自分の「知恵」を使っているか?

外的条件だけ呪っていても自由は得られない。
「今」を生きるにはまずこの地下鉄から出てから、というのも成り立たない。
「今」は「今」なのだ。

逢いたいと思っている二人がなかなか逢えない、などというのも同じ乗り越え方が出来る。
現在の時間では会えないが何を出来るだろうか?
テレパシーを鍛える時期だと割り切るのも面白いかもしれない。
「本当の信頼」をしっかり掴み取る時だ。

あなたにはどんな時にも選択の余地が与えられている。
実際思っているよりも大きく与えられている。
「本当の知恵」とは眼に見える現象よりずっと早くずっと深く働いているのだ。

「こんな思いをするとは思わなかった、、」という状況におかれた時、もう一度ゆっくり見回してみよう。
本当にそれは怒るべきの事か?
怖れるべきの事か?
自信を失うべきのことか?

あなたは「本当の知恵」を持っているのである。
通常使わずに人間知だけで生きているように見えるが、必要なときはすぐに取り出せるのだ。
全く奇想天外な発想がわいてきても脇に押しよけてはいけない。
緊急時や予定外の行動のときに心の中から「こうした方がよい!」という声が沸きあがってきて理屈に合わないように見えてもそれが正しい導きである事が多い。

不安や苛立ちの時間は自由発想の時間に切り替えよう。
先がわからないと不安なのであるが、先はいつも大丈夫なのである。
私たちはいつも大丈夫なのだ。

外的圧力で振り回されていると思うときチョっとだけ「この中でも新しい発見はあるかな? 楽しみ方はあるかな?」と心の目を働かせて周りをよく観察しよう。
この経験はあなたをさらに深く大きく広げるのだ。

あなたは人生の達人なのだ。
まだ知らなかっただけだ。
誰かに賞状を貰って成立つ達人芸ではない。
あなたはあなたの人生の主役なのだ。
あなたしか自分のセリフを知らないし、アドリブでいくらでも場面の転換をすることが出来る。

目的を決めたら思わぬ曲がり道に来ても心配しなくてよい。
そのときもっと「知恵」の使い道がわかったのだと感謝して進もう。
ちゃんと最終地点は見えてくる。
あなたには力も勇気も充分与えられている。
今それら全部使いこなす事が出来る。

振り返ると遠回りはなかったと思うのだが、真っ最中の時はまず「本当の知恵」を呼び起こし、停滞していてもちゃんと進んでいるのをみよう。
「生命」は止まる事がないのであなたもひとところに止まってしまう事は無い。

あなたは前進している。
毎日向上している。
導かれている。

大丈夫!
「本当の知恵」はここにも行く先にも周り中に満ち満ちている。
  1. 2007/08/14(火) 03:08:29|
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誰でも出来る事

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私は超能力は持ち合わせていない。
普通の人間の能力だけで生きている。

もし少しだけ違うところがあるとすれば「ピカピカの魂を信じ切る」ことを学んだのだ。

どの人の奥底にも素晴らしいピカピカの清らかな魂が輝いている。
そこは「ひとつ」の世界なのでそれだけ信じ切っていると、その人の心に溜まっている行き所のなかった感情がでて清浄され、そのピカピカの光が現実にも顕現しやすくなる。
押し付けられていたしきたりや義務感から開放されて本当の自分のよさを認められるようになる。

凄く単純な事なのである。

誤解のないようにあえて書くと、義務から解放されるというのは勉強や仕事、もしくは親としての責任感を自分勝手に捨ててしまうというのではない。
する事はしている中でも「本当の自分」の天命を悟り、毎日の時間の中でただ義務的にすることばかりで追い回されているような自分から脱出して、人生の中での楽しさ嬉しさ喜びなどをチャンと味わって生活できるようになる。

文化や風習から生まれてきている「こうでなくてはいけない!」という考えがもともと自分に当てはまるものであるか、親や教師に言われて知らず知らず従ってきたものであるか、心の中でいつも反発を続けていたものならばもう外に出してしまって「本当の愛」から発する行為に置き換えてもいいのではないか、心の中のお掃除をする機会が与えられるのである。

これをしっかり信じることが出来たら誰でも治癒者になれる。
ヒーラーになれる。
お互いをもともとのピカピカの素晴らしい存在に戻す事が仕事なのである。
そのピカピカの「生命体」が本物なので絶対に純粋で最高の存在なのだからそれを引き出すだけでよいのだ。
偽者の姿は消える。
私が新しい状態を作り出すのではなく雲や霧がかかっていてスッキリと見えていなかった本当のその人がもっと簡単に行動できるようになるだけだ。

だからパイプの掃除みたいな仕事である。

目覚まし時計みたいだと言った時もある。
「起きなさい! 眼を開いてこんなに美しいあなたを見なさい!」

全く難しいことではない。
みんな綺麗な魂のエネルギーで生きているのである。
表現の仕方が違うだけだ。
そしてその表現にはいつも自由な選択が与えられている。
だから善い言葉や愛深い行動を意識的に選択するのは「本当の自分」の清らかさにマッチするので気分がよくなるのである。

