利也子の日記

スピリチャル ヒーラーとしての活動や文筆物。

遊魚の日記より

mixiに「遊魚」という名で日記をつけています。
その一部をご紹介します。



今日はアインシュタインの誕生日だそうだ。

天才と凡才はどこが違うのだろうか?
同じ人間ではないか?

天才と呼ばれる人たちは天との繋がりが強く、与えられた才能を生かさなくては居ても立ってもいられなくなるのである。
それを発揮できない環境は苦痛でしかたがない。
どんなに時間が限られていても条件が満たされていなくても何とかそれを生かせるような行動をとってしまう。
天才こそ非常な努力家なのだが一般にはそうは受け取れない、生まれつきすごいのだと思われてしまう。

親が子供の才能を見抜けないとただの「言う事を聞かない反抗児」を作ってしまう。
鬱憤だけ溜まって「生きる」瞬間を許されない子供たちを作り上げてしまうのが常である。

しかし天才は認められない環境にあっても「天命」が導いて花咲ける瞬間まで努力し続ける。
努力しなくては生きている価値が無いと思ってしまうし、自分の才能に見合わない行動や作品は「死ぬほど」嫌な気がする。
天才といわれる人が極度の鬱病にかかっていたとしてもうなずけるのであるが、そして何であんな状態なのにこんな素晴らしい作品を作れたのであるか知りたくなるのであるが、インスピレーションは全て天から来るのであると解ると少し楽に解釈できる。


「天」つまり形や色の無い世界での「素晴らしい状態」をセンセーションとして受け取る。
それを音楽や芸術で顕そうとする。
受け取ったものが何より素晴らしく美しくあるのに自分がかもし出せるのはそれのホンの一部のような気がする、「まだ違う、もっとよいものだ、、」とどこまでもチャレンジが続いてしまう。
人間界とのギャップが出来てしまう。
誰も解ってくれないような気がする。
褒められても自分はまだ満足していない。
しかも次の作品はこれより優れたものができるであろうか?

天才の頭の中は非常に忙しいのである。

アインシュタインの事はあまり詳しく知らないのであるが、エジソンでもチャップリンでも大成功された方たちはお母様が素晴らしかったという事はよく聞く。
愛の深い方たちであった。
湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した時にインタビューで「僕の成功は母のお陰です。子供の頃どんなに忙しくてもぼくが質問する時は母は手を止めて答えてくれました。」とお話になったらしい。

才能も「愛」が育てる。

自分は天才であるとかないとか急いで結論を出す必要は無い。
天から命をもらっているものは全員「天命」を持っているのである。
自分が生かされるとき生き生きと生まれ持った才能が発揮できる。
そしてそれは各々全く違うものなので他人の才能についてとやかく批評的な意見を出すべきではない。
伸び悩んでいるように見えてもよい土壌を与えるだけでどれだけ発展できるかまだ死ぬまでわからないのである。

自分は何をしている時が一番幸せか考えてみよう。
楽しい事をしている時は、途中の行程が困難に見えようが、結局は楽しいのである。
自分で選んだ道を歩いているか、枠にはめられて与えられた満足感で納得しているか、もう一度考えてみよう。

現在では「不幸な環境にいないとよい作品が出来ない」という旧時代の信念は改革できる。
もうそう考える必要は無いからだ。
あなたはあなた自身が素晴らしい作品である。

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「人間の命は生き通しの命であり、死んでも死なないものである」という言葉が私の内部から出てきたときがあった。 それまでは偉い先生や素晴らしい本から得た知識であったが、本当に自分の中から湧くように答えになって出てきた瞬間があったのである。 それはある昼の自宅の洗面所を使っている時で、瞑想中の閃きのようなものではなかった。 その当事直面している問題があり、「私はもう死ぬんだわ、、、」と、これだけ何もかも考え付くだけやったし祈ったけどもうおしまいなのかも知れない、とふと諦めの境地に入りそうになったときだった。 戦うのはもう疲れた、これ以上どうしたらいいのであろうか、というのがホンネであった。 自分の中から「生き通しの生命」という言葉が出てきても「そうか、、そうなら、死ぬ日まで何とか両足で立って自立して生きてみよう、、」という反応であって、急にしゃきっとし生き生きとではなかったにせよ、私自身の人生に大切であると思われることに眼を向け始めた。 その後もプレッシャーは続いたが徐々に結果が出始めた。 その当事の祈り方も変わった。 私は亡くなった方は肉体を離れて自由になっているので簡単に動き回れ、どの人も上から見て私の状況がわかり力を貸してくれる事ができるのだと思っ ていたので、すでに他界している祖父や親友、そしてソウルメイトだと思える人生の岐路に立った時深く影響した人物に助けを頼んでいた。 それを「本当の生命力」を呼び起こし、相対する人の「本当の姿」が観ることが出来るように神に祈願するような形になった。 それ以前も「神」に祈っていたのであるが、「この状況から抜け出させてください」という願い方で「本当の姿、本当の愛を見られる自分にしてください」というのとはニュアンスが違っていたのだ。 だから精神統一した時の答えの求め方は大切なのである。 「すでに与えられている富を自分のこの目で見ることが出来ます!」という命じ方だと答えは早いのである。 「私をお金持ちにしてください!」というのでは何を持って「お金持ち」になるのかハッキリしていない。 アイディアがよければ働いているように見えなくてもお金が入ってくることが多くあるのである。 そして楽々暮らしているように見える人は実は工夫が上手で常によい発想をしているので、困った行き詰った顔をしていないのである。 自分の生活感や常識で他人を判断してしまうのが人間界の常であるが、それを超えてさらに深い大きな視野があるのだということに気が付くと向上や進化が早くなる。 大切な事は「自分」から出発する事である。 自己中心になってはいけない、というのは道徳的で善いように見えるし、子供たちには分かち合うことや順番を待つマナーを教えなくてはならないが、社会的道徳観を身につけている成人は「自分」が倒れたり困難に陥ってしまってはさらに周りに迷惑がかかることを知っている。 母親が泣いたり寝込んだりばかりしていては幸福な家庭は望めない。 自分は何を持って「幸せ」を呼び起こす事ができるか、今ある問題は何なのであろうか、社会を責めたり家族や付き合っている人を攻める前に「自分」の内面を眺めてみよう。 溜まっている感情は安全な方法で出してしまおう。 一時期泣き崩れるのが続いても、その後何年、もしくは何十年も抱えながら生きていくよりずっといいのである。 抱えている恨みや憤りが集団の念になると地域や国も汚染されてしまう。 一人一人の投票の結果が市町村の運営を左右するように一人一人の精神状態が環境を変えることができる。 「自分を大切にする事」は幸せな家庭や平和な社会を作ることと同時進行する。

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トーマス・エジソンこそメディテーションを積極的にしたのである。 成功した人でメディテーションをしなかった人はいないといわれている。 それが、「祈り」「称名」「座禅」「観法」「瞑想」「チャント」などなど色々な名前が付いていようが形式が違おうが、心を穏やかに精神統一をして 天からのインスピレーションを受け取ることを常に行なっている方はメディテーション中に答えが出なくても必ず素晴らしい閃きを受け取ることが出来る。 大切なのはどう行なうかである。 心を「空」にするのがいいのであると思われがちなので少しニュアンスが違う事を知っていただきたい。 まず始める時は何のための精神統一かしっかり見極める事。 ただふわっと幸福感を感じたい方は「自分だけの本当の幸福の世界に座っているのである」と念じること。 そうすれば顕在意識の自分を明け渡して本当の自分が幸福を感じる事が出来る。 または「この問題に答えが出るのである」「今の状況を抜け出すのに一番善い方法を思いつくのである」「新しい作品のアイディアが湧くのである」 「就職して楽しく働いている自分を想像するのである」「素晴らしい生涯の伴侶と結びつく」とキチンと自分の観るべき事を指定する事が肝心である。 ボヤ~ッと瞑想状態に入ってしまうと部屋のドアを開けっ放しにして「誰でもどうぞ入ってください」ということになってしまい邪念が来てもどう対処していいかわからない。 ひどい場合は「メッセージをもらった!」などと思ってしまう。 だから最初に何の答えを求めているのか、それとも今日もよい日であったことを神に感謝したいのか、平和や調和を感じたいのかなど大切なドアから入ってくるものをあらかじめハッキリ決め、不必要な来客はドア自体が拒否してくれるようにするのである。 それではずっと考え続けている状態ではないのか、と思われるかもしれないが、絶対に安全なドアを持っていれば中はその来客の対応のためどうにでも使えるような広い真っ白な状態の部屋を用意することが出来る。 こう考えると自分を白紙にしておけばどんな素晴らしいインスピレーションにでも瞬時に呼応する事が出来ると解るのである。「空」とはその状態である。 昔から何百年も伝えられてきた方法はそれぞれ一理あるので、何のためにやっているのかもう一度考えてみると効果が高くなる。 よい言葉にはよい波長があるので声に出してみるとその響きでお清めが行なわれる。 だから「読経」や「南無阿弥陀仏」などの称名などは顕在意識を休め心配なく善いものだけに波長を合わせられるし、深く言葉を勉強する暇のなかった旧時代の農民でも安心して導けるので聖人たちが奨励したのである。 写経は書いている間それだけに集中するので効果は同じである。素晴らしいものに精神統一することが大切なのである。 エジソンは人間が眠りに付くほんの少し前の段階の状態が一番「素晴らしい知恵」を受け取るのに善いことを発見したようだ。 その当事Theta波という脳波の名前はまだ人間界には無かったのではないかと思うが、名前がどうであれその脳波の状態を発見し自分から作り出すことを「発明」した。 どの天才的宗教人や科学者もこの状態を体験し、発見や発明をしてきた。 脳波を研究していらっしゃるDr. Jeffrey ThompsonによるとThetaはrenewalとinsightの働きが出来る状態である。 改新と看破、病状でも困難でもパッと違う状態に改革できるのがこの状態である。 瞑想している時に脳波の心配はしなくていいのだが、聖人だと自分では思えない一般の方でもこの状態にいつでも簡単に行けるのだということを知っていただきたくて書いている。 大切なのはしっかりと「自分は今治る!」「新しいアイディアが湧いてくる!」「助けは現れる!」と命じ、心の目を大きく開いてメディテーションをすることである。 簡単な例をご紹介しよう。 呼吸をゆっくり吸いながら「私は本物の愛を吸収している」 ゆっくりはきながら「悪い感情ははく息と共に出て行く」 「私は本物の愛を吸収している」「悪い感情ははく息と共に出て行く」と何回も繰り返してみよう。 清らかなものが入ってくる、汚れたものは出て行く。 単純な作業であるが入ってくるものと出て行くものを指定するだけで心も身体も綺麗になっていく。 これのバリエーションを考えて自分の性格も変えてみよう。 「明るい事が入ってくる」「暗い考えは出て行く」 「楽しいアイディアが入ってくる」「つまらない愚痴は出て行く」 「素敵な友達が集まってくる」「いらない仲間は離れていく」 呼吸を繰り返すだけで人生が変わるのだから簡単なものである。

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「私にカメラを向けると必ず心霊写真が取れるんです。」という方が私のプロとしてのセッションの2人目のクライアントであった。
ど、どうしよう、こんな人が来ちゃった!と一瞬たじろいだが、その方は困った事があって「誰かが掃除機みたいなものでこのうんざりする状態をいっ ぺんに吸い取ってくれないか!」と思って来ていらっしゃるので心霊写真だとか霊的体験があろうがなかろうが全く同じアプローチをした。

結果がキチンと出てその方は本当にホッとされた顔になり、ついでに会社の物置に「何かがいるので気持ち悪いのがどうかならないか」と最後にいわれ るので、そのときまで一回も試したことがなかったが、彼女にその物置を思い起こしてもらい彼女の手を握りながら「その中のものは清められ天に上がるのであ る!」と命じた。
ほんの少しで「これでいい」という感じがしたので、
「もう大丈夫でしょう。」と手を離した。

「あなたは本当にすごい霊能力をお持ちですね~!」とのコメントに「ハァ、そうみたいですね、、」と答えた。
こんなの私ができるんだから誰でも出来ますよ、というのには相応しくない状態だったし、私自身「霊能力」なんてはっきり名詞を出されて褒められたのは初めてであったのでなんと言っていいか解らなかったのだ。
しかも霊的に敏感な方が「すごい」というのだから自信がついた。
繰り返すが、見知らぬ人にお金をもらってセッションするのはその時2回目であった。

習ったことを知人や友人に試してみて、本当に出きることが解った後のある日、ベビーシッターの面接に来た女性がすごく落ち着きがないように見えて 何かあるなとは思ったが、「実は主人が亡くなって7年になるのだがまだ彼のものは全部そのままにしてあるんです、、」といつの間にか彼女の身の上話になっ てしまい、つい最近発見された物の意味を知りたいのだというところで、
「お知りになりたいですか?」と両手を差し伸べてしまった。
「えっ!そういう力のある方なんですか?」と驚かれたが素直に両手を握らせてくださった。
そこで私の考えの中にはいってくることを余計な判断を加えずにドンドン話した。
さらに「ご主人をお呼びしてみましょう」とまだ習ってもいない事をしてしまった。
ふと、それがいいのだ、大丈夫悪い事は起きない、という気がした。
ご主人は私を通して彼女に「よくしてくれた、楽しかったし、幸せだった。もうこれからは自由に暮らして欲しい。ありがとう、心配しなくていいから、、、」と涙を流しながらおっしゃった。
私が目をあけて見ると彼女もボロボロに泣いていた。
ベビーシッターの面接だったのにヒーリングを受けて帰っていただく結果になった。
お互いのスケジュールも合わなかったし、ベビーシッターの仕事は結局一度も頼まなかったのでそれきりの縁であった。

私は役者の経験が長いからであろうか、実の自分をわきに置いてドラマチックな場面の中を出たり入ったりするのはそんなに大変なことではない。
それに加えてワイス博士のワークショップをプロ講座も含めて5回受けているので催眠中でも自分の意志で目を開けたければいつでもできるのだということを知っている。
つまり、メッセージが私の体を通して出てきても、「顕在意識の自分」と離して対処できるようなのである。
これも後から分析した事で、いきなり何かをやってしまって「あぁそういうことだったのか、」と納得することが多い。

今では遠距離の浄霊でも過去生でもナンでも同じであるので毎回色々ユニークで面白い展開があるにせよ「今、ここ」で全部解決できるのを知っている。

繰り返すが私のできる事は誰でもできるのである。

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"To thine own self be true."とシェイクスピアはハムレットに言わせた。
ソクラテスは”Know thyself"といったそうだ。

「おのれを知れ」などといわれるが、どの部分の自分を知る事に注目すべきであろうか?
本当の自分とは何なのであろうか?
どうしたら本当の自分を知る事ができるか?