悪い言葉や行動は奥底にある「本当の自分」に釣り合わないので凄くいやな感じがするのである。
あなたは美しいものが似合う。
自然な笑顔が似合う。
楽しい表現がピッタリあう。

私のしている事は誰でも簡単に出来る。
みんながお互いを癒すことが出来るようになればもっと早く世の中が変わる。
隠さなくてはならないと思っていた古い感情は安全な場所で浄化される。
心がさらに広くなったように思い、たくさん愛を満たして安心して暮らしていけるようになる。

「生命体」とはすべてのすべてである。
「本当の愛」もすべてのすべてなのである。
それは「本当のあなた」のものなのである。
  1. 2007/08/12(日) 22:30:24|
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バランス

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水も火も私たちの生活には欠かせない。
生きていくうえで必ず必要なものである。
しかし、扱い方を間違うと危険なものでもある。

愛情や友情も火や水の様に上手にバランスをとって与えたり受け取ったりする必要がある。
情熱のあまり燃え上がりすぎたりビシャッと冷水を多くかけすぎでなにもかも消えてしまうことのないようにしたい。

励ましているつもりで相手を煽り過ぎてもいけないし、思いやるばかりにリスクばかり心配して相手の気をくじいてもいけない。

自分自身に話しかけるときも同じである。
ただ元気を盛り返すだけの呼び起こし方だけでなく、安全対策のため希望を捨てるような説得でもなく、「調和」の取れた最良の方策や精神状態を引き起こそう。

多くの方が「自分は小さい存在でありそんなことを考えてもダメなのだ、、」とせっかく持っている才能の芽を枯らしてしまっているのである。
育てる前から怖れてしまっているのである。

もしくは「これだ!」と思ったら周囲の人々の感情も振り返らずただ我武者羅に成功を求めて走り回っている。
何が本当の成功であるか、落ち着いて考えてみる必要もあるのである。
一部の人々に賞賛されるのはとても嬉しい事であるが、心の中の自分が本当にしっかり「自分は素晴らしい!」と認める事が出来るのが何よりのアチーブメントである。

あなたは自分の中に「心のふるさと」を持っている。
Homeと呼んでもいいし、「我が家」と呼んでもいいし、安心できる自分の秘密の場所だと思ってもいい。
そこではあなたが唯一の存在であり、誰よりも何よりも大切である。
安全で安心できる平和な暖かい場所であり、絶対に邪魔されないあなたの好きに過ごせる所である。
疲れた心を解きほぐし、外から受けた誤解や批評を捨て、心配事や不安な材料を拭い去ってくれる。

ホーッとくつろげるこの瞬間を心の中で感じる事が出来、振り回されていると思ったらすぐに目を閉じてここにたどり着けるようになると、外から受ける愛情や友情でも言葉や態度だけでなくそれぞれの方々の本心が理解しやすくなってくる。

自分の感情はただの迷いであっただろうか?
それとも「本当の愛」から発していたであろうか?
安全な場所で落ち着いて振り返るとしばらく前からの事でも感情の整理が出来る。
大切な事は何であろうか?
取ってしまった行動にいつまでも責任を感じる事だろうか?
自責はいつまで続ければいいのか?
自分は時間を無駄にしていたのでは無いだろうか?
他の人の意見を尊重しすぎていたのではないか?

一体自分を大切にするにはどうしたらいいのであろうか?

Homeを想像しそこで全く平和な時間を過ごすのが難しい方は、自分が生まれたばかりの赤ちゃんで柔らかい母の胸に抱かれて何の心配もなくすやすや眠っているのを想像してみよう。
ただ抱かれていればいいのだ。

すべては完璧に調和している。

もう一度そこに戻ってゆっくり「愛」を感じ取ろう。
そこが一番心地よいのはあなたの中の「本当の愛」が同じ波長を持っているからである。
誰もが安心して心地よく調和している状態が生かされる世界である。

あなたの中に「本当の愛」は生き続けそこから「本当の知恵」は泉のごとく湧き続ける。

希望の芽がまだそこからいくらでも生長するのである。
あなたの才能は踏みにじられた事は無い。
このときを待っていただけである。
暖かい優しい土壌に自分が置かれていると信じられるときすべてが育ち始める。
最良のバランスが保たれ必要なものは与えられる。

どちらかに傾きすぎていると思ったら迷わずにHomeに飛び込んで一休みしよう。
一日何回か目を閉じて深呼吸するだけでもよい。
あなたの中の「本当のあなた」が最も清らかな生命力を持って答えてくれる。
落ち着いていいのだ。
時間はあなたの意志で伸び縮みする。
3分間Homeで休養すると全く違うエネルギーで再出発できるのだ。

マスターできたら友達にも教えてあげよう。
心配事は解消の方法があるのだと。
あなたは火になり水になり丁度善いアドバイスをいつでも与える事が出来る。
「本当の愛」は迷わないのである。
暖かく観守り、清らかに導き、臨機応変に対処できる。

誰でもみんな大切なのだ。
そして今日はまた素晴らしい日なのだ。
  1. 2007/08/11(土) 23:20:03|
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ただ輝く