「あなたは本当は『愛』そのものの素晴らしい存在です!」と人に言われて「ああ、そうか、そうか、」と自分は愛そのものであるのが本当である!とスッキリうなずけるであろうか?

Know Thyselfとは現状の恥ずかしい不完全な自分の姿を見て悲しめ、という事であろうか?
それともまだ発見していない無限に広がる可能性を持った自分を知れ!という事であろうか?

誰が「現在の自分」を作ってしまったのか?
生まれた日時か?
親の言葉か? 
学校の成績か?
過去生の因縁か?
配偶者か?
子供たちか?

自分は一人の人間で自分で操縦できるものであると気が付いただろうか?
誰かの承認や社会の規則の中で、流れにだけ乗って生きているのに疲れたり飽きたりしていないだろうか?
自分の「天命」を把握できただろうか?

まだその下にもっと奥に隠されている「全ての全てを使いこなせる能力」を探す力は残っているか?
その興味はあるか?

誰がそれを止められるだろうか?
それを止められる権利のあるものはいるのか?

自分を「真」にする。自分が「真」である。
その時全部の質問の答えが出る。

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私は短気で怠け者である。 普通はこれは欠点である。 しかし、短気なお陰でヒーリングの進化が早かったのである。 早く答えが出ないとイライラして「そんなはずは無いでしょう! この本にもあの本にも幸せになった例が出ているのに私が出来ないわけがない!」と焦る。 とてもこれ以上待てないのであるから余分な飾りの部分をとって「実」だけ獲得したくなるのである。 クライアントが私を信用してセッションに来てくれるともう一分でも長くその人の現在の問題が長引くのがイヤである。 今すぐ解決しないと気がすまない。 それで長時間ゆっくりゆっくり進む催眠療法は私にむかないと思った。 今でも催眠は出来るがそうしなくてももっと速く簡単にさらによい結果がでる方法に切り替えた。 私は元々怠け者であり面倒くさがりであるので、クライアントの長々とした生い立ちの話を聞いて登場人物全員憶えているのも大変だし、痛ましい光景を想像するのも話を聞けば聞くだけ想像力豊かな私にとっては負担になるのである。 ご本人も言えない事がまだまだ溜まっている。 それでさっさと魂に呼びかけて、重苦しい過去は一まとめのほこりのような状態になってゴホゴホ咳で出てきたり、枠がはまってきつかった心は外れる時ゲップが出たり、ためていた感情は出される時涙で出たりするようになった。 ちゃんと聞いてあげるのもヒーリングだとお考えになるであろうが、私の興味は今ここでスッキリ問題が片付く事なので、ドンドン進めるほうが効果的であり、早く内容も濃く進めることが出来る。 時間も大切である。 目に見えないことなので詳しくは言葉で説明しにくい。 でもセッションの終わった後のクライアントの目の輝きを見れば納得がいくのである。 電話やスカイプでのセッションはこの最後の晴れ晴れとした顔を拝見できないのであるが、始める時相手の顔を見ることが出来ない分もっと先入観なくグングン入っていけるのが面白い。 今朝ある方に質問を受けたのでここで答えておくが、 私は相手がどう見えようが、勝手に他人の心の中に入っていって改善は行なえないし、行なう気もない。 それぞれが人生のどの部分かに疑問を持ち、「もう絶対に変えたい!」と思い立ったらお手伝いするので、仮説的に「こういう場合は変えられますか?」という事に答えることはできない。 口で変えたいと思っていても、潜在意識でまだしがみついている問題にはご本人の決心が必要なのである。 「もうどうしていいか解らない!」という方は元々の命の元までお連れして全ての命がどれも尊いものである事をお見せするが、これも観念的なことなのでどう見えるとかどう見せるとかはここで文章にならない。 「今」、「ここ」、で解決するのが大切である。 方法論に時間を費やすのも面倒くさいし、短気で怠け者の私には向いていない。

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古い知人でMさんという素敵な女性がいた。
彼女は独身のまま海外へ頻繁に行く仕事についていて、なかなか結婚しなかったし、人と知り合う機会も少ないようであった。

ある時どうしようもない男性と知り合って付き合い始めた。
この男性はどうしようもない事に彼女だけではなく他の女性ともやり取りがあったみたいだがMさんは海外に旅行が多く自分もあまりきつく言える立場でないと思ってしまった。
さらにどうしようもない事に彼はMさんに何も言わずある女性と結婚してしまった。
どうも子供が出来たようだ。
それでももっとどうしようもない事に、今まで通りに付き合ってくれと言うのだった。
Mさんはくたくたになりながらも、日本に帰ると寂しいし、食事やお酒を気軽に付き合ってくれる人は欲しかったのでまだ会ったり会わなかったりを続けていた。

「もうどうしようもない! 何とかしなくては!」と決心し、休みを利用してNYに3泊来る事にした。
私の知人であった霊能者Gnに会って自分のその時点での生活を改善する方策を相談したかったのだ。

Gnは彼女のホテルの部屋に来てくれ、私はプライバシーに関することなので失礼しようと思ったが、「しっかり聞きたいから通訳をしてくれ」と頼まれたので留まった。
Mさんはこのどうしようもない彼の話をし始めたがGnはフンフン一寸聞いただけで他の色々な事を話し出した。
そして、「その件はあと一ヶ月で片付くから全然問題ではない」といった感じであった。
これだけ悩んで信用できるGnに会いにNYまできているのにこんな返事でいいのであろうか、と私は心配になったが、Mさんは納得しているようであった。
でも彼女は感情を見せる人ではなかったのでガッカリしていたのかもしれない。

その後一ヶ月くらい経ったある日、Mさんのお母様が末期の癌だという事が発見された。
ご両親と一緒に暮らしていたし、お母様は何より大事な存在であったので一瞬にしてそのどうしようもない男性の存在などどうでもよくなり、毎日病院に通いお母様の介抱をした。

話を簡単にまとめてしまうと、
その後お母様は亡くなり、一年後にお父様も亡くなり、介護の間仕事は出来なかったが遺産として家は自分のものとなり、預金もあったので、大変なことが続いた後あくせくせずに少し時間を過ごそうと思って友人の招待などあったら海外でも遊びに行って過ごしていた。

そこで現在の旦那様に出会ったのである。
すべて親のことも遺産の事も片付いているし、しばらく海外にいても東京の家賃などの心配もないし、夢のように自由なそして愛のある暮らしになってしまった。

「今までの事は全部このことのための準備だったんだわ!」と幸せそうなメールを何回か頂いた。
本当にメデタシ、メデタシである。

実はGnも死んでしまった。
彼には色々面白い予言をしてもらった。
そして主人が亡くなった直後、今後どうなるだろうと不安な時、ある霊能者のところへ行ったのだが、彼女が「今まで誰か霊能者に観てもらいましたか?」と聞くので「Gnという男性でしたがもう亡くなってしまったので、、」というと
「あ、来てます! なんか靴!靴!っていってゲラゲラ笑っているけど、靴って二人の間にあるジョークなの?」と聞かれた。
「いいえ、別に、、、」

「Step into the new shoesっていうけど、これからのあなたの人生は新しい靴に履き替えて出発してね」といわれて出てきたのだが、帰り道に丁度バーゲンを見つけて3足靴を買ってしまった。
その後何故か一年間でサンダルやブーツをあわせて30足くらい靴を買ってしまった。
だからGnは「靴!靴!」っと笑っていたのだろう。

Mさんは幸せになった。
その事は本当に嬉しい。

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「お母さん!時間っていつも今だね! さっき今だったのにまた『今』今だもんね!」と長男がバスタブの中から私に呼びかけた。
彼が8歳の時である。

「そうよ!いつも今なのよ! よく解ったわね!」と答えた。
私も7,8歳のころ同じように「時間っていつも同じなんだ、今なんだ、明日になっても今日なんだ!」と気がついた瞬間があった。
当たり前に見えるし、誰でも知っている事だが、「本当に気がつく」という事はアルキメデスがお風呂の湯があふれ出したのをみたとき容積を悟りニュートンがリンゴが落ちるのをみて引力を感じたと言う事と似ている。

「時間」が一本の長いゴムひもだと考えてみよう。
思いっきりどこまでも伸ばす。
現時点を端にして、何千年前の過去でも未来まででも。
そしてピューンと手を離すと基の位置に一瞬にして戻る。

懐かしい音楽を聴いているうちに過去の自分や恋人と過ごした時間が甦ってきてその時の会話や状況がありありと目の前に浮かんでくる、そして曲が終わった時や誰かに呼ばれて「ハッとわれに帰る」、つまり現時点に帰ってくる。

「今」の中に「過去」「現在」「未来」があるように観えるのである。だから「現在」催眠にかかった人が何千年前、さらには何万年前の「過去生」にもいける。
退行性催眠とか過去生療法などの名前で知られているワイス博士もすでに未来に関しての研究を進められていて、私が参加した3年半前のワークショップでも「未来生」に行くエクセサイズをし、約100名いた受講者の60%くらいは何らかの体験をした。
はっきり映像みたいに見えた人もいるし、雰囲気や感覚的なことだけ味わった人もいた。

時間が本当に一秒一秒チッチッチッチっと経っていくのがそれだけの固定のものであったら何千年前に行くのには何千年かかかるのである。でも瞬時にして行ける。
それで、時間は「ないのである」といえるのだが、そこまで飛んで考えられない方はもうひとつ前の段階の例を挙げてみよう。

「時間」が一本の紐のようなものだとしよう。
やはり、面よりは線のようなものだと考えた方がうなずきやすい。
その紐がグニャグニャにこんがらがって絶えず動いているとしよう。
「現時点」と「過去のどこかの時点」「未来のどこかの時点」は絶えず接点を持っている。
そして人間が眠りについているとか深く瞑想しているとか、この「肉体の感覚」が薄れている時それに付随している「肉体的時間の感覚」も薄れている。
だからどの時間帯にでも行き易いし、どの空間にも行き易い、枠がなくなるか極小になるのである。
そして目覚め近い時に肉眼に近い目であちこちを見渡すと接点であった部分で印象の強い場面やメッセージが肉体の世界に持ち越される。

今朝みた夢が本当になった。
3日後に叔父が亡くなったのを詳しく夢で見てしまっていた。
過去生ではないかと思える随分古い生活を夢でよく見る。
あの人の顔は何回か見たことがある、今日初対面なのに、、

時は一瞬であり永遠である。
時は「今」だけである。

Now is the Time.
Time is Now !!

「未来」は今ここで変えることができる。
実は「過去」も変えることが出来る。

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「ヒーリングって何かわからないんですけど来てみました。」とか「過去生催眠だったら興味があって受けたいんですけど、ヒーリングは今のところいいです。」などという方がいらっしゃる。

「ヒーリング」は最近になって日本語の中に登場した言葉であるのでどう使い分けていいかはっきりしていないのであろう。

英語で"Healing"である。"Heal"が動詞、「癒す」と言う意味である。そして名詞形は"Health"健康、心と体が健全な状態を表す言葉だ。
「ヒーリング」は心身共に健康な状態にたどり着くプロセスをいう。

「何々療法」というと古めかしいし心の癒しも含まれていないような気がするので「何々ヒーリング」と名付けることが多いようだ。
もしくは始まりが外国である場合外来語のままカタカナで「ナニナニ・ヒーリング」と紹介されている。

私は魂に呼びかけることをするので「スピリチャル・ヒーリング」と自分のセッションの名前を選んだ。
Body,Mind,Spiritのバランスをみるのだ。
浄霊やエネルギーの浄化もするので、病気の人の治療だけでは無いし、進路に不安を持っている方や「次の段階に進みたい」と精神世界で進化を遂げたい方の誘導もする。
名前の付けようがないのである。

広辞苑には、
癒す:病や傷をなおす。飢えや心の悩みなどを解消する。
と書かれている。

魂の傷や病をなおす。「愛」を持って飢えや心の悩みを解消する。
不安や心配をなくし、どちらに進んでいけばいいのか自分自身でいつでも迷う事のない自信をしっかり持つ。

ホッとできて自分を取り戻せる事全てが「ヒーリング」である。
ひとつだけの方法ではない。
山道を歩き清清しい空気を吸うのも、美しい花を眺めるのも、楽しい時間を家族と過ごすのも全部「ヒーリング」である。
「あぁよかった!」とちょっと喜べる瞬間も「ヒーリング」なのである。

少しでもHealthからずれると、自動的にHealingを行なってもとのよい状態に戻る。
これが誰でも一番当たり前の姿である。
特殊な人が"Healer"「ヒーラー」なのではない。
誰でもみんなヒーラーである。

誰でもみんな自分で髪の毛を切ったり食事を作ったりしようと思えばできるのであるが、外ですませる事が多い。
お金を払ってでもプロにやってもらうと自分は座っているだけでチャンと結果が出てくるので「ヒーリング」もプロのヒーラーがいるのである。

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性的な悩みは相談しにくいものである。 年配の男性2人、似たような悩みをお持ちだったので解消法のご紹介をしたい。 お二人とも幸せに結婚なさっていらしたが、男性的には不能という悩みをお持ちだった。 一人の方は奥様が幼い頃性的虐待を受けて心の傷が深く、現在の夫婦間の性行為がそのころの悪い思い出を甦らせるのではないかと深く心配するあまり、寝室で思い切って自由に振舞う事が出来ずついに常に萎縮している状態を引き起こしてしまわれた。 「愛するあまりに」自分を制して、相手を傷つけまいとする、優しい心も災いになるのである。 「私は妻を本当に愛しているのです!」と訴えるようにおっしゃる。 その他の恐怖心を取り外してから、yes/noのでるO診断をしてみた。 妻を愛している:yes 本当の愛は人を傷つける:no 本当の愛の行為は人を傷つける:no 本当の愛の性的行為はパートナーを傷つける:no 自分は彼女のどこを触ってもよい:yes 自分はナンでもできる:yes! これで治ってしまった。 心の作っていた枠であるので心の中でご自分で解かれたのだ。 もう一人の方の場合はある手術を受ける際に書類にサインしなくてはならなかったが、項目のひとつに「手術後男性的に不能になる可能性があることを承認します。」という文章があったそうだ。 大変真面目で人格者でいらっしゃるのでこれが「契約」になってしまって潜在的に「命は大丈夫である事だし、そのことくらいガマンすればいいのだ」と人生のこの部分は諦める事にした。 私は医者を大変尊敬しているが人生の支配権を授ける存在ではないと思っている。 さらには過去生で「神」やその他の「特殊能力」を受けるために犠牲を払うのは当然であるという過ごし方をされた方はこの手の「契約」にすぐ納得してしまうのである。 あなたは誰とも契約しなくてよい。 もう「生きる事」を与えられているので堂堂と生きるために一部の犠牲を捧げだす必要は無い。 産みの母は子供にフルに人生を楽しんで幸せになって欲しいと願っている。 人間を創造した源の力は、人間を作り出しておいてからその一部の力や能力を「捧げだせ」というようなちっぽけな事は一切しない。 思いっきり自由に生きて欲しい。 二人目の男性の場合は「自分の人生は自分のもので一枚の紙切れに左右されるものではない」という事を理解していただけただけでスッキリした。


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私が20代だったとき京都の老舗の古美術商の若旦那だという方がニューヨークに買い付けにいらしていた。
その時彼は30歳であった。
私は、似たような古いつぼなど並べてあったら、どちらにどのくらいの価値があるのか一体どうやって知るのであろうかと疑問に思った。

「親が、生まれたときから本物だけ見せて育ててくれましたので偽物はすぐわかります。」とおっしゃった。

人生はすべてこの方の言葉を活用できる。

子供たちには「本物の平和」だけ見せて体験してもらえば偽物の平和はすぐわかる。そして本物を知っている人はどの方面に向かって現状を改善すべきか直感でわかるのである。
理想の中の平和ではなく体感した事のある平和である。

「調和」した家庭で育ったら不調和な状態は見抜けるのである。
そしてそれを批判するのではなく、早く調和した状態に戻したくなる。戻して当たり前になる。

「戦争はこんなに悪いものである、繰り返してはいけない、」と言うことを主張したいために無残な姿や痛々しい場面の多い映像、体験記や小説を子供たちに押し付けるのは辞めよう。
愛の深い純粋な心は一寸の苦しみでも非常に深く感じるので、むごたらしい姿を前面に出されて「こうならないようにしましょう!」と言われなくても、自動的に調和を保った暮らしがしたいと願っているのである。

「本当の愛」だけで接しよう。
「真実の知恵」で行動しよう。
真心を持って「調和」や「平和」を毎日の生活で実行しよう。

本物だけ見せれば善いのである。

私たちに内在している「幼い純粋な子供」にも今日からは本物だけ見せていこう。
本当の幸せの味を知っている人は一寸でもずれると
「あ、ちがうな!」と瞬時に気が付き、深く大きく外れる事は無いのである。
正しい波長に自分を合わせることをいとも簡単にやってのける事ができる人が人生の達人である。

実は人間は誰でも瞬時にして「もとの自分」に戻れるのである。
すでに平和で美しく知恵と愛に満ちた完璧な自分に。

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3月3日は次男の誕生日である。
マンハッタンで生まれ今日で10歳になった。
9ポンド1オンスあったので、多分4520gくらいの大きな赤ちゃんであった。

前の晩に長男は生まれて初めて私から離れて友人の家に泊らなくてはならなかったので、彼の人生の転機でもあった。
子供の誕生は大きなドラマである。

「子宝」と言うが、本当に子供ほど素晴らしい財産は無いと思う。
自分の所有物ではないが、色々な事柄をパッケージにして持って出てきてくれる。
子供がいなかったら感じる事が出来なかったであろう感情や愛情、そしてあらためて知った自分の才能もそのパッケージの一部である。
これをもって「生活が豊かになった」と言えるのである。

今までのどの過程も大切であった。
そして長男がこうであったからと思って慣れていると安心しているような事柄が、次男には通用しない事もあった。
兄弟でもそれぞれの性格や運命があるのだと痛感する。
一人一人とても違っていて当たり前なのだ。
個々に輝きの表現が違う。

そんな簡単なことまで初めは解らなかった。

この次男が5歳だったある時、
「お母さん、みんな何回も生まれてくるのね?」と聞いた。
「そうよ、」
「ぼくあそこにいた!」
「え?どこに?」
「シャカムニがみんなに話しているとこ、あそこにいた!その時は大人だった!」
信じて!と言わんばかりの非常に真剣な表情であった。
「へぇ~、そう?」
「お兄ちゃんとお母さんもいたと思う、、、」

この時期は主人の葬儀の後数々の法事をキチンと全部NY本願寺にお願いしており、月に一回開かれていた子供のクラスで岩の上に座り人々に説法なさっているお釈迦様のアニメーション・ビデオを観ることが数回あった。

その後のある日、
「ぼくたちはいつも一緒、いつも違うんだけど、いつも一緒!」とそれだけ言った。

私たち3人は時を超えいつも一緒に暮らしている、親子だったり求道の仲間だったり恋人だったり男だったり女だったり状況は毎回違うのだろうが、いつも一緒にいるのである。

そして、
「生まれたときはナンでも知っていたのに6歳になったらナンにもわからなくなった、、、」とぼそっとつぶやいた。
セントラルパークで雪合戦をしてあまりに寒いので最初に見つけたコーヒーショップでホッと一息入れている時であった。

今は私がお誕生日のプレゼントにあげた小型のデジタルカメラで動画を作るのに夢中になっている。
レゴを動かし1カットずつそれぞれのキャラクターの声音を作ってしゃべりながら録画している。
長男のデジカメは声が入らないのでちょっと自慢げである。
自主制作作品の始まりだ。

去年9月、担任の先生が新学年の始まりのとき、あなたは自分の子供がどんな人になって欲しいか、と言うアンケートを配った。
私は"I want him to be a very happy person."とだけ書いた。

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次男がKindergarten(小学校に付属している年長組)に通っている時、ボタニカルガーデンの遠足に引率していった事がある。
ブロンクスにある植物園である。

花の観察をした後、教室の中で説明会があった。
私が驚いたのは球根の中にはすでに根や花が入っているのである。
5歳の子供たちはクラスですでに球根の断面図を見てそのことを知っていた。
ここでは実際に手に触れて勉強する機会が与えられた。

「根」も「茎」も「花」もすでに球根の中にあるのである。
もやもやっとしたものが何かの都合で芽が出たり、花が咲いたりするのではない。
どんな色の花が咲くかももう決まっているのである。
あとは時期のいいときに土に植えて日光と水と肥料を上手に与えればいい。
「花」はもうあるので条件が揃ったら咲くのである。

私たちの中に「花」はもう生まれたときにあるのである。
あとは咲かせるまでのプロセスだけである。
そしてどの花も美しい。
それぞれの好みはあるであろうが、美しさに変わりは無い。

「何の才能もない」などという人は一人もいない。
全ての条件が悪いのだと言いたくもなるだろうが、時期は必ず来るし、常に「自分は立派に咲くのである」と光に顔を向けると自分で道を開く事が簡単になる。

植物は正直に日光の方をむいている。
そして光に向かって咲くのを善しとしているのだ。
生き生きと咲いている花は無条件に愛される。

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「浄霊」と「除霊」がありますのでやるときは必ず「浄霊」にしてくださいね、と教えてくださったのは出雲のMさんである。
「除霊」と言うのは強い力で霊を跳ね飛ばすような事をするので、他の人についたり、またいつの間にか自分のところに戻ってきてしまうと言う事だった。
「浄霊」はご本人に納得していただいて天に上がっていただく。

彼女に出会ったのは1990年ころで、その年私は一人でアパートに住んでいたが、ある早朝4時ごろ風呂場の天井が「ドカーン!!」と凄い音で落ち てきてしまったり、アパートに泥棒が入って金目のものはみんな持っていかれたり、一年のうちに2回もスリにあい永住権や免許証を含む重要なカード類を全部 再発行してもらうために長時間費やしたり費用がかかったり、「ナンなの、どうなっているのこれは?」という事が頻発していた時であった。

しかし、「日本から短期間来ていて霊能ができる人が居るから会わない?」と聞かれた時、自分よりもその当事付き合っていた男性が見てもらうべきであると思い、私のセッションは「じゃあ、ついでに、、」と言った程度で受けたのであった。
彼はアパートに夜遅く帰ったとき黒い犬が入り口にいるのを見て「あ、ルームメイトが誰かの犬をあずかったのかな?」と思って気にせず寝てしまったと言うのだが、ルームメイトも同じ夜犬を見て同じことを思ったそうだ。
次の朝犬はいないし、二人とも見ているし、ゾッとなった。
それで御祓いをしてくれる人は必要だと思ったのだ。

今では私も「浄霊」「招霊」が簡単に出来るようになったが、その当事は全く自分はそのような能力は無いし、そんな不気味な事には関わりたくないと思っていた。

実は不気味な事ではなく「道案内」のような簡単なことなので、迷っている霊を安全なところへ導くのは誰のためにもいい事である。どこへ行くのか行き先さえはっきり解れば誰でも出来る。
つまり、「大阪に行きたいのですが、、、」といっている人を新幹線の大阪行きのホームに連れいていき次の電車に乗るのを見届けるだけでいい。
この場合次の新幹線の終着駅は大阪だと言う事にしていただこう。「降り損ねたらその人はどうなるの?」と言う心配は要らない。ちゃんと着くのである。

例えば知らない部屋に入っていくとなんだか暗い思いつめた感じになってしまう、まだ若いのに将来なんて考えたくない、健康な食事を採るようにしているのに消化がよくない、などという方は簡単に自分で出来る御祓いをしてみよう。
部屋と言うのは「念」がこもっている事がある。
過去にその住人が思いつめて「死」の事ばかり考えていたとすると、
thought formと呼ばれている「凝縮した思い」がエネルギー体のようになって部屋に残ってしまうことがある。
その方が他で亡くなったとしても「念」が残るのである。
だから霊魂がいるのではない。

まずすぐに空気を入れ替えて換気をよくすること。
日光を取り入れるか、照明を変えて明るくすること。
できるだけ掃除して古いものを積み上げておかない事。
暗い絵や写真は取り替えること。
鉢植えの花など生気のあるものをおく事。
そして聖典やお経の読み上げもとてもいいが、
わからない方は「真の愛」と大きく何枚も書いて部屋の四方におく。
「本物の愛」は敵対するものはなく、苦しさや悲しみを暖かく包み溶かしてくれるのである。
書かれた言葉にも力がある。
善い言葉の響きは浄化作用があるので思いつくまま大きな声で
「幸福だ!楽しい!嬉しい!美しい!清らかだ!ありがたい!」とドンドン部屋の中を善いエネルギーで充満させよう。
何百回でも言っていただきたい。

自分の中の暗かった心もついでに浄化されるので一石二鳥である。

どうも亡くなった両親や仲良かった親戚の人の夢を観るので心配です、と言う人は、もしお写真があればそのサイズに合うように切った紙に「真の愛」と書いて額縁の写真の裏に入れたり、やはり写真に善い言葉を振りかけてみよう。
本当の愛を受け取って気を悪くする人はいない。
「真実の愛」に全てを任せればよい。

水泳が上手に出来ない人はライフ・ガードになれない。
絶対大丈夫な救い方がわからない方は、しかも今自分が回復する事が必要な人は、他人を助ける事を考えるべきではない。
自分の生活空間を清め正しいエネルギーで満たすことが先決である。
「自分のことを考えるのが先である」となるとフラフラ寄ってきていた甘い汁を吸ってた友達も消えていく。
淀んだ水にボウフラが湧くのである。
水の流れを清らかに過ごそう。