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役者が深い演技をして今までのイメージを打ち破るような迫力のある表現しても褒められるのに、普段接している人が知らざれる一面をチラッと見せると「あの人には裏がある!」という事にされてしまう。

年令を増すとどうしても人生体験が増えるので自分が経験するとは考えてもいなかった感情の幅を乗り越えて生きて行かなくてはならない時があり、人前に出なくてはならない職業についている人たちは内側の感情は顔に出さずに過ごす術を身に付けてしまうことが多い。

これはあくまでも術であって中の感情が消化しているのではない。
外側の生活は調和を保ちながらでも内側の重苦しい感情は浄化していきたい。
ゴミのように溜まっているものがあるといつかは発酵してガスが膨れ上がりどこかから漏れたり爆発する可能性があるからだ。
人間の体が爆発するのではなく、ある日「もう耐えられない!」という想いがなんかの形で出てきてしまう。
もしくは頭痛になったり生理痛になったりして外に出ようとする。
極端な場合はごく身近な人を虐待してしまう。

自分の心の辛さを何かの形で外側に持ち出してしまうのだ。

怒りや不安、自信のなさは人には知られたくない。
でもどうやって一人で問題点を解決していいかも解らない。

ここでしっかり解っていただきたいのは、どのような勢力の嵐が地上に吹きまくっていても太陽は全く関係のないところで同じ光をいつでも降り注いでいるように、あなたの暗い心とは関係ないところでいつでも新鮮で最も純粋な「本当のあなた」の光が輝き続けているということである。

それが「本当のあなた」なのである。
人と比べなくてよい、あなた自身の中のあなたなのである。
それが「愛そのもの」なのである。
愛などとは縁がないと思ったことがあっても、実際にはあなたは「愛」とは縁が切れないものなのである。
愛を欲さなくても愛そのものなのであるから、「本当の自分」を否定しないで「それが自分自身なのだ!」と認めるとき、自然に愛の波長のみが正しいものであることがわかり愛の行動が計算しなくても自動的に生まれてくるのである。

自分は汚れているのでまずそれを罰してきれいにしてから純粋な愛の状態を受け取る、というのではなく、「すでに初めから愛そのもの」のあなたをパッと一瞬にして引き出せばいいのだ。

「生命体」とはキラキラした光なのである。
それが本当のあなたである。
そして現在の名前を持った人間であるあなたはその光の奇跡的芸術作品なのだ。
二つとない存在なのだ。
とても貴重なのだ。

今気が付くことが大切なのである。
そして今日から「本当のあなた」を生きることが大切なのである。
本当のあなたは奇跡的存在なのだ。
何かひとつ足りなくても今のあなたは存在しなかった。
すべてが上手く行ったから今あなたは息をして生活しているのである。

表側の感情は内側の最も素晴らしい自分を引き出せば出すだけ純粋な光で洗浄され、いつの間にか清まってしまう。
大切なのは自分の魂がいつでもどこででも自分に限りないエネルギーを満たし、幸せに愛深い行動がとれるように全面的にあなたを包み込んでいるのだということを知ることだ。
あなたは心のドアを開けるだけでいい。

真のあなたがあなたの心の親であり、心のふるさとである。
あなたの心は温められ傷は癒され保養されすべて必要なものは補充されて奇跡的芸術作品のあなたはまた人間界で活躍できる。
「本当の自分」が素晴らしい存在であると解ったので堂々と愛と知恵を持って行動できる。

忘れてしまっているように見えてもあなたは「本当の自分」とつながっているのだ。
フーっと長い息を吐き、自分を取り巻いている感情の渦から心を解き、優しい暖かい光を呼び起こそう。
あなたの中にいつでも存在しているのでなくなる事は無い。
足りなくなる事もない。

あなたが気が付いたときすべてが解けてしまうのだ。
光が壁も縛りも関係なくすーっと通ってくる。
それがあなただ。
あなたが光なのだ。

光には形がないので裏も表もないのである。
ただ輝くだけなのである。
  1. 2007/08/10(金) 21:52:11|
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勝つように見えるとき

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「本当の愛」に敵は無い。

不安や恐怖心には攻撃が起っているように見えるときがある。
そして「本当の愛」が勝つように見えるときがある。
これが人生のドラマである。

誰にもみんな幸せになって欲しい、という願いを持ち、自分を大切にして「愛」を育てていると、一段一段目標に近づいていると感じられる時がある。
そしてまたひとつ誤解や恐怖心を解除できたと思えるときが来る。
「本当の愛は勝った!」と思える瞬間があるが、それでももともと敵ではなかったのだと解る。
自分の中の「本当の自分」が活躍したのだ。
何かなかったら力を出すチャンスも来なかった、そういうことだけだった。

柔らかく広く心の眼を開いておこう。

あなたは落ち着いて周りを観察する事が出来る。
気を読み取る事が出来る。

「本当の愛」は相対するものがないのだ。
「ひとつ」なのである。

あなたの気分が日によって左右されていても「本当の自分」は明るく輝いているのだ。
そして早く「本当の愛」を表現したくて耐え切れない心持になっているのだ。

「これは、どこか、違うな、、」と思える問題や環境に身を置いてしまったらさらにもっと強く「本当の自分」と「本当の愛」を呼び起こそう。
解消していくのは時間の問題である。