「私にはナンか変なものが憑いているのだろうか?」と心配になったら大声で「私は真の愛で満たされている!」と繰り返し繰り返し宣言していただければ、もし何かいたとしても「そうか、真の愛はいいな~!」となって、実際に「真の愛の世界」に上がって行ってしまうのである。

別に肉眼で見えることでは無いので、
「なんか、スッキリした!」と思ったらそれでいいのである。

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「ナンでもいいし、どうでもいい」と思っている人は絶対に落ち込まないのである。鬱病にかかったり進路に異常に不安を持っている人は「こうであるべきだ、これは私に合う、合わない」と言う道徳的観念や正義感、自分への期待やプレッシャーを持っている人である。

「ナンでもいいし、どうでもいい」とは人生を捨ててしまう投げやりな態度ではなく、いちいち目に入るものに判断を加え間違っていると思うことに批判をするのではなく、「へえ!そういう考えもあっていいかもね」と簡単に流す事が出る精神状態を言っているのである。

親に怒られても「ナンでもいいし、どうでもいい」と思うと「ハイハイ、今やりますよ~!」と返事が出来る。
相手を軽視しているのではない。
ただ、不必要に「私の立場を考えてよ~!」と反論するエネルギーや時間の無駄を省ける。

ヒーリングに来て下さるクライアントが「私はGODという言葉に抵抗がある。」と言ったら、「神や仏」は関係なく「光」などとも言わず、全く同じヒーリングを提供する。
「ナンでもいいし、名前なんかどうでもいいのである」
ただその人の苦しみや悲しみが一掃され、「私は素晴らしいのだ!」と感じていただくことが目的なのだから。
形式や様式は関係ない。
真の愛が流れ始めればいい。

「自分は何もしていなくても素晴らしいのである。」という事さえ解ればちょっと何かをしたら「さらにもっと素晴らしく」なる。
でも、そんなことを気にしなくても「ナンでもいいし、どうでもいいのである」。
褒めて欲しくてやっているのではない。
「素晴らしい」という事はもう自分が知っているのだから、褒められようがけなされようが「ナンでもいいし、どうでもいい」。

独身のころあるメディテーションのクラスに参加していたらリーダーが
"So What!"という態度を持ちなさいと話してくれた。
「だからナンなの!」である。
今私は落ち込んでいる、だからナンなの?
就職が決まらない、だからナンなの?
恋人が見つからない、だからナンなの?
作品が発表できない、だからナンなの?
腰痛で動けない、だからナンなの?
体重が落ちないどころか増えていく、だからナンなの?

そんなのナンでもいいし、どうでもいいのだ。
あなたの真の存在の値打ちは全く変わらない。
あなたはピカピカの一点の穢れのない「魂」そのものの化身である。

ちょっと垢が溜まったかなと思ったら磨けばいいのである。
新しく自分を作るのではなく、ほこりを払えば光り輝く元の姿が一瞬にして出てくるのである。
「磨かなくては~!!」と力む必要は無い。
お風呂に入っているときは力まないで汚れを取りゆっくりリラックスするように、心の汚れはリラックスした時にさっさと取れる。
気が枯れている時「穢れ」していると思ってもう要らないお荷物やこびりついたゴミを取るだけである。

私はこれだけ大勢マスター・ヒーラーに直接お目にかかっているが、キリキリして「癒し」を行なう人は一人もいない。
「絶対安心で安全」なとても穏やかな精神的空間に連れて行ってもらえるはずである。
「ナンでもいいし、どうでもいい」空間である。
何が起こっても安心で安全な、どこがどうなっていても規則のない縛りのない空間である。
そこで飛ぼうが這おうが裸で過ごそうが好き勝手にご自由にどうぞ、誰も見ていないし、関係していない空間である。

恐怖や不安は「悪いことがおこる!私はやり抜けないかもしれない!」というところから来る。
「死ぬのではないか?」と思うと普通は居ても立ってもいられなくなる。
「死んでもいいし生きてもいい」なんてところまで行けたら絶対に怖いものは無い。

ホ~っと力が抜けたら鏡を見てみよう。
「私って結構イイじゃない!」って鏡の向こうの自分がニコッと笑うはずである。

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"Flying Without a Broom"というタイトルを見て
「わぁ、これは絶対に手に入れなくては!」と瞬時に思った。
箒なしで飛ぶ方法が物理的に書いてあるとは思えなかったので、これは幽体離脱の本だと思ったのである。

本屋のサイトで検索してみるともう絶版になっていたが、不思議なことに古本が3冊売りに出されており、その場で一番安いのをオーダーする事が出来た。
ついでに書かせていただくと、読み終わってから興味があるだろうと思われる日本の友人に送ってあげようと思って検索したら、もう買えなかった。

まず、この本の著者D.J.Conwayは並ではない霊能者である。
他にも天使の本など重版されて世の中に出回っている本は何冊かあるが私はこの本以外は興味がなく今のところ読んでいない。

"Astral projection and travel is no more dangerous or difficult than driving a car."と書かれている。
霊界への旅は「変だな?」「いやだな」と思ったらサッとよけること、絡まれないようにする事、規則を守る事や礼をつくす事など基本的には人間界と同じなのである。

内容が濃い本なのでどう説明してよいかわからないが、
まず私が「そうだ!そうだ!」と凄く納得できた点を書いてみる。

「幽体離脱とは自分の肉体を外から眺める事ができて始めて可能であると書いている人が多い。しかしそれは必ずしも真実ではない。あなたは夢の中で 落ちたり、飛んだり、滑ったりした経験は無いだろうか? 何かか誰かが激しく身体にぶつかり目を覚ました経験はないか? 誰かに名前を呼ばれて起きてし まった事は無いか、実際に誰も呼んでいなかったのに?メディテーションや白昼夢を観ているとき身体の感覚が無くなったときはあるだろうか? このような体 験をどれかしたことがある人は、その時ASTRAL TRAVELINGをしていたのです。」

面白いでしょう?

顕在意識では解っていないところで私たちはスイスイあっちこっちに行っていたのである。
そしてこの本では意識的に行き先を定めて寝ている間に古代あったヒーリングのテクニックなども習いにいけるし、お金や時間のない人は海外にバケーションにも行けると書いてあるのだ。
実際にうっすら日焼けして戻ってきた人もいるらしい。

さらには求めればASTRAL LOVERという完璧な愛人がいて、その人を見つけたために人間界では一生独身か未亡人でも淋しくなく暮らしていけたり、もしくは現実界で自分の愛人が寂しくないように丁度よい相手を見繕ってくれる存在もあるという。
「我」や「欲」を離れた肉体の無い高級霊のことなので、本当に自分の愛する相手が幸せになることが一番の願いである。
だから焼餅などないのである。

「この本をここまで読み進んできている人はまず魔女だった過去生があると思っていいでしょう。」と最後近くに書いてある。
しかし、彼女の言うところの魔女とは毒リンゴを美しい少女に食べさせて喜んでいるような醜い存在ではない。
Witchとは、自分を神に捧げ神に近づけるようにさらに毎日技を磨いていたグループの人たちの事を指すのでその当事は男性もWitchと呼ばれた.
キリスト教が入ってきて他の神は邪教とし、特殊な力を持っている人々を封じてしまおうとしたので「悪」のレッテルを張られてしまったのだ。
Witchたちは純粋に自分を高めている、いわば忍者のように身を徹して修行をしている、存在であった。

なんだかこの部分、力を込めて主張したくなるので、ヤッパリWitchだった事があるのかな?と思ってしまう。

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K先生は天才ヒーラーである。 天性の天然のヒーラーなのだ。 幼い頃から人体に手を当てると内臓や細胞の画像が目の前に出てきて、それをどうしたら治るかも解るので手を動かすだけで病気の治療が出来てしまったのだそうだ。 今で言えば胃カメラやマイクロ・カメラでの内側の写真映像を一切器具を使わずに把握し、霊力で筋や細胞を動かす事が出来る、とでも書くしかない。 自分にどうしてこんな事が出来るのかわからないので医学を学ばれたが結局何も答えにならなかった。 自然に出来る事なので人に教える事も出来ない。 それで普通のサラリーマンになったそうだ。 毎日会社勤めをされているらしい。 たまたま縁のある方で時間が合えば治療を行っていただけるらしい。 マスコミには一切出ない事にしているし、私も実は本名も連絡先も一切知らないのである。 しかし、不思議や不思議、私はお会いする事が出来た。 「なんだか何でも治せる人がNYに出張で来るみたいだけど、今頼めばセッションを受けられるみたいナンだけど。名前は知らないんだけど興味あったら頼んでみようか? どういうことをするのかも全然知らないんだけど、、、」 というわけの解らない電話をある日友人がくれ、 「別に今どこも悪くないけど、、、」といいながらも 「滅多に逢える人では無いらしい、、普通は知らない人は受け付けないんだって!」という言葉に押された感じで申し込んでしまった。 この友人はK先生に遇っていないし、その先のツテの人はもうNYにいなくて連絡先はわからない。私の知らない人である。 とに角約束の場所に時間通りに行ってみた。 2004年6月22日の事である。 K先生は本当に全く普通一般の方の様子である。 目がギラギラしているとか、水晶玉を持ったら似合いそうだとかいう霊的な感じもない。 中肉中背の髪を7・3に分けメガネをかけた中年の日本人男性であった。 「どうされましたか?」と声をかけられて、丁寧にしっかりした挨拶もせずいきなりセッションに入った。 「特に病気では無いんですけど、一人で子供二人抱えているのでいつもくたくたなのでエネルギーを回復できたら嬉しいです。」と答えた。 「じゃ、ここに座ってください」と物腰も柔らかく椅子を指され私を座らせた。 着服したままである。 彼は私の頭や肩、首をさーっと手で触られて、そのあと首の付け根辺りに軽く指を走らせた。 凄くリラックスしていたので、15分か20分くらいであろうか、時間の感覚が無かったのではっきり解らないが 「はい、いいでしょう。」とお声がかかり私のセッションは終わった。 マッサージや指圧のように押したり揉んだりと言う事はなく、スースーと手で触っているだけであった。 「神経がくたびれていたのでバランスを戻しました。首の付け根のところにシャワーを、そうだな、3分くらい、熱いのと冷たいのを交互にかけて溜まりそうになったら流れをよくしてあげるといいですよ。」とおっしゃった。 「くたびれない程度に頑張ってくださいね。」と最後に笑顔で付け加えてくださった。 次の方がもう待っていた。 日本人の老女で膝が前から痛かったのだが最近はもう歩くのがやっとになってしまったと言う。 杖をついてゆっくりしか歩けない。 着服してる事でもあるしセッション中はお話もされないので失礼に当たらないだろうと思い、思い切って 「実はヒーリングに興味があるので次の方を治すのを拝見してもよろしいでしょうか?」と聞いてみた。 先生はちょっと不思議そうな顔をされたが「まあ、いいでしょう。」とお答えくださった。 何も見てもわかるものでは無いと思われたのだろう。 それで5メートルくらい離れているところに座って拝見した。 「もう歳なんで膝が動かなくてもしかたないとおもってるんですよ、、あきらめなくちゃね~」などと治していただいているのにぼやいている老女の言 葉に影響されることなく、さわやかな感じで膝のあちこちを触って筋を追っているような道をつけているようなしぐさで治療をなさっていく。 すべてタッチは軽い。 難しい表情もなさらない。 「じゃあ、立ってみてください!」と声をかけられて 「え!もういいんですか?」と老女は驚く。 恐る恐る立ってみると「え!あ!痛くないわ!」 「あらあら!痛くないわ! あらあら!」といったり来たり歩いている。 お顔も初めの暗い感じが消え生き生きとして輝いている。 「ハッピーフェイスになったな。」と先生も微笑まれた。 病院に知られているので、医者が手をつくしてももうどうにもならない、「あと何日かの命です」と言われてしまった癌の末期患者を「何かできるなら是非診てあげてほしい」と言われて 「今年だけでももう6人くらいそういう人治しましたよ。」などとあっさりおっしゃる。 みんなもうだめだと思ってるところへ入っていって治し「ハイ、できました。」というと、一同「は?」となってしまうらしい。 「ダメな時はすーっと力があっちに行ってしまうような感じでわかるんです。」ともう助からない方は反応でわかるのだそうだ。 K先生でもそういうことがあるのかと思うとビックリしたが、その後私は人間の死ぬ時期は間違いが無いのだと解ったので、手をつくして救おうとする家族や医師たち、そしてヒーラーたちには気の毒だが全力をつくしたと言う事だけで納得するしかない。 ヴァイアナもセミナーのとき少しだけこのことに触れた。 「ヒーラーにとって避けられない事のひとつはクライアントの死である。このことに心の準備が必要である。」と。 とにかく希少な体験をさせていただいた。 もしかして人知れずこのような霊力をお持ちの方は世界中にたくさんいらっしゃるのかもしれない。 このように天から特殊な才能を与えられている方々はとても悩むのである、特に幼い頃や学生時代に 「なんで自分はみんなとちがうのであろうか、、、」と。

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今日は私の誕生日である。

Thich Nhat Hanhは"No Coming, No Going"といって妊娠期間もあるし何時が本当の誕生日かは解らないのです、とお説きになっていらっしゃる。
Brian Weiss博士は数々のデータから、クライアントが催眠中新生児として生まれた後もカーテンの閉まっていた産室の外の様子をありありと説明した事の例などを含めて、人間として出生したときに全てが肉眼の世界になってしまうのではないという事をお話になった。

私も息子たちの発言で6歳までは「向こう側」と強くつながっているのだと信じられる。

何時生まれて何時死んでいくのか、メタフィジカルな事にかかわっているとハッキリした事はわからなくなってしまう。
「時間」と「空間」はなくなってしまうからである。

ただし、この世に生まれるに際し、命の世界から「法則」を通してしっかり日時を選んでくる。
だからどの占いを観ても「当たってる!どうしてここまで解るのであろうか?」と言う事になる。
自分で周りの配役をし環境を選んで生まれてくるのである。

「まさか!自分で選ぶならこんな親は選ぶはずがない!」と言うのが不幸な小児期を送った一般の方の反応である。
ところがブループリントは自分で書いてきているのである。
私はこの人生を過ごすに当たってよっぽど欲張ったプランを立てたのであろう、ドラマが山盛りになって生まれてきた。

まず、生まれる前からはじまる。
妊娠初期に父が「もう子供は一人でたくさんだから下ろせ!」と発言したと言うのである。そこで母は悩み、両方の祖父母を含む騒動になってしまったらしい。
結果、母方の祖父が「費用は一切払うから産みなさい」という事で無事出産にこぎつけたが、このことで両家にしこりが深く残り結局私の両親はその後3年くらいで離婚してしまう。

なんだか最初からすっきり喜ばしく生まれてきていないのだが、話はもっと面白く出来ていて私は母方の祖父の家で3歳まで過ごした。
今でも日本では実家に戻って出産する風習はあるので母が実家に戻っていてもおかしくはなかったのであるが、祖父母はそのころ成功しており、田園調布の屋敷に住み込みの女中2人も置いて暮らしていた。
姉の担当は当事18歳だった花嫁修業のため行儀作法や調度品の扱いを見習うために奉公していた女性であった。
当事はまだこのように良家にとついでも恥ずかしくないように品格のある裕福な家に一時的に女中に入ると言う風習が日本に残っていたらしい。

私は年配の玄人の女中が専属乳母のような形になった。
目だけは大きかったがどう見ても男のような顔をしている私に御用聞きたちが「お坊ちゃん!今日はご機嫌いかがですか?」などと話しかけようものなら「お嬢チャマですよ!!」と怒鳴り返していたと言う。
とても可愛がってくれたようである。
私はよく台所におかれていたのではないかと思う。
母よりは女中たちがオムツや食事の世話をしていたのだろう。

妹は祖父が事業に失敗し次の場所に移転する直前に生まれたのでこのような「姫」扱いは受けていない。
姉も初めは夫婦で小さいアパートで暮らしているところで生まれたし、両家にとっても初孫なので期待されて祝福の微笑みにつつまれてこの世に迎え入れられた。
同じ両親の元に生まれた3姉妹でも随分出発点が違うのである。とても不思議である。

一生父と一緒に暮らした事はなく、「下ろすように言われたのに産んであげた」というのはイヤと言うほど母に聞かされて育ったので、私は生まれる前から父に存在を否定されたものであるとし、父は一生私を愛するものではないと決め付けて育っていた。
成人してからは遠く離れたので母に気兼ねせず自分の意志で電話をかけたりし、徐々に硬い空気がほぐれ、私が剣道を始めた時は自分の古い防具をNYまで送ってくれたりした。
実は本当に父は私を「死ぬほど愛していてくれた」と解ったのは父が亡くなってからである。
「死ぬ事」によって明らかにしてくださった。

さらに約1年3ヶ月前のVianna Stibal女史のThetaHealing Adovanced DNA IIセミナーの最中にエクセサイズで組んだパートナーが、私の父が私が生まれるとき産室の廊下を行ったり来たりしている光景を観て様子を告げてくれたとき は「やはりチャンといてくれたんだし、心配してくれてたんだ!」と確信したのである。そして生まれたばかりの私を見て「彼女は自分に似ている」と言ってい ますよと伝えてくれた。
顔が似ていると言う意味ではなかった。
父に似ているのである。
このときは涙が止まらなかった。
パートナーの女性も感情的になるタイプでは無いのに「何でかしら!?」と不思議がりながら「私も凄く感動しています!」といって泣いていた。

誕生はドラマである。

ごたごたが続く中いつの間にか大人になり、やっと色々解るようになった。
悪い人はいないのである。
状況の解釈の仕方でそれぞれの立場の言い分があるのであるが若いころの恋愛や失敗に終わった結婚はただのレッスンである。

次男があるとき「神様ワールドにいたときいっぱいお母さんがいたんだけど、僕はお母さんを選んだんだ!」と言ってくれた。

神様ワールドにいたとき私は今の私の母を選んだのであり、生まれてくる状況や大体の進路を決めてきたのである。
でも私たちは進路はいくらでも変えることができ、質の高い友人知人をいくらでも増やす事が出来る。
まだあと軽く50年はありそうなので、どれだけ面白く生きられるかに挑戦してみたい。

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5年ほど前、生活があまりにも苦しくてもうどうしていいか解らなくなって、布団を頭からかぶって 「神様~!! 神様~~!!」と叫んでいた。 そうしたら当事4歳の次男が布団をめくって 「ハイ! 神様ですよ!」と言ってにこっと笑った。 神様は呼べば必ず答えてくれる。 ブライアン・ワイス博士のしてくれた話: あるところに非常に信心深い男性がいて毎日必ず神に祈りを捧げていた。 ある日洪水が起こり彼は自分の家の屋根の上に避難した。 そして神に助けてくれるよう祈った。 そこへ救助ボートが来た。 「早く乗りなさい! 凄く危険です!」 「イヤ、僕は神様が助けに来てくれるのを待っているのです。」 「そんなことを言っていてはもう命が危ない!」 「いいえ、神様を信じていますから。」 救助ボートは行ってしまった。 また神に祈り続けていると救助ボートがやってきた。 「早く乗りなさい!」 「イヤ、神が来てくれるから大丈夫です。」 またボートは去って行った。 もう一回救命ボートがやってきたが彼はやはり乗らなかった。 そしてとうとう溺れて死んでしまった。 天国に着き彼はカンカンに怒って神様に抗議した。 「あんなに毎日あなたを信じて祈っていたのに、何で僕を助けてくれなかったんですか!?」 「何を言っているのだ。3回もボートを送ったではないか。乗らなかったのはお前の方だ!」 神はいつでも助け船を出していらっしゃる。 これは神の業ではない、違う方法で助かるのだ、と勝手に助けを無視しているのは人間の方である。 神は物理的法則を創っておきながらそれを次々にぶち壊すような事はしない。 奇跡は起こるが、「神々しい奇跡的体験」だけが神の助けではないのだ。 毎日の生活の中で、当たり前のことの中で、「あ、そうか!」と言った思い付きが神の心である。 「わあ!よかった、ありがとう!」と言う瞬間が神の愛の響きである。 神は一番身近な存在なのである。

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「臨死体験」の研究で世界的に有名なのはレイモンド・ムーディ博士である。私は彼が出した11冊の本は一冊も読んでいないのであるが、3年半前に短いセミナーに参加して凄くたくさんの情報を得ることが出来た。

第一線の科学者と言うのは本当に素晴らしい。
心が開けていてどんな事でも結果が10中8,9「こうである」と出たら「こう成り得る」と答えを出す。
一般の人は「そんなことありえないじゃない、、」といって心を開こうとしないことが多いのに。

彼は古来エジプトだかの資料に基づいて「亡霊を呼び出す実験」を一人で行なった事があるのだそうだ。
たらいのようなものに水を張りその反射を利用して壁に姿を映し出すやり方があったらしい。
実験は成功して実際に「祖母」が現れたのだが、呼び出したはずの大好きだったお祖母様ではなく、「嫌いだった方のもう一人の祖母が出てきたのには驚いた!」と受講者一同大爆笑のエピソードをお話になったりもした。

本題に戻って、
「臨死体験」とは一旦何らかの理由で仮死状態になった人の魂が一旦「向こう側」へ行こうとするのだがやはり戻ってくることにするが、そのときに一 寸だけ味わった「向こう側」がとても素晴らしく美しい状態であり、異口同音に「とても言葉では表せない、、」経験をすることである。
お迎えはすでに亡くなっている親族だったり、天使やキリストだったり。神々しいその他の姿をしたものだったり。世界中から集められた資料は色々 であるが、人種、宗教、地域、年令、教育のレベルが各々違っても一貫しているのは「向こう側は光に溢れた夢のように素晴らしいところである、言葉では説明 できない、、」という証言だ。
日本では通常「三途の川」を渡ることになっているが「トンネル」と言うのが西洋では多いかもしれない。
とにかく一旦向こうへ行きそうになるが、「ヤッパリ戻ろう」と思って帰ってくるのが臨死体験である。

向こう側がそんなに素晴らしいのならさっさと行きたくなるはずであろうが、いつでも行けると思うと、「この世」は是非とももっと生きたくなる楽しい場所である。
臨死体験で「悟り」を開かれる方は多い。

そこで世界第一線の科学者であるムーディ博士は現在ある準備をしていて、向こう側に行って戻ってきた時にチャンと我々が理解できる言語でその状況を説明できるように大勢のボランティアに準備の情報をインプットされているという。
凄い発想である。
臨死体験をしそうな人をあらかじめ選べるとは思えないのだが、、、
それは研究者にお任せしておこう。

もうひとつ面白かったのは、
現在医療にかかわっている方々やごく親しい親族などが、人々が亡くなる際同時に少し上まで上がって行き「お迎え」が来ていて幸せそうに迎え入れられ、亡くなる方が「向こう側」に行くのを目撃している事がわかっていると言うのである。
医者などは立場上この光景を他言していない。
しかし、人々の「死」への意識や、その他の科学的研究が進む中こういう資料が徐々に集まり始めていると言う。

人が亡くなる際に魂が「向こう側」を意識し始めて、ちゃんとした文章では説明できないので「詩」を語り始めるのも多いそうだ。その時の即興の本人の詩であったり、昔からある詩であったり、、

ムーディ博士はその時古代のギリシャ語の「詩」と「音楽」は一つの言葉であった、と教えてくださった。
神の世界、つまり天国とか極楽浄土からのセンセーションが言葉でこの世に出てくるのが「詩」で、楽器の旋律として現れるのが「音楽」である。
「真の響き」はひとつのものである。
だから形式がない。
どのような表現にもなる。

セミナーの後子供たちと食事に行こうとしたらムーディ博士が丁度2人くらいの人と立ち話をしていたので、子供たちを先に送り順番を待って私も個人的にお話させていただいた。

日本には昔から「辞世の句」と言うのがあり亡くなる直前に「詩」を残す文化があったことを話してみたらモチロンご存知であった。
「なぜこのセミナーを受けたのか?」とご興味をもたれたので
「実は主人が亡くなって2ヵ月後に父も他界し、同じ年に舅も亡くしているのでこの際徹底的に死とは何かについて納得のいくまで勉強しているのです」と答えると、子供のいる事も見て取れて解っているのであろうか、同情深いとても温かい目でうなずかれた。

多数のデータで、人が亡くなる直前と直後の計量により6オンスくらい体重が減るというのも面白かった。
「人だま」はまだ重さのある状態なのだ。
全てを脱ぎ捨ててピカピカのスピリットに戻る。
仏教では49日、神道では50日と言われているらしいが、とに角少し時間がたつと人間界の雰囲気から脱する。

磨かれている魂は重さは関係なく、「死」も関係なく、行ったり来たり自由に行動できる。



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ジョナサン・ホーランドによると
光をよくみる人、無言の電話をよく受け取った人、ふっと周りで何かが動くのを感じる人、すれ違う人によく道を聞かれる人は"psychic"「サイケック」なのだそうだ。
「僕なんか中国にいても道を聞かれる」と言っていた。

「お母さんってよく道を聞かれるよね」と次男がある日言った。
そういえばパリに行ったときも道を聞かれたし、マンハッタンの中でもアメリカ人ではなく日本人の私に道を聞く人は凄く多い。

ジョナサンは英国ではmedium(霊媒)のための大学があり、修学中はお互いの読みはしてはいけない厳格な真面目な勉強の場であると教えてくれた。

霊媒師(ミディアム)とサイケックが違うのは、
サイケックは相対する人と周りの雰囲気から「読み込み」をするのに対して、霊媒師は亡くなった方を含むスピリットとの交信が出来る事。
霊媒師はサイケックであるが、サイケックな人全て霊媒(招霊)が出来るとは限らない。

彼のサイケック・セミナーはほとんど「サイケック・ショー」であった。
100人ほどの受講者の前で「あ、その辺にいる方で娘さんが溺死した人はいませんか? ピンクのリボンつけている、、大丈夫です、心配しないでっ て言っています!」などというと丁度その方角に居た中年女性が「私の娘です!苦しんでいないのが解ってよかった!!」と泣き崩れる。
「こっちに居る方でご主人を亡くされた方、もう家は売って良い、好きなように生きてほしいっておっしゃっています!」
「わぁ!私です、もう子供たちも出て行ったし大きなうちは要らないのだけど、主人が凄く大切にしていた家なので売っては申し訳ないと思って悩んでいました!」と涙。
「わあ、そこら辺は溺れた人たちでいっぱいだね、可愛い子供達が一緒に水で遊んでる!」と偶然のように同じ亡くなりかたをした人の家族や恋人などが並んで座っていたりする。

明るい調子でポンポン話して会場のあちこちに向かってメッセージを伝え続ける。
受講者は笑ったり泣いたりうなずいたり忙しい。

こういうことによって不幸な亡くなり方とした方々でも「向こう側」ではちっとも苦しんでいないし、何よりも生きている私たちに是非幸せに暮らしてほしいと願っているのが解る。

以前は「霊感」が強いとか「霊能」ができると言う事が特別な才能のように思っていたが、実は誰でもどこでもできるのだと言う事がしっかり把握できたのはここ2年くらいのものである。
私たちはもともと霊なので霊感があって当たり前である。
もともとスピリットなのでスピリチャルである。
「命」がナンであるかわかると霊能が自然とできるようになるのである。

「霊感の強い人」がどういおうが「自分の生活」は自分で方向を決められるし、回り道や失敗は無いのである。
どんなにはっきり「未来を観る事が出来る人」たちよりも、あなたの方が簡単にあなたの人生を好きな方に変えられる。
「私の人生の主役は私である」と宣言する事。
流されるのはもうおしまい。
協調性は大切だが個性を殺してはいけない。
何かを殺している時は「生きる」事は出来ない。

不幸が起こっているように見えるときは「絶好のチャンス!」なのである。思い切って大転換が出来る。
その最中は大変でも絶対に乗り切れるし、やるだけの価値はあるのだ。

では私の予言:
これから24時間以内にあなたに素晴らしい事が雪崩のごとく起きます!!!!
お楽しみに!