大丈夫!
あなたの中に信じられる「本当の力」があるのだから!
落ち着いて深呼吸を繰り返して新しい喜ばしい気流を呼び寄せよう。

「本当の愛」に敵は無いのだから。
つまり「本当の愛」を呼び起こす時、いつもあなたは味方に囲まれているのである。
  1. 2007/08/09(木) 04:55:58|
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光の存在

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みんなが頑張っている時には自分も一緒に頑張らなくてはならない、と考えるのはごく当たり前なのだが、
みんなが休みたい時のために自分は力を蓄えておき、安心してみんなに休んでもらえるように力の配分を考えいる人も居るのである。

みんなが落ち込んでいるとき、怒りに燃えている時、悲しみに沈んでいる時に、「それはそうでしょう、大変ですね。」と深い理解は示すものの、その次の段階をすでに考え実行しつつある人も居るのである。
一緒に時間を過ごしていないように見えても冷たいのではない。
さらに暖かく丁寧に安全な道を切り開いているのだ。

つまずいた人たちが気が付いたときにはただ安心してその整備された道をゆっくり歩いてくればいいように、全く迷わないように、安全にも注意を凝らして、周りの景色ものんびり見ていけるように、創意工夫を続けているのだ。

悩みやコンプレックスというのも出発点なのである。
これを改善したいが何か方法があるだろうか、と考え始め、本を読み始め、講演やセミナーに興味を持ち始める。
悩みやコンプレックスというのはただのきっかけである。
あなたが目覚めたいから気が付く材料を提供されているのだ。

そんなものは簡単に治る、というような問題では深く考えたりしっかり勉強したりする気がすぐになくなるのでチョッと難しそうに出来ているだけだ。
「本当の自分」に気が付くと「なんだ、そんなものはもともとなかったのか!」というところに行き着く。
それでポロッと取れてしまう。

その後は「みんな誰でも同じなのだ、素晴らしい本当の自分に気が付けばよいのだ!」と解るので道案内が出来るようになる。
自分も超えてきた道なので「大丈夫! あなたも絶対に超えられる!」と励ますことが出来る。

そこでまた繰り返しが起る。

では「こういう問題はどうであろうか?」というようなものが出現してくる。
そして「ふ~む、、、」としばらく検討する事になり、「ナンだ!それでも解決法は同じだ!」というところに行き着く。
「本当の自分」は「真」であり「愛」であり「知恵」の宝庫なのだ。
だから心配はしなくていい。
「本当の自分」が示す道を歩めばいいだけだ。

方法はたくさんある。
「知恵」とは限りなく新しいアイディアを提供してくれるものなのでいくらでもバリエーションが生まれるのだ。
しかし、根底に流れているものは素晴らしい輝かしい生命力なのだ。
「ひとつ」なのである。

あなたは安心して自分らしく本来の能力を発揮しよう。
「本当の自分」とは3次元の人間のことではないのである。
もっととてつもない広がりのある存在なのでどの位の力が出てどのくらいの働きが出来るかまだまだやってみなければ解らないのである。
「本当の自分」とはすべてを理解している存在である。
美しい優しい純粋な光なのである。

あなたが笑いかけるとその光が数倍の輝きを放ち、世の中は一瞬にしてもっと明るくなるのである。
あなたの「知恵」はエネルギーである。
暗かった人たちを喜びの光の輪で包んでしまう。

みんな「本当の光」の存在である。
純粋な存在である。
キリキリした状態をホッと溶かしてしまえる暖かさを持っている。
「あ、なんだ、もう持っていたのか!」と気が付いたら使えばいいだけである。
あなたはすべての善い力を初めから持ち備えているのだ。
今、自信を持って使ってみよう。

道はもう開けていたのである。
  1. 2007/08/07(火) 20:59:57|
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平和

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「平和で満たされる」と感じながら息を吸い込み、
「不調和は出て行く」と命じながら息を吐く。
ゆっくりそれを繰り返してみよう。
感情が湧いてきても呼吸は穏やかに繰り返し、出て行くべき感情やイメージは抑えないようにしよう。
出してしまうために行なっているのである。

「安心感で満たされる」
「不安はすべて出て行く」

「本当の愛で満たされる」
「偽物の愛は出て行く」

「平和」「調和」「本当の愛」「幸福」は私たちが積極的に呼び起こし、まず自分たちをしっかり満たしたときに目の前にも現れてくる。
これが「平和」なのだと心の中でしっかり確信できるものがあれば振り回されなくなる。
誰かがある日「平和」を持って訪れてくれるといいな、と思っても心の中に本当の「平和」を持っていない人には外の世界の平和は見分けがつかないのである。

私たちは魂の世界では本物の平和を知っているのである。
そこではお互いに輝き合っているだけなのでぶつかり合いは無い。
キラッと煌くとチカッと答える。
みんな活き活きとしているのである。