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お金は「お金を愛している人」のところにやってきます!
とお書きになっているのは斉藤一人さんだ。
去年の5月ごろ「変な人が書いた驚くほどツイてる話」という本を頂き小さい本だが人生哲学の髄が書かれていると思って感激した。

人生の達人というのは本当に凄い!
逢う人毎に「あなたにすべての良きことが雪崩のごとくおきますように!」と念じていらっしゃるというのだ。
そして「ツイてる、ツイてる!」と繰り返し言うだけで本当にツキが回ってくるとお書きになっている。

日本一の億万長者が教えてくださっているのである。
「人生の岐路に立ったら楽しいほうを選びましょう!」

「そりゃ、そんだけお金があれば楽しいでしょうよ!」といいたくなるだろうが彼は中学出で一代で財を築き上げた方なので初めから一貫してお持ちの哲学は学ぶ価値がある。
今でも一円玉がコンクリに埋まっているのを助け出したりしているのだそうだ。
「一円玉の親は10円玉、10円玉の親は100円玉、、、」つまり子供を助けてくれた人のところでは親が必ず御礼に来るという。
「お金を愛する」とはスクルージのように「ウヒヒ、、」と薄笑いを浮かべてコソコソ夜中にお金を数えて楽しむのとは違う。

お金もこの世の中を動かしているエネルギーである。
感情的になってキャラクターを与えているのは私たちであって「お金」は「ただのお金」である。
「水」は「ただの水」であるように。
水がダムで発電が出来たり津波で災害を起こすほどの力があるように、お金も救いになったり災いになったりする。
私たちの脚本の書き方によってお金を愛し感謝し生き生きと使おう。

もうひとつ、この本で私がとっても参考になった事は
「さっと逃げる」こと。
いい人で、来るたびにおみやげを持ってきたりするけれど、グチャグチャ愚痴ばかり言う"哀れみ型"はサッと逃げましょうとのことだ。

私は責任感が強いというのかバカ正直というのか最近までは何でもしっかり対応しなくてはいけないのだと思っていたが、人生の達人が「あと味の悪い人はさっと逃げないと危ない」と書いてくださっているので「そうか、逃げていいのか」とやっと納得した。
自分の事でしかも毎回同じ問題のために長電話を切らない友人との縁をついに切る事が出来た。
彼女は何年も自由に私を「はけ口」に使っていた。
私はそういう見方はせずに「私はヒーラーなのだから何とか導けないだろうか、、」と自分の力のなさに目が向いていたのだ。

「私の時間は大切であり有効に使う。私の人生なのだから優先権は私が持つ。」と決めてやっと人員整理が出来始めた。
初めは馴れないので難しいけど、段々あっさり「今忙しい」と正直に言えるようになり、そういってもしつこい人は相手の事は考えていない人だとはっきり解って来たのである。
本当の友達はもっと深く解ってくれるし何年離れていてもしっかり通じている。
こちらも話したい相手が「今時間が取れない」と言ったとしてもそれ以上深く詮索しないで過ごす。

お金の話で始めたのでもう少し付け加えると、
「お金は汚い」「お金は持っていると危ない」「お金だけが頼りである」などと人々の中にお金に対する信念が深く植えつけられている。
幼児期から家族の観念を吸い取っている事もある。
私のヒーリングのときは大体必ずお金のこともチェックする。
貧乏画家で惨めな一生を過ごし、「アーティストとは貧乏でこそいい作品ができるのである」と言う信念を過去生から引きずっていた女性が居た。
僧侶や尼さんの人生を送った方は「私有財産を持ってはいけない」と言うのがまだ抜けきっていなかったり、「全てを捨てなくては神に近づけない」と信じていたりする。
これは潜在意識でのことなので普段は「お金欲しいな~」と思っているのであるからややこしい。
セッションでは不必要な思い込みは全部浄化する。
お金を好きになっていいのだ。

お金はたくさん持っても、必要なだけ持っていても人の価値に変わりは無い。
欲しいと思えばジャンジャン蓄えて、無駄をなくして出費を抑えること。
たくさん持っていれば困っている人を助けたり、家族に色々な楽しみを提供できる。
必用なだけあれば良いという人はそれでいいのだ。


「お金」はエネルギーである。
循環して初めて生きてくる。

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「ニール・サイモンにインタビューをするから通訳をして欲しい」という電話が東京からかかってきたのは1992年の1月末だと思う。その時点でも30本以上の脚本を書き世界中に名の知れた劇作家である、当然凄く緊張した。
原題と邦題に直訳的には関連性がなかったりすることと、どの芝居の中身もしっかり知っておかなくてはこの通訳は成り立たないのでNYで何本も実際に舞台を見ているであろうと思われる私が選ばれたらしい。

劇場プロデュサー、読売新聞とスポーツニッポンの記者の3人がNYのホテルに着いたのは2月の寒い日だった。
その時点ではまだサイモン氏のOKが出ていず、彼の居場所や大体のスケジュールはわかっているのだが本当に会ってもらえるのか確約は無いとのことだった。
パブリシストに電話を入れてみると彼自身はもうノースキャロライナのサイモン氏と行動を共にしていて事務所の人の応対では話が先に進まない。

そこで私がホテルの便箋に手書きでサイモン氏あてに、是非お会いください、と言った内容の手紙を書き、ファクシミリでパブリシストに送った。
あとは運を天に任せるしかない。
返事を待たずに家に帰り次の早朝の出発の準備をした。

空港や乗り継ぎで珍道中のエピソードがあり、寝不足でフラフラなところ最後は20人乗り位のプロペラ機で「魔女の森」の上を飛び、私たち4人はNC州ウィンストン・セーラムについた。

サイモン氏は一時間のインタビューに応じてくださった。

彼は大作をはじめから順に書くのではなく、
ふと思いついた一行のセリフや、ぱっと閃いた人物像などを日頃書き溜めておくのだそうだ。
「いいな」と思うやり取りや、ある一シーンを思いついたりしたらそれを録って置く。
そうしているうちに段々ひとつの話が出来上がってくるのだそうだ。
あのキャラクターはここに使えるな、といった具合に一本の芝居になっていく。
使われていないアイディアはまた次に回す。
そして最後に私たちがお邪魔していたノースキャロライナの劇場で試演をしながら実際のお客の反応によって出てくる最終的な仕上げをする。
笑いの取れていないセリフを変えたりカットしたり。
そのあとブロードウェイの舞台にデビューさせるのであった。

大変緊張して望んだインタビューであったがサイモン氏の穏やかなお人柄のお陰でとてもスムーズに進み多くの情報をいただけ、最後には通訳にお褒めのお言葉もあった。

パブリシストのビルが、
「実は今一番忙しい時であり、このインタビューは断る事にしていたのだが、熱心な手紙をもらったのでサイモン氏が承諾したのです。」と言った。

「彼女が書いたのです!」とプロデューサーが言ってくれた。

"She writes well,too...."と誰に言うともなくサイモン氏がおっしゃった。

素直に熱心に書いた手紙は大作家の心に響いたのである。


一行のセリフから始まる。
一人の登場人物から始まる。
積み重ねていくと「人生ドラマ」が出来る。
私たちは自分の人生の脚本家である。
好きな登場人物を出演させ粋なセリフで芝居を進行させよう。
気にいらない人は退場してもらおう!

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「今日だけは怒らず、心配せず、感謝して、業に励め」
というのは霊気術の開祖臼井みかお師のお言葉である。

私が"REIKI"を知ったのはNYでモデル兼女優の金髪の女性が撮影の待ち時間に「やってあげる!」と言ってみんなの前で私の頭や肩に手を触れ私の疲れをとってくれたときである。
その時は別に凄い感激はなかった。

その後すぐ彼女の先生である霊気マスターNancyがミルワーキーからNYに教えに来るというので「キリストみたいに触ったらみんなが治っちゃうのって面白いじゃない!」というノリで習いに行った。
1991年6月の事である。

Nancyは日本で始まったものなのに日本では「霊気術」は廃れていてその時点で米国には400人以上の霊気マスターがいることや、彼女の生徒で日本人は初めてなので自分の持っている日本語の資料を出来れば訳して欲しいなどと色々持ちかけてきた。
だから一般の受講者より何重にも濃い情報を頂いてしまった。
さらに「本者是正念」とはこういう意味です、などとみんなの前で文字の説明をしたり、Nancyの知らなかった日本語も説き解く事になった。
意訳はご存知でも文字ひとつひとつの意味や働きはご存じなかったからだ。
でもNancyは日本語で悟っていようがいまいが素晴らしいヒーラーであった。
人々は癒されて治っていくのである。

今日だけは怒らずに過ごしたい、
心配せずに過ごしたい、
感謝して過ごしたい、
そして与えられた仕事に一生懸命打ち込みたい。

これだけできれば絶対毎日幸せに暮らせるのである。

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中川球童御老師がソーホーの禅道場から日本にお帰りになってからもう随分時間がたった。
検索したら現在静岡県三島市の龍沢寺にいらっしゃるようだ。

はじめ「きゅうどう」というお名前を伺って「求める道」と書くのかと思ったら、「球のわらべ」であった。

お会いすると、丸いお顔に少年のような小柄なお体からにじみ出る純真な雰囲気がお名前にピッタリで「見事!」と命名なさった方を絶賛したくなる。

私が知り合ったころはそろそろ日本に帰る時期が迫っていたので光栄にも3回ほどお食事をご一緒させていただけたが禅の教えを受ける事はなかった。

日本にお帰りになってからもNYに用事があって何回か御越しになっていたようだが、ある時突然お電話をくださった。
「遊魚さん、人はナンとでも言います。人の言う事に耳を貸してはいけません、人はナンとでも好きな事を言うものです。 人の言う事を気にしてはいけない!」
よっぽどお忙しい中お時間を割いてわざわざ電話をくださったのであろう、それだけであった。


浅はかにも、私はその後の約15年を人の言う事ばかり気にして過ごしてしまった。
「今度はなんと言われるだろう、、」とビクビクしてばかりいた。

人はナンとでも好きな事ばかり言うのである、人の言う事を気にしてはいけない。

最近になって、「自分の人生なのだから思うように生きてみよう」と決心した。

「わしゃ、お釈迦様が一生恋人なんで、男女の恋愛はわからんのですわ、、」と頬を赤らめながら照れくさそうにおっしゃり、おでんをつついていたお姿が非常に懐かしい。

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色々な愛し方がある。
愛には形も色も無いから、これといった規則は無いから、
思いっきり愛せるだけ愛したらいい。
抱いたり抱かれたり出来ないときでも、愛は止まらない。休まない。
私たちは愛そのものだから、愛する事は一番自然な行為。
素直な表現ではその場の状況が許さないときは 水の流れるごとく 雲の流れるごとく 形を変えて進んでいく。
黙っているのが愛の時もあり、先導するのが愛の時もあり、厳しいのが愛の時もあり、許すのが愛の時もあり。

もっと大きく目を開いて。

傷つけるのは愛ではない。
自分を殺すのは愛ではない。
自分を殺すとは愛を殺している事。
自分を生かさなくては愛は生きない。
愛は生かすもの、全てを創り出すもの、そして決して止まらないもの。
強くて美しいもの。
私たちそのもの。
解らなくなったら愛に戻って答えを見つける。
愛はなんでも教えてくれる。
愛はなんでも知っているから。

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今日は新月なのだそうである。
旧歴は月のカレンダーなので明日2月18日が正式に新年のはじまりである。
Chinatownでは「お正月」の催しが数々行なわれる。

スーザン・ミラーによると新月は事を始めるのによい時、満月は成就する時期なのである。
新しい計画は何時立ててもいいのであるが人に持ちかけたりプランを書き始めるのは新月がいい。
満月は膨らむ時なのでプランが育ち発芽したりする。
よい星が並んでいても新月が来ないと本当に動き出さないとのことである。

これから一ヶ月は3月3日の月蝕を頂点に色々な展開があるはずである。別れがあるかもしれないし、自分の決断で仕事や人間関係を整理するかもしれない。
別れといっても恋愛関係だけでなく親友が遠くに転居してしまうとか近親者に他界する人が出るかもしれないということである。
どんな時でも本当のソウルメイトは魂のレベルで一緒にいられること、守護霊やガイド・指導霊がついていてくださるので「一人ぼっち」になることは無いということを忘れないで感情に振り回されないようにしたい。