人間界にいるときはこのピカピカの魂の世界を意識的に呼び起こさないと、つい目の前にある事柄がすべてだと思ってしまい、いくらでも出てくるはずの知恵や力や平和の波長を無視してすごしてしまうことになる。
言葉のない世界であるが一番響きの近い「愛」「平和」「調和」といった言葉を使うとチャンとつながるのである。

「本当の自分が出てくる」
「偽物の自分は消え去る」

私はよい人なので偽物の自分などありません、と思わずにさらにもっと「本当のあなた」が自由に活躍できるように現象面で限界を持っていると思っているあなたの心を解きほぐそう。
もっと新鮮にもっと若々しく純粋な発想が生まれてくる。
過去から背負っていた痛々しい想いは消え去る。

「平和」を欲している時に反する想いがあっては「平和」がスッキリ出てこない。
あの人はもっと苦労をすべきだ、と思いながら「平和!」と唱えても本当の平和は期待できない。

あなたの心の平和はとても大切なのである。
自分が我慢して耐え抜けば家族が平和に暮らせるというのは成り立たない。
あなたの本心が「本当の平和」をしっかり見つめ、常に反する感情が溜まっていないか心の中をチェックするのが望ましい。

自然に微笑が浮かんで来るだろうか?
明るい言葉が出てくるだろうか?
楽しいアイディアが湧いてくるだろうか?

悲しみがあっても押し込めないで、「泣きたい時は泣いてもいいのだ。」と自分に優しくなれるだろうか?

あなたの心の健康は何よりも大切なのだ。
一人一人の心の健康管理が世の中の平和を創り出す。
安心して心を開ける人を持ったとき孤独な人は心の平和を取り戻す。
もし周りに誰も居なかったら、あなたがあなた自身の話を聞いてあげなくてはいけない。
そして一緒に泣いてあげて心を綺麗にし、溜まっていた感情が抜けた後のスペースに「本当の愛」を満たすのだ。

寝る前の5分間でもいい。
ゆっくりゆっくり自分の中の自分の声を聞きながら不安や不調和を吐く息とともに外に出してしまおう。
悲しみや後悔の念などもゆっくりゆっくり出してしまおう。
優しい暖かい愛に包まれて眠りにつこう。
平和な夢をみよう。

次の朝、あなたの顔は輝きに満ちて目が覚める。
体中に愛と平和のエネルギーが満ちている。
また新しい日の始まりだ。

美しい微笑みに満ちた平和な一日の始まりだ。
  1. 2007/08/06(月) 22:36:17|
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My Way

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私には愛する歌があるから 
信じたこの道を 私は行くだけ 
すべては心の決めたままに

「マイ ウェイ」の日本語版の歌詞だ。

あなたには愛する何があるだろうか?
それがあるから信じたひと筋の道を心の決めたままに進んでいるか?
すべては心の決めたままに?

すべては心が決めたままに進行する。
どの位愛するかどの位信じるかで、この荒波が続くと思われていた船旅が新しい港に着き、全く違う環境に身を置くことになるのだ。
フレッシュな交流が始まり知らなかった食物を口にし、想像もつかなかった美しい光景を観る事が出来る。
世界が広がるのだ。

愛するものがあるときにさらにそれを深める努力を怠らないでいるとポッと次の段階に進める。
愛を信じていると変革は怖くないのだ。
向上しているときでも次の段階はさらに広くて大きな世界なのでバランスが崩れるように感じてしまうのだが、中心に目を向けていればぐらつかないのである。

常に変化するのが世の中である。

ぐらついたな、と思ったら中心に目を向けるだけでよい。
振り回されたな、と思ったら「本当の自分」を呼び起こして自分とは誰が振り回そうとしても動かせるものではないのだともう一回認識しよう。

愛するもののために「本当の愛」を呼び起こそう。
もっと深く大きく広く愛し始めよう。
「これでいい、もうこれ以上愛する必要は無い。」というような愛は無いのである。
愛は生き物である。
愛は生きているのである。
常に愛し続けるのである。

そして今までたった一人の人や物を愛しているのだと思っていたとしても、あなたの愛は想像を絶する大きさであるので同時に地球上のすべてを愛する事が出来るのである。

あなたの愛は険しい道を呼び起こすものではない。
「平和」と「調和」を人々からよみがえらすものだ。
安心して暮らせる環境を提供するものだ。
あなたは「幸福」の使者なのだ。
あなたの笑顔は暗かった心に光を灯す。

今日現在の自分に対する評価は明朝倍増して目覚めた時には虹色に輝くあなたが活躍し始める。
明日のあなたは心の決めたままにキラキラした瞳で自分の夢の実現を行なうのだ。

信じて愛してこの道を行こう。
すべてはあなたの心の決めたままに!
  1. 2007/08/05(日) 23:24:45|
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知りたいこと

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あなたはあなたである。

周りの人が精神世界のことにどのくらいの理解を示していてどのくらいの体験をしていたとしても、あなたはあなた自身の「本当の自分」を見つけることが目的なのだ。
周りの方々の体験や意見は参考にはなるがあなたはあなたのペースでチャンと解る時が来るのだ。