肉眼の現象界は「諸行無常」である。
同じ事は続かない。

「幸せ」とは内側から湧いてくる感情なので「すがっていなければならない幸せ」などは無いのである。
どんな時でもみんな内側に持っているものなのである。
どのように見えていても「どっちの人がもっと幸せ」と言うようなことは無いのである。
「幸せ」の大きさは比べられない。
形がないからである。

「私は誰よりも幸せ者です!」と宣言できる人が世の中に充満していてもそれでいいのである。

「私は誰よりも不幸です!」と言いたい人が充満しているのを感じるが、落ち着いて何が不幸の原因かしっかり見つめて欲しい。
異性問題か、お金か、仕事場の不満か、家族に負担を背負わされているのか、、、

リストを作って「これを解決する!」と決めた段階でもう半分は片付いている。問題が何かわかったらそれに取り組めばいいだけである。
ただ単に「何でもいいから助けて~~!!」とすがるのは一旦やめてみよう。
何十個問題があったにせよ一個一個焦点をあてていればついに解決する日が来る。
本当である。
真剣に取り組んで解決しなかったらお知らせいただきたい。
ただし、真剣に取り組むというのはしかめっ面になって瞑想にふけるだけではダメである。
まず暗いところには明かりをつける。
「楽しみ」「笑い」を自主的に取り入れる。
「こんな時にそうできるものではない」と思わずに子供の頃楽しかった日々を思い出し、旧友に電話してみる。
笑いのビデオやDVDを借りてみてみる。
思い切り歌ってみる。
好きだった歌手の歌をかけてみる。
余裕があれば是非行きたかったという場所に行ってみる。

私はヒーラーだが、本気で治したいと潜在意識の底から思っている人でなければ病状が消えないのを知っている。
一旦は消えるが根っこがあると戻ってくる。

ひなが卵を割って出ようと嘴で殻をつつくとき、親鳥が全く同じ箇所を外側から嘴でつつくのだという。
私たちが現状を脱皮したいと真剣に取り組んでいる時は「生命の親」が向こうからしっかりと同じ部分に働きかけてくださっているのである。

どのような解決法で現れるかは千変万化であるので各自の「お楽しみ!」である。

では素晴らしいイノシシ年をお過ごしくださいますように!

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Thich Nhat Hanhをご存知だろうか?
尊称をタイと呼ばれるベトナム人の禅僧であり現在世界平和にもっとも貢献されている方々の中の一人である。

Thay(タイ)というのはベトナム語で先生という意味らしい。

私の友人がタイの本を是非読んで欲しいと私に貸してくれたのは2003年の4月か5月頃であった。
その時はブライアン・ワイス博士の私にとっては初めての感激的ワークショップを受けた直後であり、「いまさらお坊さんの本を読むのもちょっ と、、」といった気持ちがあったのだが、読んでみると彼の宗教の枠を超えた愛の深さと生き様に感動し、その後何冊も本を買い込み、友人にも配った。
さらにはインターネットで調べてみるとその年夏タイがロッキー山脈の頂上でレトリートを行なうことがわかり、メディテーション用の座布団を3枚持って子供たちと共に飛行機で飛んでいって参加することとなった。
2003年9月1日から6日の事である。

前置きが長くなったが、
タイの教えの中で今ここで凄く簡単に出来る事をご紹介したい。
ゆっくりと呼吸を繰り返すことである。

呼吸は我々は何時どこでも繰り返しているのだが、意識的に「息を吸う、生きをはく」と確かめながらするのはヨガとか声楽の時くらいであろう。
タイの場合は「怒り」を感じた時まず息を吸いながら「私は怒っている、」と認識し、はきながらまた「私は怒っている」と自分の感情を把握する。
2回目の時も「私は怒っている、」「私は怒っている」と繰り返す。
3回目は吸う時ゆっくり「私は怒っている」、
はくとき「私は怒りに微笑みかける」、、、、

と、ほっと気分が変わるのである。
どんなにカッカしているときでも3回深呼吸すると気の流れが変わる。
本当である。

タイはWalking Meditationという修行もなさり、一同一呼吸に一歩ずつゆっくり歩く事を繰り返す。
「今」を生きる事をいわば時間を極端にして感じるのである。
すべて物凄くゆっくりゆっくり。

そうすると観えてくるのである。
色々な事が、心の中からも湧き上がってくるし、目の前のものもクリアに見えるようになる。

食事もお互いに話は控え、一口30回噛んで食べるように指示される。食事中でも鐘が鳴ると一旦全員箸をおき深呼吸を3回繰り返してまた食べ始める。
いつ鐘がなるのかはわからない。
歩いている時でも話中でも鐘がなると全てを止めて深呼吸を3回繰り返す。

私は食事をしている時に「誰かが農作物を作り、誰かが取引をし、誰かがトラックを運転してこの山の頂上まで運搬し、誰かが調理してこの食べ物が私 の口に入っているのだ」ということを言葉ではなく体が実感しているように思え、自分の顕在意識からではなくもっと深いところから涙があふれ出る経験をし た。
理屈でわかっていることとを実際に体験した。

怒り、悲しみ、寂しさ、失望感、虚脱感、嫉妬、ねたみ、
何でもいい。
息をゆっくり吸いながら、「私は孤独である」
はきながら「私は孤独である」と繰り返し、3回目に息を吐きながら「私は孤独にほほえみかける、、」とやってみて欲しい。
ふっと唇に微笑がうかぶ。

その時タイも同時に微笑んでくださっているのである。

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「喜怒哀楽」という感情は人間にしか与えられていないのでとても大切な感情である。 その中で「怒」だけ押さえ込もうとするとバランスが崩れる。 「怒り」はとても大切な感情であるが「怒り」を表現する時に誤った方法をとると問題が生じる。 私たちはみんな「愛」そのものであり、愛する事が何よりも自然な行為なのだ。 愛する事とは「愛し愛される事」で初めて成り立つので、自分の愛の行為が途中で邪魔されたり遮断されたり拒否されたりする時に「怒り」を感じる。 大切に育てているお花を踏みにじられたら、悔しいし悲しいし頭にくる。 せっかく作ったお味噌汁を無視される事が続いたら「何よ!モオ!」と怒る。 小さなことから国単位の事まで全て同じである。 怒りは、「愛」が道徳観や社会の調和を通して自分の表現をしようとしているエネルギーに相反する時に起こるのである。 危険信号である。 そのときにどう対処するかで「調和」を戻す事が出来るか決まる。 「怒り」から行動しないで本当の自分つまり「愛そのもの」に戻って行動したいと思う。 「愛」は「知恵」である。 素晴らしい知恵を呼び起こして対処するのである。 「愛」は「知恵」なので私たち自身が「知恵」そのものである。 汲んでも汲んでも何時までも滾々と清水をたたえている井戸を持っているのである。 いつでも清らかな心を持っているのである。 これは消極的に行動せよというのではない。 怒りが湧いた時には何が本質になっているのか見抜け、といっているのだ。 ただ自分の「我」を傷つけられたのであれば、良いチャンスだと思って見直せるし、本物の愛の行為に邪魔が入っているのであれば勇敢に正す。 相手をそれ以上悪人にしてはいけないので、「その行為は正しくない」という事を何らかの形で伝えなくてはならない。 時間的に余裕を持って対処できる事であればまず紙に自分の怒りを書き付け安全なところで燃やし、次に内側から起こってくる対処法に耳を傾ける。 大切なのは「怒ってはいけない、私はいい人なのだから」と感情を押さえつけないこと。 一旦胸から出たらカッカしている部分は通過して体に残らなくなるので身体は健康に保てる。 子供は素直に「それはよくない」と発言することが多いのでうらやましい。 悲しみや怒りは溜めない事。

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今日はバレンタインズデーである。
愛の日。

街中にハートのデコレーションや赤いバラが溢れている。
といっても今は雹が降っているので街の中をブラブラしている人はいないだろう。

「愛」って難しい。
一番難しいのは与える事ではなくて受け取ること。
「愛」を拒否している人は多いのだ。
自分の愛の表現だけドンドン人に送りつけるのが上手で、素直に受け取ることが出来ない。
ちょっとしたお礼でも「イヤ、そんなものをもらいたくてした事ではないのだから、、」といって受け取らない。
物質だけのことでは無い。

「本物の愛」はこわいのだ。
そんなものを受け取ってはいけないと潜在意識が拒否してしまう。
自分は受け取る資格が無いと。

それでかなり出来のいい偽物で満足しようとするが、偽物が本物になる日は来ないのでいつか不満が形となって現れてしまう。
病気や不幸な出来事はその現れである。

そこで「愛」の循環を妨げていたものを回復するチャンスを与えられる。
素直に受け取ってもバチは当たらないことをやっと把握できる。
「愛」とはエネルギーなのでグルグル回って力を発揮できるのだが、「私はこのようにしか受け取らない」と枠を作っていると流れが悪くなり、受け取るべき全てのものをこちらが勝手に拒否している状態を作り出す。

常に目を開けて自分の行動が「よいもの全て」を受け取るのに壁を作っていないかしっかり観ていこう。
自分が怖がっているものは何なのか。
「本当の愛」には色も形も無いので何時どのようにやってきているかわからない。
自分の中にある「本当の愛」にこだまする時素晴らしい響きが聞こえる。

偽物は美しくても響かない。

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「痛み」をとる事は簡単に出来る。
でも面白半分に人の痛みを取ってはいけないのである。

去年春、私のヒーリングは遠隔でも効果があると確信し始めた時スカイプで東京にいる劇団の大先輩に腰痛をどうにかして欲しいといわれた
整体やマッサージにかかっているのだが、その時はコルセットをし始めたというのであった。
もともとスポーツマンで年令よりずっと若く見える方だが「腰痛は年のせいだ」と決めてかかっている。
スカイプで話しながらヒーリングを送った。
その後の報告。
「痛みが取れて快調だったので3日続けてゴルフへ行ったらまた痛くなった、、」

その後色々な体験を経て私は「対症療法」はしないことにした。
ヒーリングは毎回魂に呼びかける事。
痛みが先に取れると目先が変わって芯になっている問題に触れずにまた時間を過ごしてしまう。
「痛み」はシグナルである。
どこかおかしいか上手く行っていない点があるのである。
その元になっている「念」をただすのである。
「念」は「今」の「心」であるが「今」は過去、現在、未来を含む時間全部なので過去の「念」が今痛みになっているかもしれない。
原因はいつももっと深いところになるのでもう痛みが戻ってこないように源からお掃除してしまうのが手っ取り早いし経済的である。

痛みだけでなく湿疹やその他の症状も不快感がなくなることに焦点を当てるのでなく「本当の自分は全く悪いところは無いのである」という本人の意識を呼び起こすのである。

私も人間なので現象世界に振り回されてばかりいるが、ハッと気がつくと答えはいつも同じである。
もう救われなくてはいけない人はいない。
みんな気がついたときに全部持っているし、完璧な生活を送っているのである。
ただ目覚めればいいだけである。
私は目覚まし時計みたいなものである。

だからうるさい時もある。

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Lnが予約の電話を入れてきた。
実はインターネットで知り合った男性がカリフォルニアにいたのだが癌だという事がわかり、今メキシコで療養中なので次の日曜日に会いに行くのだがその前に私に出来る事をして欲しい、というのだ。
彼とはメールのやり取りはしているものの直接会うのは初めてだという。
多分携帯電話で撮ったのであろう、ボケた小さい写真がメールで送られてきたのがあるというのでそれをプリントアウトして持ってくるように言った。
今週の土曜日にヒーリングをすることになった。

Lnはもともと去年の9月末に私が宣伝用に自宅で「ヒーリング・サークル」を開き私のヒーリングをサンプルしてもらえるような場を作ったとき参加してくださった60代の白人女性だ。
このときはグループなのでプライバシーの保護のため詳しいことを聞かず一人15分くらいの時間でヒーリングを個々に味わってもらおうとした。
初めと終わりに全員で手をつないでサークルを作りメディテーションをした。
この間も私はみんなの浄化をし続けた。

彼女の番になったとき目をつぶって私と両手をつないでリラックスしてもらったがすぐにドンドン赤ちゃんの時までさかのぼっていくのがわかった。
凄く疲れていたのがわかったので「このまま寝てください」と提案して横になってもらったら、その後最後までグーグーねてしまった。
ひと目には私が手をつないだら眠らせてしまったように見えるであろう。

一ヵ月後にまた「ヒーリング・サークル」を開き彼女が参加してくれた時に初めて私のヒーリングについて説明した。
人間の命を作り出しているところまで行って健全でない部分を取り外すので、もしくは癒すので、細かく人生上の問題を聞く必要が無い事。
私は「神」という言葉を使う時は特定の宗教上の神ではなく、「全ての全てを創った創造主」であること。
だから善い力生きる力はそこから何時でも補給できる事。
何でも改善できる事。
このときは参加の返事が来たにもかかわらず他の人は姿を現さず彼女は個人セッションを受ける形になった。
何十年と通っていたセラピストでは解決できなかった問題がその時解決した。