お稽古事や武道などのように、早く上達したかったら毎日の時間の中で外を断ち切って知りたいことやマスターしたい事に集中する時間を持つことである。
ウダウダとしてる中で突然「啓示」を受ける事はあまり期待できない。

3分でも5分でも自分の中の自分と向き合う時間を持っていただければ段々慣れてくる。
自分の中の自分は醜いものでいっぱいで見たくもないと思ってはいけない。
それはまだ心の中であって「本当の自分」は何の汚れもないピカピカの生命体である。

色々な事があってそれらを生き抜いてこなければならなかった自分はまだ人間界の常識に縛られている。
「本当の自分」はまったく自由自在なのである。
変だった、悪かったと思うことは心のお掃除をして外に出し、自分を責める材料のためにいつまでも取っておくのは止めよう。
反省は次のステップを作ってくれる。
自分を責め続けるのが美しい行為ではない、新しく勇気を持って開発し続けるのが輝かしいあなたの道である。

あなたはたった一人のとても貴重な存在なのだ。
もう一人同じ人間はいない。
あなたが大切なのである。
あなたの一歩一歩の前進がとても重要なのだ。

他の人に遅れているとか、どうもついていけないなどと悲観してはいけない。
あなたの現在の希望と夢が大切なのだ。
あなたの人生は世界中のどの宝石よりも夜空のどの星よりも輝かしいものなのだ。
あなたの保てる速度でいいのだ。
質問や躊躇する部分も時間をかけて納得しながら進んでいいのだ。
あなたの質問は尊重されるのだ。
あなたは目標があるので質問が生まれてきたのだ。
解決したいという情熱があるので捜し求めているのだ。
あなたはすでに素晴らしいのである。

今日スッキリわかっていないように見えても「本当のあなた」はあなたに必要な生命力も愛も知恵も送り続けているのだ。
どこか遠くからではなくあなたを包み込み一体になっているのである。

大丈夫!
大丈夫!
大丈夫!
絶対に大丈夫!

あなたは「本当のあなた」にいつでも通じている。
  1. 2007/08/05(日) 00:25:31|
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つながり

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「過去生の事はわからないし、未来は不安だ。」という方はとに角今現在の問題だと思っている点を解消する事が大切なのである。

ほとんどの方は過去生に戻る方法や未来性を見通す霊視法など習っている暇は無いし、過去生は随分たくさんあるので一つ出てきたからといってそれで全てが納得できるという事にはならない。
将来に関しては現在やっていることの結果が反映する。
道は無限に開かれている。
だからオロオロして将来どうなるかお伺いを立てるより、現在は大きく夢を持ち希望の実現のためと、成人としての義務を積極的に果たして、古くからある心の傷を癒してしまうのが簡単な方法である。
つまり、心を大きく持ち目の前にある自分の仕事をこなそうということだ。

「過去生の因果でこうなっている、、」という考えを持っている方は心の法則が働き、過去生の因果でそうなっていると信じているのであるが、「そんなのは異次元の世界で新たしい善いカルマがここから始るのだ!」とはっきり宣言するとチャンとそうなる。
あなたの言葉はすごい威力を持っているのだ。

人類の歴史は世界中で戦いばかりあった。
過去生を基準に生きていると誰かを戦場で殺してしまった場面が出てきてしまう可能性もある。
あなたも当然何らかの理由で死んだのである。
繰り返されていることなので理想的な過去生が一回だけあったという事は成り立たない。

過去生に出てきている人物が今生でも近くに存在していて全く違う性格をしているかもしれない。
姿かたちはすでに全く違うのである。
だから過去がどうだったにせよ、今現在目の前で明るく楽しく人生をエンジョイしたいという誰でも共通の望みをみんなで実現させる方がすごく簡単だ。

その明るい楽しいバイブレーションは関係者全ての悪因縁を解消してしまう。
もういいのだ、苦しまなくても。
特に過去生で何かあったことを今悩むほどバカらしい事は無い。
あなたは過去生を持っていると思うとそうであるが、生き通しの輝かしい生命が人間界に興味を持って何回か顕れ毎回色々な人種や環境で極端に感情の幅の広い体験を繰り返していたのだと考えると汚点のように重苦しい過去生のイメージも消え去る。
もう学んでいるのである。
争いや差別はバカらしい事だ。
そこから楽しい明るい生活は生まれてこなかった。

ご先祖様の前で手を合わせるのは大切な事である。
ご先祖様誰一人欠けていても今の私たちは存在しない。
一人一人とても大切であった。

そして子孫の繁栄が何よりご先祖様一人一人の願いである。
自分の孫ひ孫そのまた孫たちには本当に幸せに暮らしてほしいと願っていらっしゃるのである。
天界には時間も空間もないので世界のどこに行こうがこの「幸せでいて欲しい」という念はいつもついて回るのである。
ただし、自分の子孫は守りたいので他はどうでもよいということは無い。
もうとっくに魂は浄化され「本当の愛」を限りなく送ってくださる存在になっているので、自分の子孫だけが上手くやっていけば満足だというような狭い了見では無いのだ。

二人の両親の元に生まれたあなたは4人の祖父母がいる。
その両親の数は8人でその上は16人である。
5代さかのぼると32人、6代上は64人という計算になる。
この辺で計算を止めるとして、私の考えでは20代くらいさかのぼると地球上の誰でも遠縁になってくる位の広がり方であろう。

なんだか誰でも大切に思えてこないだろうか?
みんなつながっていると思えないだろうか?
あなたの血は濃いのである。
そしてみんな同じ血が流れている。

私の祖父のように養子であるとなると、もうすでに両親の代からその倍の数のご先祖様がいらっしゃるのだ。
つまり無限の「本当の愛」にサポートされている。

話がドンドン広がってしまうのでここで簡単にまとめよう。
みんな誰でも素晴らしい明るい将来が開けている。
それを認めるのは現在のあなただ。

もう色々な困難な事はやってしまったのである。
これからは活き活きと充実して幸福に暮らそう。
天界からのサポートも個々の守護霊もあなた自身の「生命力」もあなたを何層にも守り愛し続けているのである。

大丈夫!
みんなつながっている。
あなたは一人ではない。
そしてみんながあなたに幸せに暮らして欲しいと願っているのだ。
それを実現するのはあなた自身である。
  1. 2007/08/03(金) 22:03:02|
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本当の母親

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長男を妊娠している時、生まれて初めて世の中の人たちを見る目が変わった。

誰でもみんな大切な人間であると言う事は頭ではわかっていたし、誰でもみんな生きる権利があり堂々と幸せになるべきだというのも常識で知っていた。
しかし、誰でもみんなこのように母親の胎内で長い時を過ごし、人間知では及ばない自然の生命力に大切に守られ育まれ愛されて、そしてほとんどの場合は非常に期待されてこの世に誕生してくるのを文字通り身を持って体験したのだ。

地下鉄の中で前に座っている人たちの顔を眺めていても「この人たちみんな同じ生まれ方をしてきたんだな、、お母さんは体を大切にし早く顔を見たいな~と思って過ごしていたのだな。」と思うとニコニコ笑いかけたくなるのであった。
ニューヨーク市内の事なので地下鉄の中での人種も様相も様々なのであるが耳にいくつもピアスをして鼻にも金属の輪を付け腕などに刺青を入れている女性とか、むすっとして地下鉄内でもサングラスをかけているアフリカ系の男性とか、多分生活は豊かではないのだろうと思えるラテン系の親子とか、すべて「ひとつ」の同じ存在に感じられるのであった。

みんな同じ生まれ方をしてくるのだ。
そしてみんな環境もドラマも違うのだ。

妊娠中というのはホルモンの変化がすごく早いので感情も揺さぶられるし、食欲も波があり、一定しているという事はありえない。
そして外側の世界も変化しつつある時なのでとても「平常心」など保てないのである。
それでも自然の力はすごいもので口から入るはずの栄養分や心の波など関係なく胎児はすくすく育つ。

よくしたもので段々おなかが目立つようになると世の中の方々は席を譲ってくださったり、重いものは持たないように気を配ってくださったりするが、大変なのはまだ体型に変化の出ない初期のころも同じなのである。

人類というのは次の世代を大切に考えている。
どの人種の人でも言葉が通じなくても妊娠後期でおなかの大きい時や出産後赤ちゃんを抱いていると「よくやっているね!」というようにニコッと笑いかけてくださる方が多い。
自分たちが所属する民族の子孫の繁栄はとても大切だが、大きな意味で人類がチャンと続いていくのは本能的に喜ばしい事なのである。

おなかの中の赤ちゃんはお母さんが次々に通りこなさなくてはならない心配の波の中でも「本当の愛」に生かされている。
絶対に安心な場所から「生命力」を吸い取って必要なスピードで成長している。
そして計算上の予定日がどうであれ本人の一番気に入った日に生まれてくるのである。

人間界の「健康」という言葉にこだわると一見外れているように見えても大自然の親元の方からの目で観ると不調和は無いのである。
みんな喜ばしい輝かしい「生命」の顕現である。

もしかして生まれることに何か特別の事情があったかもしれないが、大切に愛されて守られて生かされているという事はみんな同じなのである。
初めから大きなドラマをもって産まれてきた子供は成長してから「ほら、こんなに素晴らしい存在になるために初めから多めに経験を増やしていたのだ!」ということになる。

何が何時どう起きるかという事は比べあう事ではない。
批判しあう事ではない。
みんな選んだ道が違うのだ。
生まれる前に簡単にシナリオを書いてきてその後何回も修正し続ける。
あなたのドラマは盛りだくさんの冒険物なのだ。
そして主人公は死なない。
へとへとになったときにまた新たな「知恵」が湧き、勇気が生まれ仲間が出てくる。

随分わかっているつもりでもまだまだこの大いなる力は把握しきれていない。
あなたはもっともっとこの「生命力」を呼び起こしていいのだ。
地球上に端っこという場所は無い。
あなたはいつも中心にいるのだ。
このように貴重な大切な命を受けて「愛」と「知恵」をいくらでも使ってよい立場にあるのだから困るという事は無いのである。