この経験で彼女は私を信用してくれ娘さんがNYを訪れた時にもセッションを受けさせるように申し込んでくれた。
娘さんも綺麗な30代の女性であるがこの母子間での葛藤が元で本当の意味での独立が成り立っておらず、「自分ひとりで何でも決断できるのである」というのをしっかり入れたのであるが、その行程で過去生のひとつが出てきた。
昔、この二人は姉妹だったがLnはずっと年上でいつも短気で暴力的な継母から可愛い妹をかばっていた。
妹が怒られそうになると「ぶつなら私にして!」と身を持って代わりに体罰を受けてばかりいたのである。
妹(現代の娘)は「私を守ろうとしているばかりに痛い思いばかりしている」と思うと身代わりになってくれているのが辛いばかりでやり場の無い悲しみが溜まる。
姉は「私さえ耐えればそれでいいのだ」と痛みを背負い込んでいるのだ。

まずこれを全部解消して、誰も苦しまなくてもいいし、人の分の痛みまで背負わなくてもいいのだと二人共に改善する。
さらには娘さんはもう一人前の成人で母とは成人対成人の付き合いをして良いことを知ってもらう。
親子の愛は消えない。
こらえあっているところに本当の愛の表現は生まれない。
「これから本当の自分に馴れるまでちょっと時間がかかるけどもうスッキリしたはずだから頑張って!」といってセッションの後送り出した。

2週間位したら
「娘がグチャグチャになっている、何とかならないか!お金は私が払うから娘に電話してほしい!!」というLnからのメッセージが留守電に入っていた。
私は折り返し、「娘さんは本当の自立をしている最中なので今までと違った態度や行動をとるでしょうがもう少し様子を見ていてほしい。もう子供では無いので心配でも先回りして手を差し伸べてはいけない。」とこちらも留守電に残した。

男性には深い不信感嫌悪感を抱いていたLnが外国まで逢ったことの無い男性のため飛んで行くようになったのはヒーリングの成果だろうか?
まだこの話続きがありそうで面白い。

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ソウルメイトは比較的新しい言葉で皆さんの認識が違います。
「赤い糸の伝説」のように見えない糸で本当の恋人が結ばれているのだと思うのはロマンチックでいいのですが、思い込みだけで行動していると人生の大切な時間を無駄使いしてしまう事になりますね。 私のアドバイスは、まず「ソウルメイト」と「悪因縁の相手」を混同しない事。
「ソウルメイト」はどんな時にでもお互いのためになるように出現し行動します。
魂の仲間です。
一緒に高めあっていく存在です。
お互いに認め合い、信頼しあい、愛し合う存在です。
「いい人なんだけど、、結局いつも私が問題の解決をさせられる、、憎めないからやっちゃうけど、、」といった相手は要注意です。
友達でも「なんか後味の悪感じの人」は本当の親友では無いのです。
お互いの間に「喜び」が無い関係は本当のソウルメイトではありません。

ワイス博士は人類全部の命が一本の木だとしたら最先端の枝についている葉っぱがひとつのグループの「ソウルメイト」だと言うような例を話されました。
何回も生まれ変わっている中何人かの愛する人たちが必ずどの人生でもお互いにサポートしあえるように同時期に生まれ変わっているのです。
500回ぐらいは輪廻転生を繰り返している、という説もあるので、そうなると毎回新しく縁の出来る方も多くなっていくのでソウルメイトたちだけで暮らしていくというわけにも行きません。
そこでなんだかややこしくなるのです。
「前に逢った事があるような気がする!」というのを基準に「ソウルメイトだ!」と決められないのはそこにもあります。
以前に小さい部落で一緒に住んでいたなんていうだけの存在だったら、もしくは一方が有名なひと目によく触れた存在であったら、「前世で見たことがある!」という事になりかねないからです。

ワイス博士もヴァイアナも「今ほど真のソウルメイトが出会い、一緒に幸せになっているのを観た事が無い」と発言されています。
多くの人が何世紀も戦争や天災で本当のソウルメイトから引き離され辛い思いをしながら「自分は幸せになってはいけない」と歯を食いしばって頑張ってきたのでしょう。
今、「幸せになってよい、そうなって当然である、争いはもう必要ない」という意識が定着する中、堂堂とソウルメイトと出会い暮らしていけるようになっているようです。
ひとつの例では高校の時の初恋同士の相手と卒業で別れてそれぞれの人生を歩み、20年ほどしてクラス会で再会し、「ヤッパリこの人だ!」と再認識し、お互 いに家庭があったので辛抱強く離婚の過程を乗り越えてついに一緒になり、その後はまるで何も無かったのようにホヤホヤの恋人のように暮らしているカップル があるとワイス博士が教えてくださいました。

ヴァイアナのように4回目の結婚で本当のソウルメイトと結ばれている人もあります。

そしてそれまでの男性も「その人なりの愛し方で愛してくれていたんだと今になってわかる」と言っていました。
本物のソウルメイトと人生での体験のために現れるパートナーは違います。
ただし、一時的に出現してそのときだけ人生をさらに向上させるためだけに短期間だけやり取りするソウルメイトもいます。
繰り返しますが「ソウルメイト」はお互いの向上のために存在しているのです。
それが本当の「愛」だからです。
ソウルメイトには近親者も含まれるので兄弟や子供達がソウルメイトの場合も多くあります。


そこで「生涯の伴侶」という意味で「ツインソール」を使う方がいます。
双子の魂です。
ひとつの魂から生まれてきて二人が出会うとピッタリひとつになります。
一人一人としても立派な独立した存在なのだけど、絶妙な組み合わせで二人で存在するのが何よりも完璧になるのです。
もともとひとつの魂を二人に分けて出てきているので引き合い方が普通ではないはずなのです。

誰かを一方的に好きになっている人との違いがはっきりわかって欲しいのは、この場合言葉では言い表せないお互いのエネルギーの合流があるのです。
ソウルメイトの中でも最たるものなのです。
「本当の愛」は生かし、育み、癒し、浄化するので独り占めや嫉妬は起こらないのです。
そして「本物」の場合は周囲の祝福を得ます。
こそこそしなくてはならない愛は偽物です。

「私は私の人生を分かち合って愛し信頼しあって暮らしていける真のソウルメイトと出会うのである。出合った時にはっきりとそれとわかるのである!その人も自分との出会いを待ちかねているのである。」としっかり自分に命じ心を開いて毎日をお過ごしください。

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「神国日本」という言葉があった。
戦後天皇陛下が人間宣言をなさり日本はただの国になってしまったかに見える。

観点を変えて、
NYには国際連盟があるが日本には伊勢神宮がある。
ここは神々が集まる場所であるという。
実際に世界中の権威のある学者や芸術家などが伊勢神宮を訪れて感想を記帳されていくらしい。
医学者が「確かに神々の存在を感じる」と感激して書かれているらしい。
神というものはそんなにちっぽけな存在では無いので日本にだけいて日本人だけ保護するというものではなく世界中どこでも瞬時にして対応できるものである。
だから世界中に呼び名は違えども神々が存在する。
「神々」と複数で表現する時はそれぞれ性格を持った最高級霊である。
世界中の神々を招待できるのが伊勢神宮である。

大和魂というのは軍艦やゼロ戦で敵を攻撃する精神を言うのではなく、和服や風呂敷のようにどのような体型にも対処できる懐の大きな心の事である。
暖かく包み込む包容力である。
知恵である。
愛である。

日本人はこのように愛と知恵を持ってどの世界からの神々をもお迎えしおもてなし出来るのである。
私は伊勢神宮にお参りしたことが無いので次に日本に行く機会には是非子供たちと参拝したいと思っている。

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昨日他の惑星の性質のことを書いたのでついでに地球の事を書きたい。 地球は美しいのである。 地球は非常に美しい星である。 太陽系の惑星は全て影響力があるように地球も他に影響を与えているのである。 地球はひとつの生命体である。 生きているのである。 私たちはその生命力を地球からもらっている。 ただ「住んでいる」というだけの関係ではないのだ。 生かされている。 生命体であるがゆえに地球にも使命がありカルマがある。 人間の知能を超えた範囲の話になるのでこのカルマは意地悪な姑と一緒に暮らさなくてはならないといったレベルでは無い事はお解かりだろうが、大いなる力と一体になるための浄化も体験する時がある。 ただ、絶対に言える事は「地球は美しい」という事だ。 「美しさ」は「パワー」である。 積極的な力に思えないだろうが、美しい女性が歩くと男性がサッと道をあけたり、美しいものを観るため飛行機に乗ってでも遠くまで人を動かす。 物を動かすものは「パワー」であり「エネルギー」である。 ビーナスは美しいので自分から動き回らなくてもみんなが集まってくる。 「パワフル」という言葉にあてはまらないような存在が実はパワフルなのである。 地球は美しいのである。 本物の美しさは「善」であり「真」である。 「虚」や「悪」は美しくない。 地球は「真」であり「善」であり「美」である。 この美しい地球上に生まれたくて順番を待っている霊は凄くいっぱいいるのである。 私たちは宝くじに当たったよりももっと幸運なのであり、しっかり選ばれた存在なのである。 地球は美しいのである。 地球は美しいのである。 地球は美しいのである。 我々が認めようが見過ごそうが、その美しさは変わらなく、地球らしく堂堂と存在しているのである。 ただそれだけである。

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昨夜スーザン・ミラーのこと一寸失敗したので今日の朝は彼女が取材されたTVの番組を観た。
(私は自分が出ていてもあまりTVを観るのが好きでない。)
ホンの少ししか出てこない上、他のアストロジャー(占星術者)と一緒に編集されていたので残念だったが、さすが彼女は一番大切なことを言ってくれた。
「星の動きを利用して人生の可能性を10倍も大きく伸ばす事が出来る」
私も星座に関してはそのように利用している。
元気のよい火星や機嫌のよいサンタクロースのような木星がよい動きの時は心配なく打って出る、または新しい事でも挑戦してみる。
土星は厳格な教師で、しっかり勉強も宿題もしないとお仕置きされるような怖さがあるので、土星が入っているときは地道に事を進める。本当に愛しているかとか誠をつくしているかとか試されるのだ。

私のヒーリングのときはこの「法則」の世界の上、「全ての全てを創り出す力」まで到達して、そこでこの「何もかもを創り出す源」という波長に合わない心、つまり悲しみ、苦しみ、エゴ、怒り、プライド、孤独感、などなど、が消えていくのである。
もういらないからだ。
何かにしがみつかなくても「自分は自分でいいのだ」「本当の自分は美しくて素晴らしいのだ」となるのである。
精神世界のことに興味の無い方に言葉尻を捕らえられて「何のことか解らない、どういう意味ですか?」と困惑したり不安になってしまわれては本末転倒なので、初めは大体簡単な挨拶をした後手を握らしていただいてりラックスしてくださいと告げるだけである。
必用な感情は出てくる。
もしくは不必要な感情は早く出たくて待っていましたとばかりに飛び出してくる。
それを浄化していくと段々時間的にさかのぼっているのが解る。
会話は無いがわっと泣いていたのがクスンクスンと幼児の泣き方に変わる事が多い。
必要であれば出てくる事柄をクライアントに伝え、さらに深く下がっていく、もしくは高く上がっていく。
両方である。

一時間のセッションなので言葉で説明していると質問の方が多くなってくるし、目的はその方が自由に幸せに暮らせる事なので、現在何かしらの問題でもうどうにかしなければと思って来てくださっているのだから悪いものは外すという事は承認してもらっているとして進める。
意固地になっている方はあまり進まないがそれでも対処法はある。
言葉で説明できないけど。

言葉に出す時は、例えば身長のコンプレックスをもっている方にYES/NOのO診断で身長のコンプレックスが外れた事を認識してもらう。
その場で5cm身長を伸ばしてあげる事はできないにしても、コンプレックスが解けると自然に身長は気にならなくなり、結果30代でもまだ身長が伸びたなどということになるのである。
でももう身長などどうでもいいと思っているからふと気がついたときそうなっているという感じである。

面白いのは、私は男女とも「美しさ」を必ず入れるようにしているが、ある方の問題点は人生上の生きがいなどの事で見かけとか男性にめぐり合いたいという事ではなかった。
大好きな方と結婚しているのだ。
ところが私のヒーリングの後、急にモテモテになり、有名な女優さんに「あなた整形したの? 随分綺麗になったじゃない?」といわれたというのである。
そのほかにも日本から電話やスカイプで申し込んでくださる女性の中にはセッション後いつものエステに行ったら「え!何で急に肌が白くなったんです か?」と聞かれたなどという報告が入って、紹介者だった私のクライアントが「私もそれいれてください!」と戻ってきたこともあった。

この彼女「やせるのが怖い」という信念があって何とか取れないかというので「別に太ってもやせても素晴らしい自分である!」ってなっているのだか らいいじゃない?といったら、やっぱりそれではいやだというので観てみたら、セピア色の過去生である敵の武将がその時すっきりとやせて美しい彼女を戦利品 みたいに「来い!!」とぐわっと掴んでさらっていってしまった光景が出てきた。
「デブデブしていたら私は選ばれなかったのに!」という憤りの念でプリプリ怒っている。
その無念な感じと怒りを取り除き、「やせても安全」というのをしっかりダウンロードしたらその場でYES/NOがすぐ変わり、スッキリした。

ある方のことを清らかな霊体だと書いたが、
人間は皆一点の曇りの無いピカピカの御霊体を持っている。
というかその霊体が人間界に形として現れているのでもともとみんなスピリットなのでスピリチュアルなのだ。
気がつけばそれでいいのである。
「あ、そうか、」って解った時に誰でも私と同じ事が出来る。
どんなに大昔の事でも因縁は解消できるし、何が本当の幸せか今自分に何が出来るかわかってくる。

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  1. 2007/03/18(日) 14:25:34|
  2. 癒し、ヒーリング
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