作者は切り札を用意してから主人公が困った状況を書き出すのである。
救われて勝利者として話が終わるように出来ているのだ。

あなたがすでに愛されている生かされているというのは私が書かなくても呼吸を繰り返すだけでわかることだ。
あなたは胎内にいるときは水の中で生きていたのだ。
もうすでに知っているのである。
あなたは守られている、満たされている。

実在の母親が困惑したり絶望感を味わったりしたとしても、「本当の母親」はいつでも自分の子供を限りなく愛し導き育み見守っているのである。
それは一生続く。
そして無限に続く。

あなたはただ安心して「本当の母親」に甘えて抱かれて過ごしてよいのである。
ホッとしたあと、「愛」も「知恵」も「みなぎる力」も補充し温かい心を持って今日の仕事をこなそう。

あなたを愛してやまない存在はあなたが思っているよりもっともっと大きいのである。
  1. 2007/08/02(木) 21:42:26|
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不安?

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不安は不安である。
不安はただ落ち着かない心配な感情であって、積極的な改善策を産まない。
積極的な改善策は不安を感じている時「これではなにも進まない、改善されない。」と思い当たり、不安を解消した時に生まれてくる。

「知恵」は積極的な行動を呼び起こす。
「愛」はさらに全く新しい状況を創り出すことが出来る。
光に直接つながっているのは「知恵」と「愛」である。
不安や心配から「知恵」や「愛」をひねり出す事はまず無理である。

人間なので不安にかられる時はある。
先の心配を周りが押し付けてくることもある。
子供を抱えていると責任感も手伝って現在の行動も将来の選択も親としてしっかりしなければならないと自分に課題をたくさん提供してしまう。

スコンと「本当の生命の世界」に行ってしまうと年令も体もなくみんなキラキラした美しい光の存在なのである。
心配事は無い。
不安もない。
心配や不安は人間界にだけ存在する。

ではどうつなげて生きて行けばいいのであろうか?
人間でいる限りは人間の可能性を充分拡げ深め楽しみながら生活したい。
瞑想している時だけ穏やかでそのほかの時間は苦しくて仕方がないというのでは成り立たない。

だから私たちは一人一人違う様相をして個性を持って生まれてきているのだ。
各自が「本当の自分」の表現をこの世に顕しそのまま自由に生きていいのだ。
自分の中から湧いてくる「本当の知恵と愛」は限りなくフレッシュなアイディアを提供してくれる。
「本当の愛」に溢れているところに不安感は存在できない。
あなたは愛されるだけだ。
そして愛するだけだ。
「本当の知恵」に満ちているところは素晴らしい理解と発見が支えとなり安心して行動できるのだ。

あなたを全面的にバックアップしている「生命体」は限りなくパワフルなものである。
無限の力であるのでどのくらいの力なのかは出してみるまでわからない。
限界を与えられていないとどこからどの位使い出していいのか戸惑うので、毎回人生の中で「この問題を解いてみよ」というような限定された状況を創り出してその分に相応しい力を出してみたりする。
チャンと出てくるのである。

「こんな事でもなかったら自分にやりぬく力があると知る機会がなかったと思う」と振り返ったときに納得してしまうのである。
あなたはその問題よりもっともっと大きい存在なのだ。
無限大なので本当はその問題は点のように小さいものであったのだが、何年もかけて解決に努力した。
でも、終わった時「それでよかった」と気が付くのだ。
無駄な時間なんてないのだ。
そしてあなたは「時間」自体もマスターしてしまえるようになる。

あなたに出来ない事は無い。
「本当の愛」とは絶対に終わりが来ない永遠のエネルギーなのである。
あなたが人間界にそれを持ち込み輝き始めるとき陰のようにうろつきまわっていた不安や心配の観念は消え去ってしまうのである。
「本当の愛」「本当の知恵」「本当の生命」とは内側にあるものなので、どうしても一回ゆっくり内側の自分と接する必要がある。
「本当の自分」を呼び起こしてお任せしてしまうと楽になる。

「なんだ、自分にもこんなに力があったのか!」とビックリする事になる。

ただのちっぽけな一人の人間ではなく、活き活きとした大切な清らかな美しい魂の表現が今日のあなたである。
「私にもチャンと出来るはずだ、わかるべきだ。」と自分を見直して不安や心配を吹き飛ばそう。

与えられている、
愛されている、
満たされている、
守られている、
生かされている、

「私も人間だったのね、なんか不安を感じていたわ!」と笑い飛ばして、新鮮な空気を吸い込もう。
問題は必ず次々に解決していく。
あなたほど素晴らしい人間はいないのである。
人間界を深く体験したくて大きなチャレンジを乗り越えているのだ。
でも、いつでもチャンと心の中の「本当の自分」に戻れることが出来る。

「本当の自分」は「大丈夫! チャンとうまく行くから!」といつでも保障してくれているのである。
  1. 2007/08/01(水) 20:56:44|
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Liyako

Author:Liyako
松田利也子 Liyako Matsuda
米国NY在住。

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